真冬の鳥鍋事件(迷宮入り)

夜野 舞斗

やはり、真冬の寒さは身に染みる

 ここは日本で沖縄の次に雪が積もらない場所だ。大雪でこの町に来るまで、何度電車の足止めを喰らったか。

 しかし、この風景は自然が溢れていて見飽きない。道の所々に立派な松が生えていた。松茸なんかが生えていれば、大きい物を収穫できただろうに(後で知ったのだが、松茸が生えるのはアカマツのようだ)。

 

 この町はベッドタウンと呼ばれている。風が唸る夜は閑静が辺りを支配するのだ。

 煩い都会に出てしまった私はこれも町の魅力なのか、と思い知らされる。


 家族が住んでいるアパートの前で手と手を合わせて擦った。口から吐き出される白い息と同じで妙な温もりが残る。

 すぐに消えてしまうのだが。それ位寒いのである。

 一応、家族には連絡は取ってある。部屋に明かりが点いているし、誰かがいることは間違いないだろう。ここで家族全員が旅行に出かけてるなんて言った日には、彼等の部屋に火でもつけてあげておこう。さぞ、私の心と体が温まるだろうな。


「ふう……けど、ホント寒いわね。さて……あら?」


 二階にある私達の部屋の前まで辿り着くと、妙なのぼりが目についた。布に「居酒屋OPEN」と書かれていて、時たまに風に吹かれる謎の物体。何故、家の前にこんなものが?

 親は両方とも会社の秘書で、自営業なんてやっていないはず。二人とも全国を駆け巡るレベルのハイスペックな人達だ。間違ってもクビになることはないだろうし、あったとしても、こんな場所で居酒屋を始めようとはしないと思う。

 何があったのか想像しながら、ドアのチャイムを連打した。


「おーい!」

「だから、今日は鍋だよ……そう、だから。ね。静かにしていて」

 

 部屋の中から弟の声がした。しかし、それはどう考えても私に向けられたものではない。

 彼は私が外で鳥肌を立てて、出てくるのを待っていると言うのに何をしているのだろう。……それにしても、誰と話しているのか。そんな疑問が私の脳内に浮かび上がった。


「彼女でもできたのかしら?」


 首を横に傾ける。


「あっ、ごめんごめん! 出るのが遅くなっちゃった!」

「痛っ!」


 そこでいきなりドアが開くものだから、私の額がドアにぶつかった。しかし、ぶつけた本人は悪びれた顔もなく、外に出ている不思議なのぼりを見て、声を上げていた。


「あっ、居酒屋のおじさん、届けてくれたんだ!」

「ミチユキ……折角の再会なんだから、そっちより、こっちの方を喜びなさいよ!」

「嫌だ」


 まさかの反抗期突入でしたか。

 それならば、取り敢えずミチユキよりも先に家に入ろう。そして、鍵を閉めよう。


「……外ののぼりと一生たわむれてなさい」

「姉さん、すみません。自分が馬鹿でした。反省してます。入れてください」


 鍵を掛ける音が聞こえた瞬間、相当焦ったらしい。彼の弱音を聞いたせいか、思わず笑みが零れてしまう。


「じゃあ、しょうがないわね……入れてあげるから」


 笑いながら、ゆっくり扉を開けてあげた。だが、そこにミチユキの姿はなし。


「えっ、何処に行ったの?」

「全く……何するんだよ。だから、姉さんは油断ならないんだよ」


 背後の方に人の気配。慌てて、リビングの方に走ってみると、のぼりを手にしたミチユキと目が合った。

 私は目を丸くし、彼の姿を舐め回すように見た。間違いない、ミチユキがいた。双子がいた覚えもないし、クローンを作ったという報告もない。

 

「アンタ、どうしてこんなところに?」

「隣の部屋の窓からベランダに飛び移らせてもらったよ。いやぁ、一瞬落ちるかもしれないと思ってヒヤッってしたよ」

「そのまま地獄の底に落ちてしまえ!」


 壮絶な行動を淡々な口調で話しているミチユキ。まるでそれが日常的にやっているような行為であるかのように。馬鹿なのか、ミチユキは。サイコパスなのか、ミチユキは。


「我が弟が何処まで愚かなのかは知らないが、人様に迷惑を掛けないの!」

「……はーい」


 絶対に従いたくない人の心ない返事だ。

 それにしても、彼の焦りよう。やること、為すこと、全てが謎だらけだ。

 最初に誰かと話していたと思っていたが、家族がミチユキ以外誰もいない。


「ああ、父さんも母さんも急な仕事で宮崎行っちゃってるもんでね」


 そうなると、ミチユキの言葉が奇妙なことになってくる。「今日は鳥鍋だよ」。この言葉は電話相手にいる友人か、はたまたは恋人に言うセリフだ。

 もともと弟が家族に話す言葉ではないと思うのだが、以前夕飯を何にするか忘れていた母さんに似たようなことを言っていたような気がする。だから、そこに違和感を覚えなかった。

 しかし、「静かに」の一言からの不安がどうしても拭いきれない。


「ええ……ミチユキ、もしかして」

「な、何……」


 今、鍵を閉められたのに対して、急いで戻って来た理由。まさか、ミチユキは部屋の中に愛人でも連れ込んでいるのだろうか!


「ミチユキ! 紹介しなさい!」

「い、いや、無理だよ。それよりも、もう鳥鍋! ガスコンロもセットしてあるし、早く食べよう! しいたけ好きでしょ! たっぷり入ってるから!」


 流石に男子高校生の力は強い。私は彼に引きずられて、鍋の前に行く。

 中に入っているものは……? 火をつけているミチユキに質問をしてみた。随分と固まった言葉になってしまったけれど、驚いているのだから仕方がないだろう。


「えっと、み、ミチユキ? アンタが一人でこれ、作ったの?」

「うん!」


 白いスープの中にしいたけ、白菜、鶏肉、豆腐と案外綺麗に盛り付けられている。


「見た目も料理の質をよくする一つの要素だからね。口に入ればいいなんて人もいるけど、やっぱり心で美味しいと思うには見た目が一番だよ」


 心で美味しいか。ミチユキは確かに、美味しいものが好きだ。昔から、人一倍食べることに興味があった。だから、夕飯の味見係も適任する人は彼しかいない。

 味覚も家族の中で一番発達していたらしい。

 食べることが専門だと思っていたが、作るものもなかなかの腕を持っているようだ。

 だが、この厳しい私は敢えて、皮肉を口にした。


「何か、いい言葉を並べてるみたいだけど、どっちにしても味よ。味が良くなければね」

「うん。じゃ、取り皿」

「後、ポン酢も頂戴ちょうだい

「嫌だ」

「なっ!?」


 ……何を言い出すかと思えば、戯言たわごとか。そう思ってもみるが「いや、待て」と私の脳内が私自身を牽制けんせいした。


「もしかして……」

「このままで一回食べてみてって奴だよ」


 箸を取り、鍋の中からカットしてあるしいたけを取った。

 きのこは味があるのだが、それにつかる味が大切だ。良く煮物のしいたけが美味なのは、煮込むための醤油がしっかりしているからだと私は思う。

 一口。


「……うん」

「ど、どう感想は?」


 彼が恐る恐る私の機嫌を確かめているようで。とてもではないが、不味いとは言えない……だって。


「な、何よこれ!」


 だって……これ、私が何時も食べているしいたけの何十倍も美味しいんだから!

 まずは、環境が要因なのかもしれない。この肌身に染みる外の寒さが私の体を冷やしている。それを一気に温めるのが、鍋に入った熱々のしいたけで。

 その上、しいたけを噛む事に溢れ出す汁が美味しい。きっと出汁だしは鳥の旨味を存分に使っているのだ。そのコクが元々輝いている。しいたけなのに、ここまで……できるとは。まるでハンバーグの肉汁そのもので、とてもしいたけだとは思えない。このきのことしてのハフハフした感触が甘みを主張しているところもいい。

 こんなに……こんなに、鳥鍋なのに、きのこが一際目立ってしまってどうするのよ!?

 私は項垂れて、箸を置く。


「先に味付けておいたんだよ。カツオとか、鳥って混ざり合うと旨味が増すから。相乗効果とかって、聞いたことないか」

「そんな説明なくても……美味しいのは分かったわよ。アンタ、見直したわ」


 私は後ろへと振り向いた。以前は散らかっていたが、今はすっかり整っている。前は面倒くさがりやだったミチユキも私がいない間に進化したみたいだ。

 流れ過ぎた時間が寂しくなる。やはり、今も真冬の寒さが身に染みる。流れた時間が戻らないことを。そして、こうやって、美味しいものを食べた思い出が頭の中に流れてしまうから。

 彼が生まれて、私がお姉さんになったと思ったら、もう高校生。私も家から出て、独り立ち。これから家に帰っても、この味を思い返すだろう。

 美味しい思い出が心に響く。


「これがもう少し、散らかっていればもっと美味しかったかも」

「へっ? 帰ってくるって聞いたから、しっかり片付けたんだけど」

「何でもないわ。変わるものは仕方がないからね」


 頼りなく、何時もオドオドしていたミチユキが変わった。

 大学に進学し、この町から離れた私は、この町の素晴らしさを再び体感できた。これがミチユキのおかげなのだから、ちょっと信じられない。

 私はシナシナしていて食感の良い白菜を食べながら、ミチユキに笑ってみせた。


「ねえ! ご飯持ってきてくれる?」

「嫌だ」

「そんなんじゃ、誰かいても絶対に養えないよ! それに居酒屋何かに絶対になれないだろうし」

「だ、誰かって何の話? 居酒屋の方ってこと? あ、あれはちょっとね」


 ミチユキは絶対に忘れた思い出を取り返してくれるかもしれない。誰かの消えた物が何処に落ちているのか教えてくれるのかもしれない。

 そんな心に響く才能を彼が持っている。

 ただ私に顔を迫られ、怖気づいているところを見ると、安心する。胸に手を当てて、柔らかい鶏肉を口の中に放り込んだ。

 ああ、暖かくて、美味しくて、たまらない!



 結局、誰も家の中に隠れていなかった。彼が電話している姿も全く見なかった。夜になって、誰かと話している声は聞こえたものの……。

 一体、彼は何をしているのだろうか。そして、何をしようとしているのかしらね?

 

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