杏呑亭

安良巻祐介

 

 山奥の緑の合間、「杏呑亭」の号をひっそりと掲げた一軒家の前に不浄川が流れていて、そこには人々が流した腐れ雛や補陀落行きの思い出が、逆流れに乗って幾つも幾つも、さながら悪趣味な回転ギニョールの如く、なぜか全て顔をこちらへ向けたまま、通り過ぎてゆく。そんなものを何年も何年も、もう百年あまりも眺め続けて時を過ごしたせいで、木彫りの面のような貌を窓の外へ向けた亭の番人は、両の目玉だけが異様な形に変わってしまい、舌は干からびてものも言えず、指先は握り込んだまま固まって箸も筆も二度と握れなくなってしまった。しかし、かえってそれで良かったのかもしれぬ。もしここに至ってなお、舌が動き指でものが掴めたならば、およそ人の表せるうちで最も忌まわしい昔語りや覚書が、この一つ家に収まり切れぬほど紡がれてやがて外へ、山の下へとあふれ出していただろうから。

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杏呑亭 安良巻祐介 @aramaki88

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