勘違い

 ワカヒコの罠に、巨大なイノシシがかかった――連絡を受け、男たちは武器を手に現場に急行した。松明に照らされ、3mはあろうかという白イノシシの姿が浮かび上がる。久しぶりに肉にありつける。ただしこの化け物を無事に殺すことができれば、だ。期待と緊張で鼓動が早まる。

 イノシシはがっちりと足に噛んだ罠を外そうともがいている。「ヤマト、しくじるなよ」「おう」俺がうなずくと、男たちが一斉にイノシシの視界に躍り出た。当然イノシシはそちらに頭を向け、怒りをあらわにする。俺はその間に素早くやつの側面に回り、心臓めがけて剣を突き刺した。

 イノシシのすさまじい雄叫びが響き渡る。俺は剣を引き抜き、返り血を浴びながらも、素早く距離をとった。仲間たちも距離を取り、確実に仕留めるため一斉に投げ斧を放った。多数の傷を受け、化け白イノシシはしばらくの間激しくもがき続けていたが、やがて力尽き、動かなくなった。

「よっしゃー!」

 一斉に歓声が上がる。このところ、野菜のみの寂しい食事ばかりだった。肉にありつける喜びに、みんな踊り出しそうだ。早速解体に取りかかろうと刃物を取り出す。

「お前のおかげだ。化け物狩りにはお前とそのナギノツルギがかかせねぇからな」

「どうも」

「着替えて来いよ。そのままじゃ気持ち悪いだろ。もちろんお前の分の肉、二番目にいいとこ取っといてやるよ。今回は、一番はワカヒコだからな」

「ありがとうございます、お願いします」

 俺は仲間に手を振ってその場を離れた。俺の歩いたあとには、服から垂れた化け物の血でべっとりと道が描かれていった。


―― ≫8≪ ―― ≫8≪ ―― ≫8≪ ――


 暗く乾燥した道を歩くこと、10分ほど。俺は「虚無池」までやってきた。

 虚無池は、池とは名ばかりで水気一つ無い巨大な穴だ。中は真っ暗で、松明で照らしても底は見えない。かなり深い穴らしく、石を落としても音もしない。そのため俺たちは、この穴にゴミを捨てることにしていた。俺は血でべっとりと汚れた上着を脱いだ。この上着はイノシシの皮で出来ていて、暖かくて気に入っていた。だがこの血はもう落ちないだろう。今日のイノシシの皮を剥いで、妻に新しい上着を作ってもらえばいいことだ。脱いだ上着を虚無池に放る。上着は風を受けながらゆっくりと落ちていき、やがて見えなくなった。

 俺は時々考える。この穴の底にはいったい何があるのだろう。これだけ深い穴だ。異界につながっているかもしれない……地獄のさらに下の世界。この地獄ですら、生きていくには苦労する。俺たちが住むこんな地獄よりさらに下の世界があるとして、果たして生き物は暮らしてけるのだろうか。生き物がいないのであればもしくは、「死者」が暮らしているかもしれない。例えば、俺たちのご先祖が。

「お~い、ヤマトー! 大変だー!」

 呼び声に振り向くと、ワカヒコが松明を高く上げながら走ってきた。遠くからでも、声と走り姿からワカヒコが興奮しているのが分かった。

「なんだ、別の罠にも何かかかったのか?」

「違う、そんなことじゃない」

 ワカヒコの目は松明の光に照らされ、ギラギラと輝いていた。

「馬宿の巫女がお告げを聞いた。ついに革命の時が来た!」


―― ≫8≪ ―― ≫8≪ ―― ≫8≪ ――

 

    蜘蛛の糸が垂らされる。罪人たちが天へと押し寄せるだろう。

    悔い改めよ。悔い改めよ……


 巫女の予言は、瞬く間に広まった。ついにこの地獄暮らしから抜け出すことが出来る。今こそ革命の時だ。男たちはみな、血湧き肉躍っていた。

 俺たちはおそらく人間ではない。亡者でもない。何千年も前、この地獄に落とされた亡者たちの「子孫」だ。その昔、地獄に落とされ責め苦を受けていた亡者たちは力を合わせ、地獄を仕切っていた化け物たちを「アマの岩戸」と呼ばれる洞窟に閉じ込めて封印した。そうして出来る範囲で、生きていた頃に近い暮らしを始めたのだ。それが俺たちの先祖である。

 太陽の光の届かぬこの地で、俺たちの先祖は必死で「生き延び」た。死者たちは子を産み育て、次の世代に「命」を繋いだ。食料の少なさから、生まれた子供の多数は「死んで」しまうし、成人したとしてもあまり長く「生きる」ことは出来ない。それでもかつて取り逃した化け物の残りや少ない植物をかき集めて糧とし、「生き」抜いてきた。

 死者が子をなし、再び死んでいなくなり、残された子がまた子を産む……この不思議なサイクルを繰り返し、その子孫たる俺たちはここにいる。死者から生まれた俺たちは人間とは言えないだろう。しかし死者でもない。そして地獄に落とされるような罪を犯したのは俺たちではなく、何代も前の先祖たちだ。それなのに俺たちは生まれながらに地獄に暮らしている。そんな俺たちの一番の望みは、なんとかして天国に上り、そこに住居を移すことだ。

 蜘蛛の糸――その糸をたぐり上っていけば、天国に行けると言われている。馬宿の巫女の予言は、俺たちの悲願が叶う可能性を示唆していた。予言が告げられてからいうもの、男も女もそわそわと糸を探して歩くようになった。光り輝く糸を見逃すまいと上をみながら歩くので、よくぶつかった。ただでさえ暗いというのに前を見ないのだから当たり前だ。

 男たちは念入りに武器の手入れを繰り返した。天国の居住権は、力で勝ち取る必要があるかもしれない。何しろ相手は俺たちを「罪人」と称している。予言は、男たちに力を与えていた。希望と、怒りの力。「罪人」などと呼ばれる筋合いはない、天国でのうのうと生きてこちらを見下す神に思い知らせてやる――そんな気迫が、ギラギラと燃える瞳から漂った。

 しかし俺は、その雰囲気になんとなく乗ることが出来なかった。天国で暮らせればもちろん嬉しい。しかし実感は沸かなかった。

「なんなんだろうな、この感じ」

 ナギノツルギを握りしめる。先祖が大蛇の化け物を倒したときに使ったと言われるこの剣は、化け物に対し絶大な威力を発揮する。我が家のお守りでもあり、仲間にも頼りにされている武器だ。

 なぜかこの剣を握る度、天国になど行けるはずがない、という思いが強くなった。俺たちはなにか勘違いをしている……だがいったい何を?

 一人で考えていても仕方が無いので、俺は馬宿の巫女に意見を求めることにした。予言を受けたときの感覚について詳しく聞いて、違和感の正体に少しでも近づけるか試してみようと思ったのだ。

 彼女の家に向かう途中、あの虚無池の前を通った。そこで異様な光景を目にし、俺は思わず叫び声を上げた。

虚無池に巣を張る、無数の蟲。


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 蜘蛛だ。無数の蜘蛛が穴に巣を張り、下に向かった銀色の糸を垂らしている。蜘蛛の糸――だが、なぜ下に向かって垂れている? 糸は上から、天から、垂れてくるはずだ。こっちに垂れてこず、ここから垂らされている? この下の世界に……?

 俺は再び悲鳴を上げた。俺たちの住むここは地獄ではない。地獄はこの穴の下にあったのだ。そして「天」より蜘蛛の糸が垂らされた。まさに今、地獄より鬼のごとく髪を振り乱した亡者たちが上がってくる。武器を手に。闘志を燃やして。

 早く誰かに知らせなくては。俺は仲間の元に向かって駆けだした。足をもつらせ叫び声を上げながら、どこかですでに絶望していた。もう、どうすることも出来はしない。

 悔い改めよ――巫女の声が、頭の中にわんと響いた。

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SS(サイト時代) 木兎 みるく @wmilk

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