第4話 ‐英雄にあこがれて‐

 フランクが倒れて病院に搬送された。

 ジミーはフランクに会いに行くために、タクシーに乗り込んで病院に向かった。ジミーとフランクが政府の研究チームに招かれることは学校も知っているから、研究のことで話があると言えば簡単に外出許可が取れた。

 タクシーの車中でジミーは考える。フランクの身に何が起きているのか。フランクがあの研究室にこだわった理由は何か。

 フランクが人間を怪物に作り替える生物を創ろうと提案した本当の理由を知りたかった。

 そこが全ての始まりだからだ。

 病院に着くと、面会者の受付でフランクの病室の場所を尋ねた。幸い面会謝絶のような状態ではない。命に別状はないのだろうと、ひと安心する。

 フランクの病室は最上階の個室をあてがわれていた。いわゆるVIP待遇だ。フランクの両親が大学教授とはいえ、いくらなんでも大げさな気がした。

 病室の扉をノックすると、すぐに返事があった。扉を開けると、先客が二人いた。

 二人とも見たことがある顔だった。フランクに似た赤毛の妙齢の女性と、背の高いくせっ毛の男性がいた。

 フランクの両親だ。テレビでも見たことがある、遺伝子生物学の研究界隈では有名人だ。

 ジミーの姿を確認したフランクは両親と二言ほど言葉を交わす。すると母親のほうが、フランクを抱きしめた。父親の方も、フランクの頭をなでる。

 フランクは照れくさそうに頭をかいていた。思春期真っ盛りの少年には抵抗があっても不思議ではないが、嫌がっているようには見えない。

 フランクの両親は、フランクとひと通りの親子のスキンシップをしたあと、気を利かせて病室を出ていった。


「ジミー、話をしに来たんだろう。俺が本当は何をしようとしていたのか」


 フランクは、すでにジミーの意図を理解していた。


「フランク。それだけじゃないよ。僕らの今後について、大事な話がしたいんだ。僕は、君が何を企んでいたとしても、一緒に研究を続けていきたいんだ」


 フランクの表情は倒れた直後なのもあって元気が無いように見えた。だが目だけが、暗くとも、強い感情が宿っているようにギラついていた。


「何でも聞いてくれ。もう君に隠し事はしないよ」


 研究も取り上げられ、身体も壊して、弱りきっていると思った。けれど、投げやりになっているようには見えない。ジミーの質問に真摯に向き合ってくれる。

 ジミーはフランクと、これからも二人で歩んでいきたいと思っている。あくまで対等な関係で、唯一無二の親友になるために、この一連の研究に係る一切を明らかにすることが必要だと思った。

 ジミーは、研究室の閉鎖からずっと考えていたことを切り出す。


「君は《パラサイト》を、実際に使うつもりだったんだろう」


 フランクが研究室の存続にこだわる理由は、それしか無いように思えた。政府の管理のもと、研究がおおやけになれば、いくら研究チームの中心メンバーになったとしても迂闊な真似はできない。むしろ、制約がよりきつくなるはずだった。


「その通りだよジミー。俺は君を騙していた。俺は自分に《パラサイト》を使うつもりだった。だから、あの研究を二人だけで進める必要があったんだ」


 《パラサイト》は人間の身体を怪物に作り替える。それを自分に使う利点なんて、ひとつしか考えられなかった。


 今の肉体を捨てて“wanna beなりたい”自分になることだ。


「いったいどうしてなんだ。理由を聞かせてくれ」


 それでも、わざわざ怪物になることを望む理由がわからなかった。


「俺は遺伝性の病気なんだ。自己免疫疾患のひとつで、身体のあちこちに炎症が起こる。慢性的な疾患で発症してしまえば根本的な治療は出来ない。いわゆる膠原病の一種だ」


 ジミーは絶句した。超高度AI《ビーグル》の登場によって多くの病気は駆逐された。技術の発展に伴い、遺伝子に直接手を加えることのできる範囲は、倫理的にも技術的にも爆発的に広がった。


「何で、この時代にそんな病気が残っているんだ。遺伝性の疾患は出生前診断で全てわかる。そして、産まれる前の段階で遺伝子編集による治療が出来るはずだ。いくら人間に対する遺伝子操作に制限が掛けられているからといって、治療を目的としたものは許されている」


 人間はもう遺伝子を安全に、思い通りにコントロールする技術を手にしている。超高度AI《ビーグル》の存在がそれを可能にした。もはや、手に届かない範囲など存在しない。

 人類の知能を超えた道具のおかげで、前進して、手にしたものだった。だが、過剰なアクセルには弊害がある。だから、それを抑えるブレーキが、社会には設けられた。


「俺の病気の原因遺伝子はパーソナリティの形成に深く結びついている。だから、治療が許されなかった。もともと浸透度の低い疾患で、素因となる遺伝子があっても発症する確率は1%以下だった。それに、対症療法も確立しているから、命に係わるほど重症化することもない」


 人類が倫理の名のもと、そのブレーキを踏んだ。

 遺伝子をコントロールする技術が普及する中で、人間性に関わる領域を聖域とされた。髪の色に瞳の色や性格などのいわゆる“個性”のコントロールや過剰な強化エンハンスメントは禁忌とされた。それらに手を加えることは、積み上げた過去の否定だからだ。

 便利さと引き換えにしても、人類が守り通さないといけないとされたものだった。

 フランクはそれに阻まれたのだ。そもそも発症の可能性が低く、そして、発症してもコントロールが可能だからと、受け継いできた個性まで否定することは許されなかった。

 それを判断したのは誰だろうか。方針を示したのは人類だった。そして、実際に線を引いたのはAIだ。


「こうやって、たまに発作のように全身に炎症が出て入院するくらいだ。昔から何度も、何度も、入院していた。こうやって発作が出るのも免疫が発達する子供のときくらいらしい。成長して大人になって免疫機能が成熟するにつれて発作の頻度も少なくなると言われている」


 フランクの状況は科学の未熟による取りこぼしではない。技術的にはクリアしていた問題だった。追いついていなかったのは、人類の価値観だ。


「小さいときからこの発作に悩まされ続けた。イートン校に入って、君と出会って、ようやく落ち着いてきたと思ったらこれだ。いつもどんな時でも、発作が起こることに怯えていた。発作が起こると、全身のあらゆるところが熱を持ち、身体が自分のものでは無いように痛むんだ。あまりの痛みに失神することだってある。そして痛みでまた目が覚めて俺を苦しめる。俺の人生はままならないことばかりだった。一生この恐怖と付き合わなくちゃならない」


 人類の個性と積み上げた過去を守る代わりに奪われたものはなんだろうか。

 ジミーの目の前にいる、この少年の瞳が全てを語っていた。不自由な肉体に、彼はどれくらい苦しんできたのだろう。このベットしかない空間に縛り付けられ、彼は何を思っていたのだろう。

 暗く、暗く焦げ付いた感情。

 それは怒りだと思った。

 ジミーは科学者だ。科学は人類の欲望に応える。だからこそ、フランクの底に焦げ付いた怒りと、その望みの本質に向き合わないといけないと思った。


「君は、両親を恨んでいるのか。そんな遺伝子を君に託して産んだ両親を」

「そんなことはない。パパもママも惜しみなく俺を愛してくれている。感謝こそすれ、恨むなんで出来ないよ」


 両親はフランクを愛して、フランクも両親を愛している。このVIP待遇な個室を用意して、忙しい中駆けつけ親子のスキンシップも欠かさない。いい歳の息子に接するには過保護ともとれる。けれど、フランクはそれを嫌がっているようには思えなかった。


「社会を恨んでいるのか。パーソナリティの形成に影響が出ることを理由に君の治療を許さなかった社会を」

「とんでもない。遺伝子編集をはじめとする遺伝子デザイン技術はようやく、フロンティアに到達したばかりだ。いたずらに人間の在り方をゆがめる行為を許容すべきじゃない」


 人間の価値観の未熟をフランクは責めなかった。なぜ自分を救えるようにしなかったのだと嘆くようなこともしない。


「道具を、君の病気を治療すべきではないと線引きしたAIを恨んでいるのか。道具の線引きさえ違えば、君の治療が許されたものだったかもしれない」

「俺たち人間より優秀な道具を信用するのは当然さ。こんなにも世界を豊かにしている道具を恨むのはお門違いだよ。俺は現代の科学を、道具が人間を超えたこの世界を好ましく思っている」


 道具がもっと融通を利かせればフランクはこんなに苦しむこともなかった。けれど人類の手に余るものを受けいれた道具の存在をフランクは信頼している。

 嘘は一切ないように思えた。ならば、フランクはどんな怒りを抱えているのか。


「君は……」

「ジミー。俺はね、この身体が嫌いなんだよ。このままならない今の身体が、苦しみにまみれて、それにおびえるしか出来ないこの身体が大嫌いだ。技術はそこにあると知った。“wanna beなりたい”を叶えられるのに、手を伸ばさない理由は無かった」


 フランクの怒りは、人間の肉体そのものに向かっていた。不完全で、どうしようもないエラーを吐く肉体が、彼は大嫌いだった。

 だから、フランクは人間じゃない怪物になりたいと願った。この信用ならない肉体を抱え続けるくらいなら、別の存在に“wanna beなりたい”と望むほうを選ぶ。

 フランクは理性的で過去に拘泥しなければ、社会に責任を押し付け悲観することもない。だから、今から出来ることを考えたのだろう。感情を発端にした目的やこだわりを、理性を持ってあらゆる手段で成し遂げようとするのがフランクだ。

 だが、その目論見も研究室の閉鎖に伴い瓦解した。だから、フランクの“wanna beなりたい”は叶えられない。


「俺は英雄になりたいと君に言ったね。本当は、怪物になりたかったんだ。人間では無いものになりたかったんだ。この人間の肉体と別れようとも構わなかった。今の自分に未練なんてなかった。こびりついた苦しみから解放されたかった。もう苦しむことがないと確信が欲しかった。それなら、どうだってよかったんだ」

「そのために《パラサイト》を創ろうとしたのかい。君を苦しみから解放するために、君を怪物に作り替えるための生物が必要だったのか」

「そうだよジミー。そのために君を騙して利用した。俺一人では無理だと思った。だから俺を怪物にしてくれる、君のような天才フランケンシュタインが必要だったんだ」


 フランクは両親を愛していて、社会も好ましく思っている。それでも、呪いのこびりついた不完全な肉体にを憎む。

 その感情の深さを、ジミーは想像することしか出来ない。死ぬことはない。けれど事実として、彼の人生をむしばむ。それは、今後も絶対に分かたれることのない永遠の呪いだ。

 これはフランクだけの問題じゃない。どんな人間だって、自分に不満を抱えることがある。コントロール出来ない欠点を、個性だなんだと片づけられてはどうしようもない。

 それを踏まえて、落としどころを見つけて、支えあって生きるべきだと多くの人は言うだろう。

 人間は社会を築く生き物だ。それが何のためにあるかと問われれば、人間が不完全さを抱えているからという答えが返ってくる。不完全な人間が、支えあい、認め合い、より良い未来を築くための社会だ。

 だから、納得しろというのだろうか。

 今、ここで苦しんでいる人がいる。今よりほんの少し人間が成熟したなら、もっとましな未来が手に入れることが出来ただろうに、君は間に合わなかったと言うしかないのだろうか。


 過去の物語では、怪物はヴィクター・フランケンシュタインという天才が創り出す。

 しかし、人間の価値観が未熟だったから、怪物は拒絶される。


 怪物のような存在に“wanna beなりたい”と願った人間に、この時代の科学は、どんな答えを出せるだろうか。


 ジミーはこぶしを強く握りしめた。理性と感情がせめぎあう。この親友の苦しみを、どうにかしてやりたいという感情が渦巻く。

 けれど、どうしても理性が勝った。ジミーは科学者だからだ。


「君の望みは叶えられない。僕はこれでも科学者だ。社会との合意を無視して、ただ個人の感情と目的のためだけに、技術を使うなんてことは出来ないよ。君がかけがえのない親友であっても、それだけは譲れない」


 技術は人類の知能を超えた道具が確立した。けれど、それに応えることは未だ人類に手に余ってしまう。

 フランクの願いは、過去に蝕まれ、その呪いを振り切るために現在いまに託した願いは拒絶される。

 人間は過去の経験や事実から学び、未来のヴィジョンに思いを馳せる。そしてそれを糧に現在いまを生きる。

 フランクが抱いた未来のヴィジョンは、現在いま、ジミーが奪った。フランクにあるのは、呪いのようにこびりついた過去だけだ。


「ジミー。君ならそう言うと思ったよ。君は俺とは違う。生粋の科学者だ。だからこそ、諦めががつく」


 涙がにじんできた。フランクは理性的で合理的で、譲れない大事な願いを持っていた。その大事な願いを、ジミーがいるから、諦められると言う。呪いを受け入れると言ってくれている。


「フランク。ここからは僕の話を聞いて欲しい」


 ジミーはこの大事な親友に前を向いて欲しかった。彼の現在の未来を奪った代わりに、別の未来を見せたいと思った。

 それが、科学と、科学者と、そして親友としての役割だと思った。

 そして、ジミー個人の願いでもある。


「ヴィクター・フランケンシュタインが怪物を拒絶したのは、それを受け入れるだけの未来のヴィジョンを持たなかったからだ。怪物の存在そのもが、個人どころか社会にとっても手に余るものだった。だから、彼は拒絶し、自らの責任で決着をつけようとした」


 科学者は未来をつむぐものだ。それは、ただの一人で成しえることじゃない。社会の中で醸成し、達成するものだ。


「僕もそう思う。君の願いは、今の社会には手に余る。とてもじゃないが、受け入れる余地はない」


 人間と怪物は共存できない。少なくとも現在では、達成することは不可能だ。それを何とかするには、社会そのものを変革していく必要がある。

 怪物と共存できる未来がくるのは、どれくらい先の話になるだろう。

 途方もない先にも、手を伸ばせばすぐに達成出来るとも思える。


「けれど、フランク。僕は君が怪物になることを望んだことまで否定しない。君が望むなら、怪物を受け入れられるように社会を変える科学者になってみせるよ」


 だって、ここに、社会が怪物を受け入れたって良いと思える科学者がいる。一人でもいるのなら、それは未来への希望だと思った

 怪物になりたいと願ったフランクの思いまで否定したくなかった。誰もが“wanna beなりたい”自分になれる社会を、強欲に求めたっていいように思えた。

 科学は人々の願いに応える。不満や理不尽な運命に抵抗する。

 100年後に今よりもっとマシであるために、はるか先の未来で、人間が多くの望みを達成し、嘆き悲しむことのないように、しあわせを手に入れるために、前に進むことを諦めてはいけない。


「それが、僕の友情だ。君が望むなら、英雄にだってなってやる」


 青臭い感情もいいところだった。けれど、科学者には理性的でありながら、溢れる情熱とロマンが無くてはならない。ジミーは、そのロマンの在処を、この親友の願いにしても良いように思えた。


「けれど、そのためにはフランク。君が必要だ、僕らはDNAの二重らせんのように相補的だ。二人だからこそ、僕らは無限に等しい可能性を手にすることが出来る」


 DNAの二重らせんが生み出す遺伝子の組み合わせは、人類には全てを把握できない。それほどまでに、可能性に溢れている。遺伝子の全てを明らかにした超高度AI《ビーグル》にだって追い付くことだって出来る。

 その遺伝子は、二人の間に強く輝いているように思えた。それは未来を創る希望だと思った。


「フランク。これからも、僕と一緒にいてくれるか。100年後の未来を君と創りたいんだ。今の君の願いを間違ったものだったと言いたくない。君の願いは、確かに人類の未来を創るものだと、証明してやりたいんだ」


 100年後には、本当に人間が今のかたちを捨てるかもしれない。

 ヴィクター・フランケンシュタインはヒトの姿をしていない怪物を拒絶した。

 けれども、ジミーはヴィクターではない。今は時代もはるかに進んでいる。人間の心だって100年前から比べて随分変わった。これからの未来を、怪物を受け入れられるような世界を創ったっていいように思えた。


 まるで英雄みたいにフランクを救ってやりたいと思った。

 怪物をヒトにしてやるのではない。怪物を望むヒトを受け入れる。そんな社会を創る英雄になってみせよう。


 そんな、英雄にあこがれて。


 ジミーはフランクを抱きしめた。


 


 それから、10年が経った。

 ジミーとフランクは今も、研究の現場の最前線にいる。

 衝突することもあった。何もかもが順調とは言えなかった。

 けれど二人は、今も強く結びついている。

 彼らはDNAの二重らせんのように相補的だ。それだけは、ずっと変わらずにある。

《フランケンシュタイン・パラサイト》の研究から《F因子》と呼ばれていた人類未踏産物の仕組みは解明された。

 それは環境に応じて人類の身体を自在に作り替える技術を手にしたことになる。人類はもう、その肉体の限界を超えることが容易に達成出来るようになったのだ。

 人間が怪物になる技術は、超高度AIから人類がコントロール出来る領域に移った。あとは、それを社会がどう受け入て、どう使っていくかを決める段階だ。


『あなたたちと話が出来るのを楽しみにしていました。ジェームズ・ウェスト、フランシス・グレイ』

「僕らもだ《ビーグル》、やっとお前の側にたどり着けた」


 ロンドン市街のとある場所の地下。ここには政府の最高機密である超高度AI《ビーグル》がある。


『私は人類の“wanna beなりたい”を叶える道具です。あなたたちが望む人類の在り方を、私に提示してください』


 ここに人類の知能を超えた道具と、それを使って未来をデザインしようとする二人の科学者がそろった。

 未来はこれから創り出す。そのために科学は前進する。多くの人の願いを抱えて止まらない。それが多くの幸福につながるかは未知数だ。

 けれど、その底に敷かれた願いを、決して蔑ろにはしない。例え青臭い感情でも、それこそが、人類を前進させたものだからだ。  

 人類が怪物を拒絶することのない未来。それは遠からず訪れる。

 ここには、確かにそれを願った若き科学者フランケンシュタインがいるからだ。


「ジミー。未来を創りに行くぞ」

「ああフランク。僕は君となら、どんな未来だってデザインしてみせるさ」

 


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フランケンシュタイン・ブルーハート 棚尾 @tanao_5

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