Facili® 短編 ver.

和五夢

第1話 起


 クリスマス商戦の火蓋ひぶたが切って落とされ、イルミネーションが夜の街を彩る頃。


 俺はいつもの様に定時に仕事を終わり、いつもの電車に乗り、いつもの様に近くのスーパーで酒のさかなあさって、エレベーターでマンションの高層階へと向かう。


 現役で4年生の大学を卒業し、念願のIT企業へ入社。

 8年間同じ職場で懸命けんめいに働いて給料も上がった。

 今はそれなりに良い暮らしをしていると自覚している。


 部屋に着くとコートを掛けてから、リビングのソファーに座り、明日のプレゼンの資料を確認した。

 それが終わるとゆっくりとシャワーを浴びて1日の疲れを洗い流す。


 と言ってもそれほど疲弊ひへいしている訳ではない。


 俺の職場は広報部。うちで開発した商品をプレゼンしたりポスターを制作したりと、とにかく世間からの認知度を高めるための仕事だ。


 欲を言えばAI開発部が良かった。

 しかし、AI産業は狭き門。

 注目されている割に各分野への応用は思ったほど進まず、現在2022年においてもその先進的分野に一石を投じられるのはごく限られた者達だけだ。


 それでもAI産業に携わるのが高校生の時からの夢だった俺は、広報部に配属されてからも上司に気に入られようとがむしゃらに働いた。

 だが、努力は結果につながらなかった。

 仕事の事を思うとついつい嫌な事ばかりが浮かんでしまう。


 妻の事もそうだ。


 俺は28才の時にお見合い婚。

 お互いに世間の体裁ていさいを保つための結婚というのが分かってしまった。


 むこうは同年代で収入も同じくらい。

 それぞれが自立出来ていて別段子供が欲しいという事も無く、今は各々自由気ままな生活を送っている。

 始めこそ、むこうは気を遣って夫婦の時間を作ったり、同棲する努力をしてくれたが、俺が仕事を優先し続けた結果こうなってしまった。


 下らない夢にすがるあまり、彼女をないがしろにして。

 そして今となってはその夢さえも半ば諦めている。

 惰性だせいだけで生きている人生だ。


 ネガティブ思考の洪水が鳴りを潜めたところでコックを捻ってシャワーを止めた。


 体を拭いて寝巻に着替え、日課である十時からの晩酌ばんしゃくを始める。

 

 お酒はいつもビールかワイン。

 ビールなら1缶、ワインならグラス1杯でほろ酔えるというコスパの良さ。

 今日は気分を変えて赤ワインにジンジャーエールを混ぜたキティを頂く。

 つまみは夜のスーパーにて5割引きで買ったチーズのアラカルト。


 それを頬張ほおばる前にダウンロードが終了したアプリをノートパソコンのデスクトップから起動する。


 アプリ名は『Faciliファシリ®』。

 

 『仲を取り持ち、物事を円滑えんかつに進める者』を意味する『ファシリテーター』がその語源。Facili®は一言で言えばコミュニケーション支援ツール。

 

 これを使って何をしたいかと言うと、ずばりチャットだ。


 俺は、小さい時から、言葉を頭の中でよく吟味してから口に出すくせがある。

 悪く言えば頭の回転が悪く、人とのコミュニケーションに難があった。

 仕事で接待する事もあるが、そう言うのはビジネストークとしてマニュアル化された返答を返しているだけなので、頭はほとんど働かせていない。

 俺がしたいのは仕事とは無縁の、プライベートの会話。

 しかし、最近を少し振り返ってみても、仕事以外で会話をした記憶がほとんど無い。

 煽り立つ不安。


 そこでFacili®の出番という訳だ。

 

 デスクトップに立ち上がったウインドウ。

 利用規約に同意すると、まずアカウント登録から。

 

「本名は真鍋まなべつとむ。年齢は30才、生年月日は……」


 と口に出し、確認しながら手入力。

 個人情報は性別と年齢以外は取りあえず非公開のボックスにチェックを入れて、『次に進む』をクリックすると、


『ユーザー情報が登録されました。アカウント名とお好きなパスワードを入力してください』


 ふむ。パスワードはいつものやつでいいか。アカウント名は……まあ、適当で。


 勉の名前を縮めて『つむ』と入力し、Enter。

 すると『完了』の文字に続き、『ようこそ』という文字がフェードイン。


 未来感を漂わせるBGMと共にアプリのメインメニューが開かれる。


 そして次の瞬間、俺はたまげて体をビクンと跳ね上げた。


「ようこそ。つむさん。私はファシリ。あなたのコミュニケーションをより快適に支援するファシリテーターのファシリです」


 とスピーカーから突然の大音量。

 Facili®のCMで聞いた女性の声だが、まさか実際に流れるとは知らなかった。


 取りあえず音量を下げて一息つく。


 最近の合成音声はかなり洗練されていて、おかしな抑揚よくようなどが無く、違和感なく聞けることに、遅ればせながら感慨かんがいせる。


「説明を続けてもよろしいでしょうか?」

「ああ、頼む」


 するとファシリは動画を再生しながら説明を続けた。


「私には豊富なデータバンクと人の感情を理解する高度AIが組み込まれています。初期仕様では私の能力を100%発揮する事はできませんが、使用を重ねていただくうちに、つむさんの性格、趣味、人生観など様々な志向しこうを学習し最適化します」


 そして簡単なチュートリアルが終わるといよいよ本番。

 俺は微妙な緊張感を紛らわすためにキティを一口。


「ふう、まずはチャットする相手を見つけないとな……」


 検索条件の設定で『初心者歓迎』、『交際目的ではない』などにチェックを入れて検索開始。

 10,000件以上のヒット。


「まだかなり多いようですね。つむさんのプロフィールを詳細に入力いただければ私がおすすめの方を紹介します」


 ファシリの助言に従い、プロフィール欄に仕事や家庭の事を伏せつつ自分がどんな人間であるかを入力。


『ネガティブ思考』、『惰性で生きてる』、『思考速度鈍い』……。


 我ながら悲しくなる。


随分ずいぶんと、自分を卑下ひげされているのですね。あなたはもっと魅力的な人物だと思いますよ」


 と知り合ったばかりのAIにまでフォローを入れられる始末。


「私からのおすすめは……」


 ありません――。あまりのプロフィールのひどさにそう言われると予想したが、ファシリはある一人のアカウント名を提示した。


 アカウント名は『ハルハルさん』


 これが彼女との初めての出会いだった。

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