第3話 合縁奇縁
「あなたは私のために泣いてくれるの?」
その一言は混乱の真っただ中にあったボクの心にするりと入り込み、束の間の落ち着きをもたらしたとともに新たな恐怖と混乱をもたらした。
「な、なんで」
ボクの目に映ったのは彼女だった。今間違いなくボクの目の前でその命を散らせたはずの彼女だった。中身を派手にぶちまけていたその頭には艶やかな黒髪が腰のあたりで揃えられ、こちらを覗き込む相貌は可愛いというよりも綺麗という印象を受けた。淑やか雰囲気の彼女だが、その豊かな胸はワンピースを押し上げ裾からは健康的な2本の足がすらりと覗いている。その体の見えるところに傷のようなものは一つとしてなく、何もなかったと言わんばかりだった。しかし、血みどろになったの彼女の服が現実を否応もなく突き付けてくる。間違いなく彼女は肉片となり一度死んでいる。
「君は今死んだはず。誰が見てもあれは即死だった。君は一体…」
「ええ、私は一度死にました。確かに、間違いなく。でも今は生きています。それだけで十分でしょう」
ボクにはこの人が一体何を言っているのか全く分からなかったが、彼女はそんなことを気にも留めずに話を進めた。
「それよりも、そんなことよりもあなたのお名前を教えて。私のために泣いてくれたあなたのお名前が知りたいの。ねぇ、いいでしょ。私は、3号。皆様にはそう呼ばれていました。ぜひ、そうお呼びください」
少し興奮気味に彼女はそう尋ねた。あまりに常識を外れた状況に恐怖が加速する。恐怖に煽られたボクの口からはうまく言葉が出てこない。そんなボクとは裏腹に彼女の大きな瞳がボクを覗き込み、ご褒美を待つ子供の様な期待の眼でボクの答えを待っている。
「ボ、ボクの名前は
「まぁ、新田さんとおっしゃるのですね。ああ、新田さん、新田直樹さん、素敵な響きです。」
ふふふ、と恍惚とした表情で笑みを浮かべる彼女はボクが投げかけようとした質問を完全に打ち切り悦に浸っていた。
「ふふふふ、そういえば新田さんはどうしてこの病院に?」
「そんなことよりも、あなたの説明をし…」
「3号です。」
どうやら、偽名や冗談の類ではないらしい。彼女は頬を膨らめ、やけに子供っぽい態度を見せた。
「3号さん、あなたは一体…」
「私のことなど、お気になさらないでください。心配してくださってありがとうございます。しかし、こんな大きな病院にいらしているのです。新田さんにはきっと只ならぬ事情がありますでしょう。さぁ早くご用をお済ませになってください」
どうやら、徹頭徹尾こちらの質問に答えてくれる気はないらしい。しかし意外なことに、話している限りでは危険な印象は受けない。若干話を聞いてもらえない節はあるが、危害を加えてくることはなさそうに思える。少し拍子抜けしたと言ったら語弊があるが、ともかく相手の方から別れを切り出してくれたのだ。これを逃す手はない。
「分かりました、ありがとございます。失礼します」
ボクは彼女の前を小さくなりながら通過した。それから病院の受付でセラさんの病室を教えてもらう。階段で5階まで上がり、向かって右に曲がってすぐの個室。どうやらここがセラさんの病室らしい。病室の前のネームプレートにはボールペンの殴り書きのような文字で”セラ”とだけ書かれていた。こんな表記ってあるのか、なんて不思議に思い小首をかしげているボクのすぐ隣で熱い視線を感じた。
3号さんだ。何を隠そう病院の前で彼女の前を通り過ぎると、彼女は何食わぬ顔でボクの後をついてきたのである。思い違いであることを祈り途中の階で男子トイレに寄ってみたら、それまた何食わぬ顔でボクについてきて驚くほかの男性患者たちには目もくれず用を足すふりのボクの後ろにピッタリついてきたのだから間違いない。
「あの、3号さんもセラさんに用事ですか?」
「セラさんという方は、存じ上げません」
彼女はまるでボクが不思議なことを言っているかのような顔をした。
「じゃあ、何でボクについてくるんですか」
「私はまだあなたのことをよく知りませんから。あなたのことを知るために」
「…じゃあボクはこの部屋の中の友人と用事を済ませてくるのでここにいてください」
「ふふふ、了解いたしました」
いまいち噛み合わない会話を切り上げボクは用事を済ませることにした。
軽く深呼吸をしたあとノックとともに病室のドアを開けると、溌剌とした声が病室に響いた。
「よぉ、そろそろ来る頃かと思ったよ色男。病院で逢引なんてしゃれてるじゃねーか」
全開の窓から吹き込む風にその特徴的な白髪を揺らし、真紅の瞳を輝かせ、その整った容姿を台無しにするほどの歪んだ笑みを浮かべながらセラさんはそう言った。
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