年の差ハッピークリスマス!(後編)

芦ヶ波 風瀬分

第1話


 12月25日、朝の景色に雪がうっすらと残っている。

 それは、昨日の魔法が続いているようであり、すぐに雪も魔法もとけてしまいそうでもあった。

 でも、続いている方で考えるのが強いかな。

 だって、昨日はすごく嬉しかったから。

 きっと、今日も……。


「昨日は一時間前から待ってたんですよ? 今日は昨日より早く来てくださいね……」


 私はト音記号のネックレスを指先でちょんちょんと叩く。


 私の好きな人、藤原ふじわら雄勝おがつさんは、クリスマスだというのにバイトのシフトを入れてしまうような人だ。

 人手不足だから仕方ないということ以前に、彼女がいない、という決定打にもなったので、ホッとしたし、少し嬉しかった。

 彼は「真面目」と人物辞書で引いたら真っ先にでくるような人だ。

 学校ならば、休み時間に一人で読書をしているか、勉強をしている姿が想像できる。でも、そうでは無くて、彼はバイトの先輩であり、人生の先輩でもある。それも、私の12歳上の。

 学校の男子とは違って、落ち着きがあるし、頼り甲斐もある、紳士的な優しさも持ち合わせている。

 そして、何より一挙一動が面白い。それはそれは、からかいたくなる程に。

 そんな彼と、昨日のクリスマスイヴに続いて、今日もクリスマスデートをするのだ。嬉しくて嬉しくって心臓が飛び出して、部屋をめちゃめちゃにしてしまいそうだ。

 でも、嬉しかったはずなのに……。


「暇だなぁ……」


 待ち合わせは夕方、15時だ。

 受験だからとシフトを減らして貰ったのが仇となった。

 ってそうだ、私、大学受験を控えた受験生なんだよね。

 やれやれと机に向かい、タイマーをセットして、モコモコパジャマのままカリカリと勉強を始める。


 セットした時間が経過してタイマーが鳴る。

 手を止めて思いっきり背もたれに体を預け、両腕を思いっきり上に伸ばす。

 血の巡りが良くなった気がしてスッキリする。

 リビングに出向くと、共働きの両親は仕事、弟は友達と遊びで誰もいなかった。

 適当にキッチンで昼食を作って食べる。時計は12時半を指していた。

 食べたものをさっさと片付けて、出掛ける準備を始める。


 昨日は、現役女子高校生は制服が一番! って聞いたから学校に行く訳でも無いのに制服を着て行ったけど……効果あったのかなぁ?

 初めてスカートも捲ってみたけど、足寒かったなぁ。

 でも、この先もずっと制服でデートする訳じゃ無いから、少し大人びた服装にしよう。

 黒いニットに、下は黒のストッキングとデニムのスカート、こう、モノトーンな感じで……。

 羽織るものは少しオーバーサイズのベージュのコート、ダボッとしててコートに着られるような感じになるけど、それが可愛いよね。多分……。

 外は晴れてるから前は開けよう。閉じるとネックレスも見えなくなるし。

 仕上げに赤いタータンチェックのマフラー。これは昨日も首に巻いていたもの。

 あ、イヤリングは置いていくよ。彼が苦手と言っていたからね。

 あと、手袋も置いていこう。何かで見たけど、手をつないで温めて貰う予定にしてるから。

 茶色のショルダーバックの中に、昨日の帰り道の途中に買った彼への誕生日プレゼントがある事を確認して……。

 最後に、姿鏡の前で一人ファッションショーをして……よし! 虹里にじさと琴音ことね言ってまいりますっ!


 扉を開けると、我先にと体温を奪おうとしてくる冷気が体にしがみついてくる。

 そんな中を一人、待ち合わせ場所に向かって歩く。

 待ち合わせは場所は映画館だった。

 昨日は私がリードしたので、今日は彼がリードすると言ってくれた。だから、それに従うことにする。


 待ち合わせ場所へは、昨日と同じく一時間前に到着した。

 こういう時は決まって、彼のことを考えて時間を潰す。





 彼との出会いは、古書店のバイトだ。

 私が入った時、彼はベテランと呼べる域だった。

 ただ、あまり表情が変わらない”寡黙な先輩”だった。

 私はそれを「良く思われていない」、「嫌われている」と感じていた。

 しかし、それは勘違いであることに気付く。


 その日は、夏の汗ばむぐらい暑い夜。

 たまたま雄勝さんとバイト上がりが被り、暫く並んで歩いていた時の事。

 なんてことない、どこにでもあるような交差点にて……。


 キキィィィィィィィっ!!


「大丈夫? 怪我とかは?」


 車にはねられそうな所を助けて貰った。

 あの時、私は危うく交通事故に遭いそうだった事に血の気が抜けて、その声が届かなかった。

 それで、呆然としている私が我に返ったのは、意外な事を言われたからで……。


「ごめん、俺、自首するから……」

「はい!?」

「俺、今、変質者みたいなことしたし……」


 後で聞いた話だけど、私を抱き締めるようにして助けたから、おっさんに抱きつかれて、気持ち悪くなって言葉も出なくなったと勘違いしてそんな事を言ったらしい。


「あ、え? なんで人の命を助けた雄勝さんが自首するの? 」


 それに、安心させる為に言ったなら逆効果だから! って、更に混乱したっけ。

 ふふっ、今でも笑える……。

 でも、その謙虚さが大人びて見えて、紳士らしさ……とは違うかもだけど、一人の女の子として男の人に守って貰った、っていうのは嬉しかったなぁ。お姫様でもない限り、こういう経験は早々にないよね。そう、あの時、私はお姫様だったのかもしれない。

 それに、雄勝さんの、心配そうな顔とか、ちょっと恥ずかしそうな顔とか、落ち込みそうな顔とか見られて、ちゃんと表情筋が備わっていることが知れた。

 こんな雄勝さん、他の人は見た事あるのかなぁ?

 普段見ない雄勝さんを見れて嬉しくて笑ってしまって、雄勝さんも初めは拍子抜けした感じだったけど、笑い返してくれた。その時、初めて笑った顔を見た。笑うと顔の皺が少し浮き出てクシャっとなる、その笑顔が忘れられなかった。


「そっか、怪我もない?」

「はい、大丈夫です!」

「そっか、なら良かった……」


 ぽりぽりと後頭部を掻く動作に、彼の肘に擦り傷が出来ており、血が滲んでいることに気付く。

 あぁ、私の為に傷ついて……。


 多分、この時から気になりだしたんだと思う。





「お待たせ〜!」

「遅いですっ!」


 14時40分、昨日より良いですね! まぁ、一応怒ったフリとかしてみるんですけどっ。


「映画、何みるんですか?」

「それはね……」


 タイトルは『孤独王子と白い少女』という小説原作の映画だった。大臣や国民から期待どころか、ほとんど相手にもされた事の無い一国の王子が、白鳥のように白いワンピースを着た不思議な少女と出会う。やがて二人は想いを通わせるのだが、その白い少女に魔女の疑いがかけられてしまう。そして、王子は涙ながらに自らの手で少女を処刑する。という話だった。


「なんだか、あの少女かわいそうでした……」

「そうだなぁ、でも、国民や大臣を納得させるには、あぁするしかなかった。孤独な王子の最初の理解者は、あの少女だったけど、魔女の疑惑が出てから流れが変わった。王子は初めて大臣や国民の期待を得られた。全く、皮肉のお話だね」

「それでも、あの少女を救う方法もあったんじゃないですか?」

「確かにあったかもしれない。ただ、やっぱり何かに犠牲を強いる事になるだろうね」


 雄勝さんはどこか悲観的な感じがする。

 なんか、なんかデートっぽくないなぁ……。

 それとも、敢えてこんな風に……?


「虹里さん、次、電車に乗るよ」

「あ、はい!」


 現在時刻は17時15分、この時間に電車って混むんだよなぁ……。

 電車に乗ってからは、雄勝さんに支えてもらい、時々来る振動に耐えた。

 その姿や行為が、嬉しくて。頼もしくて。もう、顔も見られないじゃないですか。

 ねぇ、雄勝さん、その事に気付いてますか?


 でも、着いた先はそんなロマンチックな所ではなく、かなり意外な場所でした……。


「はぁ? 山登り!?」


 着いた先は、周りが田んぼの無人駅。

 更にそこから15分程歩いて、山道の入り口に来ていた。


「えっと……そんなに、険しく無いし、高くも無いからさ、付き合ってくれない、かな?」

「良いですけど……」


 断れる訳無いじゃ無いですか……。でも、しっかりリードはしてもらいますからね。

 私は無言で手を差し出す。

 すると、雄勝さんは少し戸惑った様にキョロキョロした後、ポケットから財布を取り出した。


「違いますっ! 別にお金じゃ無いですからっ!」


 そして、なぜ簡単にお金を渡そうとするの!面白すぎでしょ!!

 誤った解釈に怒るよりも、その行為による笑いがこみ上げてしまう。

 そんなとこが、この人の魅力かなぁ。何もしなければ真面目なのに。


「え? じゃあ、この手は……」

「私、体力無いので、リードしてください!」

「あ、あぁ、わかった」


 差し出した掌に覆いかぶさる様に、雄勝さんの手が添えられ、お互いの指が程よい握力で繋がる。

 掌に伝わる温もりが、身体中を満たし、高揚感を煽る。

 そして、階段を登ると同時に、雄勝さんを見上げる形となって、私を高みへと導いている。

 ふふっ、やっぱり私、お姫様なのかな? なんてね。

 でも本当は違う。私は今、絶対に離して欲しく無い手を、握りしめている。離されたら、私は理想の私でいられなくなるんだ。

 その時の事を考えると、とても怖い……。


「よし、着いたよ!」

「ほふぅ……」

「そんなに登ったつもりはないんだけど……」

「私だって、まさかクリスマスに登山するなんて思いませんでしたけどねっ!」

「ごめんごめん……」


 頂上について、息を整える間もずっと手を離さないでいた。握ってくれていた、という方が正しいのかもしれないけど……。

 昨日手を繋ぐ事はなかったから、今日はつなぎたいなぁ、なんて思ってたらまさかこんな形で繋ぐ事になるとはね……。

 本当はそんな予定じゃなかったんだけどなぁ。


 着いた先は頂上というには、あまりに整理された場所になっていた。

 正面の奥の方には神社があるのか、真っ赤な鳥居が鎮座している。

 左右に首を振ると、通路にしては広いスペースがでっかく横たわっている。

 祭りがあって、屋台が並んでいてもぎゅうぎゅう詰めになる事なく、簡単にすれ違えるだろう。


「それじゃあ、あそこで夕食ね!」

「はぁ……」


 雄勝さんに連れられて、左手にあるそば屋さんに入った。

 外見は少し年季が入っているようだったが、内装はキチンとされていて、明るい感じの店内だった。

 席は、襖で仕切られた、見かけ上の個室に案内された。

 4人用の席を二人で陣取る形で、向かい合って座る。

 雄勝さんは、サッとお品書きを手にとって一目した後、すぐに閉じてテーブルに置いた。

 私は、何を頼むか悩む表情を期待して、開いたお品書き越しに窺っていたが、残念ながらその表情を拝むことが出来なかった。

 それどころか、逆にこちらを見つめられる形となって、慌てて視線を隠す。そして、不自然にならないように、注文するものを決めた。

 私は月見そば、雄勝さんは山菜そばを頼んだ。

 そして、場繋ぎがてらに聞いてみる。


「あの、なんで山でそばなんですか?」

「え、あぁ、えっと……秘密!!」


 なんでちょっと恥ずかしそうに言うんですか……。私も照れてしまうじゃないですか……。

 でも、そうやって石部金吉みたいな表情が崩れるのが、ほっこり温かくて、嬉しくて。

 その温もりは、運ばれてきたお蕎麦でも温められないところを満たしてくれる。


「それにしても、クリスマスにお蕎麦を食べるなんて、何だか年越しそばみたいですね」

「ごめん、不満だった……?」

「そんなことないですよ! ただ、普通のデートとは違って新鮮だなぁ、と!」

「普通のデートじゃなくてごめんね……」

「だから! そういう意味じゃないですっ!」


 昨日で恋人同士になれたのに、雄勝さんはどこか遠慮気味な感じがする。

 それは、私の奥底で嫌な波紋を広げる。

 でも、それは雄勝さんの優しさなんだろうと言い聞かせる。

 雄勝さんは普段からそういう謙虚な面も優しい面もある。あまり喋らないけど……。


「ごちそうさまでした!」


 お店を後にすると、すっかり日は暮れていた。

 食べて温まった体を、寒さがチクチク刺してくる。

 吐いた息は白い靄となって、どこかへ消えていく。


「神社、寄って行こうか」

「今度は前倒し初詣ですかぁ〜!?」

「いや、合格祈願のつもりなんだけど……」

「あぁ……なるほど」


 赤い鳥居をくぐり、狛犬の脇を抜けていく。

 山の上とはいえ開けた場所という事もあり、公園にあるような街灯がチラホラ立っている。

 境内は、まるでドラマのセットのような雰囲気だった。

 私たちはその舞台を、賽銭場所まで歩いていく。

 チャリーン、と銭の音。二人で一本の鈴緒を揺らして鈴を鳴らす。

 2回礼をして、パンパンと手を打って、最後にもう一度礼をする。

 合わせた手を元に戻して雄勝さんを窺うと、丁度目が合った、というより顔が合った。


「あ、えっと……」


 何かを言わなきゃいけないと思ったのか、後頭部を触りながら言葉を探している様子。

 私はどんな言葉をかけられるのか、その言葉を待った。


「俺、真剣に考えてるんだ」

「ん? 何をですか??」

「俺と、虹里さんのこと……」


 その時吹いた一陣の風がやたらに冷たくて、境内の外灯の光さえ身震いしているようだった。

 恐らく、植え込んである木々の枝が外灯の光に触れて揺らめいたのだろうが、私には光さえも震える力を持った風に感じたのだ。


「俺は、今日見た映画の王子かもしれない」

「え? どういう事?」


 王子……。

 今日見た映画の王子、国民に相手にもされない王子、白い少女と出会って変わっていく王子、国民に期待されて白い少女を処刑する王子……。


「俺は、誰からも期待されていない。大人としても出来が良いとはお世辞にも言えない。だって30でアルバイターだぞ? ありえないだろ。歳の上では良い大人なのに、全く大人じゃない」

「そんな事ないです! 私、雄勝さんは素敵な大人だと思います!」

「そういう事を言ってくれる虹里さんが、俺には白い少女に見えるんだ」

「私が、白い、少女……」

「うん。きっと、俺は虹里さんといれば、少なからず変化が起きると思う。それは、ある意味成長なんだろう。でも、周りはどう見るだろうか? 例えば、虹里さんの親御さんやご友人が見たら? きっと援助交際とか、騙されてるとか、言われてしまうんじゃないかな?」

「援助交際じゃない! 騙されてなんか……ないもん」

「今は良いかもしれない。こうしてデートみたいな事をして楽しければね。でも、いずれは、身近な人から別れる事を提案されるかもしれないし、そういう雰囲気になっていくかもしれない。そんな時、俺は虹里さんに辛い事を言わなきゃいけないかもしれない。映画の王子が、白い少女にしたように」

「周りは、関係ない!」

「それでも、後ろ指を指されるのは、俺なんだよ……」


 なんで? どうして? 昨日、恋人になれたと思ったのに……。

 どうして、そんなにダメなの?

 何がダメなの?

 雄勝さんは、私の事、好きじゃないの?

 その疑惑は驚くほどの速さで私を浸食した。


「うそつきっ!」


 正面に立つ大切な人を思いっきり突き飛ばした。

 うわっ! っと、派手に尻餅をつく雄勝さんから逃げる様に、私は走り始めた。


 うそつきうそつきうそつき!

 嫌い嫌い嫌い!


 必死に嫌悪の言葉を並べても全く無意味だった。

 それどころか、更に昨日の出来事ばかりが蘇り、涙が溢れ出す。

 私の中で生まれた嫌悪達は、足を動かす原動力としてしか効果がなかった。

 なんで? 昨日のデートは? ショッピングは? 夕食は? ゲーセンは?

 あの、暗闇の中でした、二人だけの秘密のキスは?

 全部、うそ?


 そう思ったところで足が止まった。

 神社を後にし、山道も駆け下りるところまでは良かったもの、何せ周りは収穫の終わった田んぼ畑だ。街灯なんて殆どなく、来た道も合っているかどうかすらわからない。

 とりあえず、走る事をやめて徒歩に切り替える。

 そうする事で、登っていた血の量が適量に戻る。俗に言う頭が冷えたというやつだ。

 冷静になって、今一度雄勝さんの言った事を振り返る。


「あぁ、私、何も見えてなかったんだ……。」


 私と雄勝さんが付き合えば、いくら私が雄勝さんを好きでも、傷つくのは雄勝さんなんだ。

 私は、他の人が知らないような雄勝さんの良さを知っている。でもそれは、逆に言えば他の人には雄勝さんの良さがわからない事になる。

 雄勝さんの良さを知らない他の人が、私達二人を見る。すると、どう思うだろうか……。

 雄勝さんの言った通り、雄勝さんに疑いの目や批判なんかが出るかもしれない。

 私も「あんな人と一緒にいるのはやめなさい」と、引き剥がされるかもしれない。

 ただただ好きという感情にに踊らされて、突き動かされて、泣かされて、私って本当に身勝手だ。自分の「好き」という気持ちで好きな人を傷つける事になるだなんて、考えもしなかった。

 私はわがままな子供で、雄勝さんは私よりも断然大人だった。

 そりゃあ、私と付き合って傷つくなら、付き合わない方が良いよね。というよりは、そもそも……。


「まだ、好きって言われた事無いもんなぁ……」


 あの時のキスの様に、暗闇はこの涙も秘密に隠してくれるだろうか。

 出来れば、私の中に降り積もった想いごと、隠し去って欲しい。

 でも、心のどこかで、手放したく無いと願ってしまう。

 立ち止まり、はぁ、と手に息を吹きかけ温める。

 やはり薄っすら見える息とともに、温もりも消えていく。


 それを数回繰り返すと、人影がこちらに走ってくる事に気付いた。

 よし、帰り道を聞こう。そう思い、「あの……」と声をかけると、程よい距離を保ってその影は止まった。

 影が止まった刹那、再び風が冷たさを叩きつける様にかけていった。

 しかし、この風は光を運んできた。

 街灯や懐中電灯などの人工物ではない光……それは、月だった。

 今まで雲にかかって見えなかった月が顔を出し、辺りを照らしていく。

 影も月によって正体があらわになる。


「探したよ、虹里さん……」


 私は再び頭に血が上る。

 今度は雄勝さんの胸に飛び込み、ポコポコ叩いた。


「ばかっ! ばかばかばか!」


 自分でも何を言っているのかわからなかった。

 私が発した「ばか」の行き先が不明なのに、雄勝さんの胸に思いっきり八つ当たりをしている。

 それを黙って、雄勝さんは受け続ける。


 やがて叩きつける気力がなくなり、足の力が抜けて体が重力に吸い込まれそうになる。

 咄嗟に雄勝さんは私を抱きしめるように、体を支える。


「落ち着いた?」

「どうして、こんなに、早く、見つけたの?」


 私は泣き止まない内に喋ったからか、言葉がつぎはぎになる。その点では、まだ落ち着いてないのかも。

 それを察したのか、雄勝さんはゆっくりとした口調で話し始めた。


「見つけられたのは、俺が小さい時ここら辺に住んでたから。こういう暗いところでも、よく目が冴えるんだ」


 そういえば、昨日のキスもだいぶ暗かったのに、きっちり私の唇を捉えていた事を思い出す。


「それに、俺の話はまだ終わってない」

「へぇっ?」


 私は、急に涙が止まってキョトンとしてしまう。

 顔を見上げると、目があって、雄勝さんは顔をそらした。

 雄勝さんに体を預けっぱなしだった事に気付き、慌てて離れる。


「俺は、好きと言って貰えて嬉しかった、今まで言われた事なかったし、これからも言われないだろうと思ってた。誰かと付き合う事になっても、結局は馴れ合いで終わる事も考えてた」


 私は、雄勝さんがこれから言わんとしている言葉を考えてみる。

 しかし、まだどこかが麻痺して少し放心状態だ。

 考える事より、目の前の出来事と声が嬉しくて、ただまっすぐ見つめる事しか出来ない。

 雄勝さんは目を合わせてくれないのだけれど。


「でも、虹里さんが好きと言ってくれたから、俺の中で色々なものが組み変わってしまった。初めて女性から必要とされたっていう事が、信じられなくて、俺で良いのか?って、ずっと考えてた。でも、そうやって考える冷静さを押しつぶすぐらいの勢いで、虹里さんが愛おしく思えてきたんだ。俺は更に考えた。この愛おしさは単なる下心かもしれない、そのうち俺自身が虹里さんを傷つけるかもしれないって。だから、その葛藤に、俺は終止符を打つ」


 私も、雄勝さんも、同時にゴクリと息を呑む。

 そして、まっすぐな目が私にピタリと合う。


「虹里さん! 好きだ!!」


 初めて男の人から言われた「好き」という言葉。

 好きな人から欲しかった、一番の言葉。

 その言葉で、今、私達はつながったのだ。

 あぁ、なんて心地いいんだろう。とても良い。ヤバすぎて文字に表せない。

 でもそれで良いや。これは他の人に伝えられなくたって良い。

 私が感じている事が全てだから。


「……私も」


 今度は、雄勝さんの背中に手を回し、思いっきり抱きつく。

 雄勝さんは、それをしっかり抱きとめる。


 二人で抱き合った。

 私は、とてつもなく嬉しくて、好きな人に好きと言われて、声を上げて泣いてしまった。

 時間帯は夜だが、周りは田んぼしかない。構うものか。私は今、人生で一番嬉しい瞬間なのだ。思いっきり泣いたって良いじゃないか。

 雄勝さんは泣いている間も優しく、そして決して離さないように抱きしめてくれた。


 しばらく抱き合った後、私が完全に泣きやんでから、手が解かれた。

 そして手と手が繋がれて、駅へと歩き出す。

 好きな人と抱き合った後というものは、体が火照ってしまうものなんだなぁ。知らなかった。

 冷静になった私は、一応確認をしてみる事にした。


「今後、どうするの? 私のせいで、傷つくかもしれないのに……」

「それは気にしなくて良いよ。俺は大丈夫だから。それに、大学が県外で卒業したらっていうのも良いアイデアだと思う。もし、そうなれば、ちょっと年上のお兄さんってことで、良くなるんじゃないかな?」

「自分で自分の事お兄さんって言う? さっきは大人じゃないー、とか言ってた癖に」

「お兄さんと大人は別だろう」

「まぁ、私が好きなのは雄勝さんだから、大人だろうが、お兄さんだろうが良いですけど」

「照れるからやめろぉ……」

 

 ふふっ、やっぱり、雄勝さんって面白いなぁ。

 色々考える程真面目なのに、時々そうやって他の人には見せない表情をする。

 あの、事故になりそうだった所を助けてもらってから、まだ私だけが知っている一面だ。

 そんな私でも、どうしてもわからないことがあった。


「あの、どうしてこの人里離れた場所でデートしようと思ったんですか?」

「え? やっぱり不満だった?」

「不満というか、単なる不思議です。好奇心、みたいな……」


 雄勝さんは、少し考えた後、恥ずかしそうに話始めた。


「えっと、あの神社で合格祈願をした理由はね……。虹里さんは覚えているかわからないけど、事故に遭いそうになった時があったじゃない? あの時は……」

「覚えてます! 助けてもらいました!」


 忘れる訳ない。私にとっては、大切な思い出の一つと言っても過言ではない出来事だ。


「お、おう、そうか! で、その時、俺はこの神社のお守りを持ってたんだ。だから、この神社ならちゃんと効果があると思ったんだ。大学に受からなければもっと一緒にいれるかもしれないけど、合格しないで欲しいと思われるのは嫌だから。はい、これ」


 そう言って差し出されたのは、合格祈願のお守りだった。

 私は空いている手で紐の部分を掴んで眺める。

 でも、話を聞いていると、少し不思議な点がある。


「でも、お守りの効果って一年限定じゃなかったですか? ここら辺に住んでいたのは子供の頃なのに……」

「子供の頃のお守りでも、効果があったからだよ。だからきっと受かる」

「ありがとう……」


 私はお守りをバックにしまおうとした、その時、雄勝さんへのプレゼントを渡していないことに気付く。


「あの雄勝さん、これ……」


 少しぎこちない動きで、綺麗にラッピングされた箱を取り出す。


「メリー、クリスマス……」

「え! 俺に!?」


 私は、昨日雄勝さんにプレゼントされた時と同じセリフを使ってプレゼントを渡した。

 そういえば、このように驚く顔もレアだなぁ。


「俺、女の人にクリスマスプレゼント貰うの初めてだ……」


 子供がサンタさんからプレゼントをもらった時のように喜ぶ姿が、普段の雄勝さんからは想像できないもので、こういう姿も独占しているのだと心の中で得意気になる。


「開けて良い?」

「どうぞ……」


 箱の中身は、ヘ音記号のネックレス。昨日、雄勝さんがプレゼントしてくれたト音記号に合わせて、選んでみた。


「ヘ音記号かぁー、これ、俺がプレゼントしたやつに合わせてくれたの?」

「さすが! 察しが良いですね!」

「ありがとう!」


 また、薄っすらと顔のしわがクシャっとなり、堅物が笑顔になる。正直言ってずるい。


「でも、大学に受かったら4年ぐらい離れてしまうんですよねー……」


 私は、雄勝さんの笑顔に溶かされてしまう前に、話題を逸らした。


「あぁ、えっと、山に来た理由、実はもう一つあるんだ……」

「そうなんですか?」


 雄勝さんは、また恥ずかしそうに話を始める。


「うん、あの夕食で行ったお蕎麦屋さんさ、蕎麦を作る時に、そばの実を煎る工程があるみたいんだ」

「それで?」


 チラリとこちらを見てから視線を元に戻す。

 何やら勿体ぶっている様にも見える……。


「『』って、ことで……」

「ぷっ! なにそれ!! ただのダジャレじゃない!!」


 私は、つい吹き出してしまった。

 言葉の意味と同時に、ダジャレが組み合わさって、妙な破壊力がある。

 ほんと、普段真面目なのに突然ボケをかましてくるのは反則……。

 あぁ、でも、ボケじゃないか。


「そんなに面白い?」

「いや! ごめんです、超面白いです!」

「ならいい」

「あ! ひょっとして拗ねました!? 拗ねちゃいました!?」

「拗ねてない」

「やっぱり拗ねてるじゃないですかぁ〜!」

「拗ねてないってば!」


 そんなやりとりをしながら、駅に到着した。

 時刻表では、次の電車は30分後のようだった。


 駅の構内は明かりが付いているので、お互いの表情がよく見えるようになる。

 ホームには誰もおらず、何も喋らなければしんと静まり返り、冬の肌寒さが主張を激しくする。

 はぁ、と吐いた息は相変わらず何処かへ去っていく。

 また少しだけお話をしたくなって、話しかける。


「あの、やっぱり、人里離れると、星が綺麗ですね」

「あぁ、そうだなぁ。ここで、星座の一つでもなぞることが出来れば良いんだろうけど、あいにく知識がなぁ……」

「別に良いです。二人で綺麗な星空を見上げる。それだけで、幸せです」


 今日はロマンチックな事は殆どなかったけど、こういう事が最後に残っているなら、終わり良ければなんとやら、です。

 私は、この二日間を忘れない。この時間を二人だけの思い出にしたい。


「琴音……」


 えっ、今、名前……。

 不意に、唇を塞がれる。

 私は固まって動けなかった。

 そして、ゆっくりと唇が離れていく。


「ちょっと、時と場、考えて下さい、よ……」


 セリフが尻窄みになってしまう。

 こんな強引にキスされるなんて。しかも下の名前を呼んで……。

 あぁ、もう、ずるい……。

 こんな男らしい所見せつけられるのも久々だし……。


「ごめん、どうしようもなく可愛くて、愛おしいと思ったから……。ほんと、ごめん」


 顔を背けながらの謝罪、本来だったら許さない所ですけど。


「特別、許します……」


 昨日は街の暗闇に隠したものを、今度は人里離れた駅のホームにて、星空のたもとに隠す事となった。

 でも、その時と違うのは、二人だけでなく燦然と輝く星々が見守っていた事だった。


 昨日、雄勝さんは何かを祈るような、願うような表情で空を見上げていた。それはきっと、私には見えない、想像もつかないことを考えていたのだと思う。

 ただ、クリスマスの魔法が私たちに奇跡をくれた事が、最高のプレゼントに思えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

年の差ハッピークリスマス!(後編) 芦ヶ波 風瀬分 @nekonoyozorani

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ