第6話 ガールズ軍団
私が目を覚ました時には、カーペットの上に横になっている人は、あまりいなかった。どうやら朝になったらしい。
(レイは……)
隣に彼女の姿はなく、そこには、人一人分の空間があった。
(もう、行ったのか……)
立ち上がって、出口の方に向かっていると、キャンキャン吼える、甲高い女の声が聞こえた。
ロビーを覗いてみると、白いジャージの小柄な子が、文字通り、キャンキャン吼えたてている。
吼えられているのは、レイだった。
「レイ、どうして学校から抜け出したのよ。みんな心配しているよ」
長い髪をツインテールにまとめた少女は、頬をふくらまして、ぷりぷり怒っていた。どこかで見た顔だと思ったら、よくレイと一緒に登校して来る、そばかすの子だった。
「だって、あそこは女ばっかりじゃん。女の臭いがプンプンするじゃん。オレ、あんな所じゃ眠れないよ。いくら寝袋があってもさ」
レイは、たじたじになって弁解している。
「だからって、あたしに黙って行かないでよ。見損なったわ。友達だと思っていたのに!」
「なにも、そう怒ることないじゃん。オレ、いつだって、ユキの友達だよ。学校を出る時、一応お前を探したんだよ。でも、見つからなくてさあ……」
「ふん!『一応』……なのね」
ユキと呼ばれた子は、プンとそっぽを向く。レイは弱ったように頭を掻いた。
その様子を、会社のおねえさま方が、興味深そうに見守っている。彼女たちは昨夜、眠らなかったのか、赤い眼をしていた。
私が顔を出すと、互いに目配せして、意味ありげな表情を見せた。
「芝さん、助けてあげなよ。お姫様が困っているよ」
さっそく森山さんが、からかうような声をかけて来た。
私は仕方なく、仲裁に入った。
「まあ、まあ、まあ。お嬢さんの言いたいこともわかるけどさあ、レイ君の気持も考えてくれないかなあ。ここは彼(?)の家みたいなものだからねえ」
すると、その子、ユキちゃんは驚いたように私を見上げて、額に小さなしわを寄た。
「なに、このオジサン?」
そこで、レイが私の肩に手をかけて紹介した。
「このオッサン、白馬の王子様だよ。多少、老けてるけどな。昨夜、オレを助けてくれた。シゲのやつから」
それを聞いたユキちゃんの顔が変わる。
「シ、シ、シ、シゲヨシ!」
丸い顔を歪めて、怯えたように叫ぶ。
「だから言ったじゃない。一人で出歩くなって。あん畜生は、悪魔でも平気で殺すケダモノなんだからね。今度から気をつけてよね。外に出る時は必ず、あたしか、メンバーに言うのよ。さあ、もうここに用はないでしょう。帰るわよ、学校に!」
ユキちゃんは、まくしたてるように催促する。
「ああっ、わかった、わかった。今、着替えて来るよ。玄関で待っていてくれ」
レイは逃れるように、突き当たりの扉を開けて、奥の部屋に消えて行った。残されたユキちゃんは、ギロリと私をひとにらみしてから、仏頂面で階段を下りて行った。
そばから一部始終を見ていた、おねえ様たちは(とても、愉快なものを見た)という顔をして、互いに笑い合っていた。
しばらくして、一階から松田社長が上がって来た。
「電車が動き出したそうだ。さあ家に帰ろう。今日、会社は休みにするよ」
彼の言葉に、皆、手荷物をまとめ、階段を下りようとした。ちょうどそこに、奥の扉が開き、紺のバッグを下げた、黒いセーラー服の少女が現れた。
彼女の背はスラリと高く、その肌は透き通るように白い。すっきりした面長の顔には、ショートカットの前髪がハラリとかかり、誰が見ても美人、いや、中性的雰囲気を漂わせた美少女だ。
「レイか?」
私は口をあんぐり開けて、その少女を見つめた。毎朝、店の窓から眺めているとはいえ、こんな近くから、彼女のセーラー服姿を見るのは初めてだ。
三人のおねえ様も、あっけにとられた様子で、近くに集まって来た。
「おお、オレよ。オレ以外の誰だってんだ。オッサン、目でも悪くなったか」
少女は乱暴な言葉を吐きながら、片手にバッグを提げ、おねえさんたちを掻きわけて、一階に下りて行った。その後ろ姿が、なんとなく寂しそうにも見えた。
(やつが、執着するはずだ)
おねえ様方も、納得したように、互いにうなずき合っていた。
レイの後から、社長を始め、会社の五人がゾロゾロ階段を下りて、外の境内に出る。すると、そこには、十数人の高校生らしき少女たちが、誰かを迎えるように並んでいる。その近くには、一足先に出て行ったユキちゃんが、ポツンと立っていた。
少女たちの服装は、ジャージあり、セーラー服ありとまちまちだが、私は彼女たちに見覚えがあった。なんと、毎朝、レイを取り巻いて登校して来る、あの女生徒たちではないか。
彼女たちは、レイの姿を認めると「わーっ」とか「きゃーっ」とかの奇声を発した。レイは「よお」と片手を上げて、その中に入って行く。
「これ、なんだい?」
私は、近くに立っているユキちゃんに、コソッと聞いてみた。
「レイのファンクラブよ。『水沢ガールズ』って、呼ばれているわ」
彼女は、おもしろくなさそうに、ブスッとした表情で答えた。
「へええ、これ……王子様みたいだね、レイ君は」
私が感嘆して見ていると、白い道衣に黒袴の少年(?)が進み出て、持っていた竹刀袋を振り上げた。
「先輩、みずくさいじゃありませんか。我々を置いて、一人で外出するなんて。それに、シゲの野郎と戦われたとか。惜しい! 自分がその場にいたら、叩きのめしてやったものを」
そして袋の帯を解き、一振りの木刀を取り出すや、黒光りのする剣先を天に突き上げ「やーっ!」と、鋭い気勢を上げた。
それに合わせてまわりの子も「おおっ!」と、こぶしを振り上げる。
「す、すごい! これ女子高生?」
「当り前よ。あたしたちは、来るべき戦いに備えて、毎日鍛錬しているの」
「鍛錬? 戦い? 誰と戦うの?」
私は頭に(?)マークをつけっぱなしにして、首をかしげた。
「もちろん、男よ!」
彼女はビシッ! と私の顔に指を突き出した。
「いい、この世は、あんたたち男がいるから不幸になるの。男は愚劣で、卑怯で、支配欲ばかり強くて、やたらと人を殺すわ」
彼女は、ありとあらゆる男の悪習を並べ立て「この世から、男という種がいなくなったら、どんなに平和になるでしょう……」と長嘆息した。
「そ、それも、そうだね」
ユキちゃんに気押されて、思わず相槌を打つ。
「そうでしょう!」
彼女はパッと顔を輝かせた。
「オッサン……いや、オジサン。なかなか話がわかるじゃない。どうぉ、あたしたちの仲間にならない? 女の社会を実現するために、男の中にも、協力してくれるシンパが欲しいと思ってたところなの。オジサンなら、事が成った暁には、市民の身分を保証してあげてもいいわよ」
そう言って、誇らしそうに胸を反らした。
「それは、どうも。その時はよろしく頼むよ」
私は彼女の胸の膨らみを、目の隅に入れながら、ていねいに頭を下げた。
後ろを振り返ると、そこには満面吹き出しそうにしている、三人のおねえ様方がいた。
「おい、ユキ、いつまでしゃべっているんだ。もう行くぞ」
女生徒たちの中から、レイの声がした。ユキちゃんが、あわててその中に入る。
「オッサン、ありがとな。生きてたら、またどこかで会えるかも」
レイは私に片手を上げると、ガールズ軍団を引き連れて、お寺の門を出て行った。
「芝さん、ついて行ったら。仲間に入れてくれるって」
森山さんの言葉に、女性たちの笑い声が、広い境内に響いた。
六月の初め、初夏の季節に入ると、事務所の中は閑散として来た。
男性社員は、すでにほかの会社に転職していた。今いるのは、社長を含めて五人。いずれも、避難所で一夜を明かした仲だ。
しかし、それも、今月でおしまい。この会社は、すべての活動を終えて消滅することになる。
私は毎朝欠かさず、例の喫茶店でコーヒーを飲んでから、築地の会社に向かった。歩道は、薄い夏用セーラー服に身を包んだ、女生徒たちであふれていたが、その中に、レイやユキちゃんの姿はなかった。
今日は六月の末日。みんなとは、これでお別れだ。もう会うこともないだろう。
最後だというのに、残務整理や室内の片づけに、とても忙しかった。終わったのは、夜の八時。社長を交えて、簡単にお別れの杯を酌み交わした。それから、各自、自分たちの手荷物を持って、会社を出る。
夜になっても、築地の街は多くの人が行き交い、海産物などを買いあさっている。私たちは、五人そろって、夜の築地をしばらく歩いた。
だが、やがて、おのおの自分たちの帰る駅の方に散って行った。
(完)
地震の夜・築地の少女 唐瀬 光 @karase3732
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