第2話 承


 ハルハルさん。


 公開情報は女性、21才、大学生。

 プロフィール欄には『人に思いを伝えるのが苦手』、『言葉がすっと出てこない』など。

 

 なるほど、この情報からファシリは彼女を勧めたのか。


「ハルハルさんも非交際目的の理由で参加されています。現在ログイン中です。招待を送りますか?」

「ああ、頼む」


 それから一分ほど経ってから『受理されました』と通知が届く。

 すると続けざまに、


「文字チャットモードでお繋ぎします」


 といきなり接続画面に移行する物だから、少し戸惑った。

 まずい、まだこころの準備が。


『はじめまして。ハルハルと言います。招待ありがとうございます』


 と文字だけが表示される。


 俺は強張っていた顔の緊張を解いて溜息を漏らした。


 文字チャットだから、顔も声も相手には分からない。


 俺は何を焦っていたのか。



 気を取り直して画面をよく見ると別のウインドウに文字が表示されていく。


『こちらこそ招待を受けていただきありがとうございます。私はつむといいます。三十代の男性です。――……』


 まるで模範解答のような文章が何パターンか並び立つ。

 これがチュートリアルで説明していた最適文予測というやつか。

 ユーザーはファシリが提示する選択肢から選ぶ事も出来るし、もちろん自分で入力する事もできる。


 自分の言葉で会話したいと思った俺は、ファシリの文章を参考にしながらも手入力。


『俺はつむといいます。30歳の男性で会社員です』


 まずは向こうが公開している個人情報――年齢、性別、職業を伝えて対等な関係である事を強調……って、いかんな、脳がビジネストーク術にすっかりむしばまれている。


 その後もファシリの予測文を参考にお互いの情報を交換しあった。


 プロフィールのイメージ通り、ハルハルさんはかなり慎重な性格みたいだ。

 

『私の返信、遅くないですか? イライラさせていたらごめんなさい』


 とメッセージ。

 確かにペースは遅い。だがそれはこちらも同じこと。


『俺は頭の回転が良い方じゃないので、ゆっくり考えながら話せる方が気楽でいいです』

 

 と返信すると。


『つむさんとは気が合いそうです。つむさんが嫌じゃなかったら、これからも私の話し相手になってくださいね』


 なんて謙虚で思いやりのある子だろう。


 俺は『こちらこそよろしくお願いします』と当たりさわりない返事をして、その日は終了。




 それからもほとんど毎日、同じ時間にログインして、本当に少しづつだが親交を深めていった。


  どんなささいな話題でも、彼女はしっかりと言葉を選んで、丁寧に答えてくれた。


 だから、俺の仕事を聞かれた時も、IT企業の広報部で働いていることも、本当はAI開発部門に転属したいことも、何の抵抗も無く伝えられた。


 すると驚くことにハルハルさんもAI産業に強い関心があるらしく、今通っている経済大学で専攻コースを受講しているとのことで。


「つむさんもAIに興味があってよかったです。ここの所はいつも愚痴ばかり聞いてもらってましたから、やっと生産的な話ができます!」


 AIについて語るハルハルさんはいつもより字数多め。ただ、返信速度はいつもより遅いくらいで。

 ハルハルさんが情熱を傾けるまま入力した文字を、客観的に読み返しては消してを繰り返している様を想像し、俺はなんだか嬉しくなった。

 キーボードを叩く指にも幾分力が入る。


 ハルハルさんと言葉を交わす毎にAIに対する熱が本物である事を確信し、その度に新鮮な空気が胸の内に吹き込むのを感じた。




 そしてその影響は仕事にも現れた。

 

 年末調整に伴い毎年この時期に提出する転属願い。

 書類を受け取った恰幅かっぷくの良い上司のたしなめるような微笑。

 最早、毎年恒例のジョークだと思われている事は知っていた。


 でも今年は調子を合わせるだけの愛想笑いはしてやらなかった。


 ほとんどにらみつけるような眼つきで内に燃える闘志をぶつけてやったのだ。

 すると、上司は笑うのを止めて、「上に掛け合ってみる」とぼそりこぼした。


 たったそれだけの事で、日常はがらりと変わる。

 まだ、転属が決まったわけではないし、微かな望みはこれまで何度も散っていった。絶望を忘れたわけではない。

 それでも、昔のひたむきな自分が息を吹き返したみたいだった。



『最近ハルハルさんのおかげで仕事が楽しくなってきた気がします』


 俺がそう伝えると彼女は自分の事の様に喜んだ。


 そして俺は何か恩返しがしたいと、半ば強引に迫ると、


『……でしたら、私の悩みを聞いてもらってもいいですか?』


 という落とし処へ。


 彼女の悩みというのは恋愛についての事だった。



 ある同級の男子生徒からアプローチを受け、始めは断ったが、その後も何度も告白を受けるうちに、相手の真剣な気持ちが嬉しくなって付き合い始めたのだそうだ。


 しかし、付き合いたての頃は上手くいっていたが、心の距離が近づくにつれて、壁を感じるようになり、向こうから別れを切り出されてしまったという。


『私は思ったことをすぐ口に出せないんです。ついつい頭の中で深く考えてしまいます。だから、向こうはそれがじれったくて私に愛想を尽かせてしまったのかもしれません。どうして気持ちを隠すのか、と怒られたりもしました。つむさんは私の性格をどう思いますか?』


 ファシリがハルハルさんの性格分析を勝手におっぱじめるが、俺が「自分で考えさせてくれ」と告げると「わかりました」と沈黙。



 そして、たっぷり時間をかけて考えた末、


『ハルハルさんは自分の思いを伝えるのが苦手ってプロフィールに書いてましたけど、俺はそうは思いません。ただ自分の言葉が誤解を生まないように、相手を傷付けないようにしてるだけだと思います。後でいくら発言を取り下げるって言ったって、一度心に刻まれた言葉はそう簡単には消えてくれませんから。だから、ハルハルさんは悪くない。彼が浅はかだったんです。俺は、彼と別れて良かったと思います』


 それに対する返事は、


『「良かった」なんて、ひどいです』


 しまった。


 落ち込む彼女を想像して俺は超高速でタイピング。

 その間もファシリは「やってしまいましたね」とか、「崩壊寸前の人間関係。起死回生の一言は――」などと自動音声で、あおりとも援護えんごともとれる言葉を投げてくる。


『すいません、なんか調子に乗ってしまいました。まだ彼の事を思っていたのでしたらめちゃくちゃ不謹慎な発言でした。不快な思いをさせてしまって本当にすいません』


 やけに長い一分が過ぎ、


『私こそ、ごめんさい。さっきのは冗談です。何か自分でも重い話をふっちゃったって思って、無理やり笑い話にしようとしてしまいました。つむさんの言葉はとても勇気づけられます。それに、彼に対する未練はもう残ってません。むしろ、「そっちから告白しておいて、勝手にふるなーっ!」って言ってやりたいくらいです』


 ハルハルさんは絶対そんな事言わない。


 と心中でさりげなく突っ込みを入れながら、深く安堵あんどした。


「関係修復おめでとうございます」

「ああ、一応ありがとう」


 とファシリが皮肉を理解できるのか分からないまま、そう答える。


『私の悩みばっかり聞いてもらってごめんなさい。つむさんの方はどうですか? 彼女さんはいたりしますか? 困った事とかないですか?』


 妻の事を言うべきか迷ったが、これこそ本当に重すぎる話題だと思って、


『彼女はいるけどあまり上手くいってない。端的に言えばいつ別れてもおかしくない状況。でもこれは俺の方に問題があるってわかってるから。相談したいってわけじゃないんだ』


 とにごす。


 すると、ハルハルさんは興味本位に追及することなく、さらりと話題を変えてくれた。



 こうして危ういながらもプライベートな会話を通して、ハルハルさんとの距離が縮まった気がした。

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