第2話 阿鼻叫喚

僕はきっと物足りなかったのだろう。今思えば、平凡に過行く日常にどうしようもないくらい退屈していたんだと思う。だから、あの出会いは僕にとってまさしく奇跡だったんだ。


2020年 2月22日 午後3時30分

「新田君、ちょといい?」

そう言って担任の先生に呼び留められたのは、ボクが今まさに家に帰ろうとしていた時のことだった。

「これ、進路希望調査のプリントなんだけど、彼女に渡してきてくれない?明日が期限なの。私が行くのが筋なんだけど、なんでか私には会ってくれないの。」

「はぁ…」

彼女と言われても誰のことを言っているのかさっぱり分からなかったが、よく考えればうちのクラスでこのプリントを持っていない彼女と言ったら彼女しかいない。

「セラさんですか」

セラさん。月に一回程度の頻度で教室に現れる女の子。腰まで届かんとする長い白髪を揺らす、真っ赤な瞳の女の子。

「別に構いませんが、どうしてボクなんですか?大して仲がいいわけでもないですし、住所を知っているわけでもありませんよ」

「ご指名なのよ」


このやり取りを行ったのが丁度30分前。そして今、ボクは生まれて初めて投身自殺というものに立ち会った。

先生に言われた住所に行ってみると、そこは大学病院だった。まさか、同級生の住所を辿ってきたら病院につくなんて思ってもいなかったボクは先生が間違えたのだと思い引き返すかどうするかを考えていたところに彼女が降ってきた。ボクの視界の端を高速で落下していった彼女の体はゴッという低い音とともに地面に着地した。サラサラの黒髪の間からはぬらぬらとした中身が漏れ出し、妙な方向に折れ曲がった肘からは白骨がのぞいている。ボクの遥か後ろには彼女の歯が飛んで行った。腰から下はもはや原型をとどめておらず、ぐずぐずに砕け、あふれる血液が彼女の着ていた純白のワンピースを染め上げ、あたり一面を侵食する。誰が見て間違いなく、言い訳のしようがない位即死だった。あたりから悲鳴が上がる。その中にはボクのものも含まれていた。人生で初めて心から悲鳴を上げた。

「うううあぁあぁアアアアなに、どうすればいい、どうしたらいい。警察か、それとも先に病院でいいのか。もう、なに、なに、なに、どうすればいい、なにをオエッ」

胃の中がひっくり返る。ヤバい、泣きそう。

間近に感じる死の空気に心が決壊するのを感じた。ゲームや本で読むのとはわけが違う、濃密で圧倒的なまでの死を心が処理できない。思考が麻痺していく。止めようのない感情があふれ出す。パニックが連鎖し、悲鳴が交差していく。足腰から力が抜けていくのを感じた。倒れそうになるのをギリギリの理性と震える腕で支える以上のことはできなかった。


しばらくたった、吐けるものが無くなり感情の波が引いていくと少しずつ落ち着いてきた。どのくらい経っただろう。体感にしてゆうに30分以上は経過しているが、いつの間にかポケットから落ちていた携帯の時計ではまだ5分もたっていなかった。崩れ落ちた足をどうにか奮い立たせていると、その声は唐突に語りかけてきた。

「あなたは私のために泣いてくれるの?」

驚いて振り向くと、彼女が立っていた。脳漿に汚されてた長く艶やかな黒髪は見とれるほどの輝きを放ち、完膚なきまでに潰されていた相貌は本来の端麗な顔立ちであり傷一つなく、その体に傷らしい傷は見えなかった。しかし、彼女の着ていたワンピースにしみ込み赤黒く変色した血の香りが、彼女の死が夢などではないと、確かな死の臭いを伝えていた。

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