これ以上失くしたくないもの

阪木洋一

夏祭りの日に


 梅雨が明けたとなれば、本格的な夏の到来となる。

 日中は言わずもがな夏の陽射しが存分に気温を上昇させ、夕刻となってそれが柔らかくなったとしても、日中の余韻が大気に熱を維持させる。

 本日は特に猛暑日であったので、例えこのまま夜を迎えたとしても、涼しさとは無縁になりそうだ。

 こういう日は冷房の効いた屋内でゆるりと過ごしたいという人が大半であろうが。

 年に一度しか開かれない縁日の今宵、この場に集まる人々は誰一人としてそんなことを思っていないかも知れない。

 ――そして、私もその一人だ。


「やあ、士乃しのさん。来てくださったのかい? 光栄だねぇ」

「いえいえ、拝島はいじまさんには、姉がいつもお世話になっていますから」

「士乃ちゃん、今夜は無礼講だから、じゃんじゃか呑んでってね。折角成人したんだから」

「や……遠慮しておきます、明坂あかさかのおば様。アルコールはどうも……」

「おおぅ、士乃たんではないか、久しぶりだな。しかも浴衣姿とはまた、いいものを見れたのう」

正孝まさたかのお爺様、そんなこと言ってさりげなく私の尻ににじり寄ってこないでください。張り倒しますよ。容赦なく」


 とある高原の地に立つ神社の参道にて並ぶのは、急ごしらえの出店の数々。行き交う人の賑わいはまばらと言ったところだが、決して少なくはない。

 立ち並ぶ出店の主人や、参道を談笑ながら歩いて回っている人達から、次々と声をかけられる。

 今日は気分が乗っていたので、思い切って浴衣で出かけてみたのだが、ちょっと目立っているかもしれない。


「……浴衣なんて、あの日以来か」


 思い出すのは、数年前の祭りの日。

 普段、祭りでは浴衣を着ない私に、あいつが自分も着るからって、無理やり勧めてきて――



「ヘイ彼女、俺っちとロマンティック大統領も真っ赤に火照るラブに付いてトークしねぇかい? いいチチしてんなぁ、おい」



 と、ちょっとした思考に、いきなりかけられた声。

 声の主は知っている。ただ、普段の奴からは聞けないであろう内容の棒読みだったのには驚いたのだが。

 振り返ると、案の定、そこには私にとって馴染みの深い顔があった。


「おまえは一体何を言っているのだ、笈」

「む? とある書物でかじった西部方言の亜流なのだが。士乃には、どうも受けが悪かったように見える」

「見えるのではなく、そのまま受けが悪い。というより、おまえの冗談は笑えないものが多すぎだ」

「ほう、それだけブラックだったという意味か? あまりそういう要素を混ぜた憶えはないのだが……」

「ただ単に面白くないという意味だからな」

「……ふむ」


 困ったように首を傾げつつも、全然深刻そうに見えないこの男の名は、鐘鳴かねなりきゅうという。

 しっとり系の短髪と、老けた感のある整った顔立ち。元より背の高い私よりも更に上回る長身でありつつ、濃緑色の浴衣に浅葱色の羽織に包まれた体格は、全体を通して針金のように細い。そんな見た目ではありつつも、どこか言い知れない存在感が漂う、昔から食えないやつである。


「何か用か、笈。私は今、先達の方々への挨拶回りで忙しい」

「つれないことを言わないでくれたまえ、同期の桜よ。近くで見かけても声をかけない、などという薄い義理でもあるまい」

「……正論なのだが、声のかけ方に問題があることには突っ込んではいけないか?」

「ふむ、そこまで不評だったとは。後日、重三しげぞうセンセイに抗議文を送らねば」

「…………やはり、あの人の受け売りか」


 今この御祭りの場にはいないが、わりと困ったややエロな老人のことを思いだしつつ、私は一息。


「それにしても、私に対しては、士乃はいつも仏頂面なのだな。せめて、老人達に挨拶しているときのような愛想笑いだけでも、少しは私に向けてくれないものか」

「嘲笑なら向けてやらないでもないぞ。ほら、コレで満足か」

「ふむ。素晴らしくセメントな笑顔だな、士乃。私はキミのそういうところが気に入っているかもしれない」

「……逆に訊くぞ、笈。もし、愛想笑いでもなく嘲笑でもなく、今ここで私が普通に笑って見せたら、おまえはどういう反応を見せてくれる?」

「む……」


 言われて、笈は何かを想像したようだが。

 一秒経たずして、両手で自身を浅く抱いて背筋を震わせ、


「……こわっ」

「直球だな、おい」

「いや……うむ、実にシュールな光景だ。ドン引きといっても過言でもあるまい。先程『愛想笑いを見せろ』と軽々しく言ったことを後悔するほどに」

「敢えて貴様と呼ぶぞ、笈。貴様、私を女だと思ってないな?」

「む? 私の知る数多の女の中で、差音さおと士乃しのは至高とすら言える漢女ヲトメと認識しているのだが?」

「……おまえな」


 私はげんなりと片手で頭を抱えつつ、ひとつ吐息。

 まったく、どこまで本気で言っているのやら。

 鐘鳴笈とは、そんな男である。


「結論で言うと、そこらに居る妙齢の少女のように笑顔を振りまく士乃など士乃にあらず、ということだ」


 人差し指を立てながらのらりくらりの口調で言う笈を、私は半眼で軽く睨む。


「なんだか意地でも、おまえ曰く妙齢の少女のように可愛らしくなりたくなるような結論だな。どうしてくれようか」

「それは困る。私も皆も今の士乃が好きなのだから、『可愛らしい士乃』が世の中に出回ったら、全国の士乃ファンが集団自決するぞ」

「そんな大袈裟な……って、ちょっと待て。ファンって何だ、ファンって」

「ふむ、知らなかったのか。キミはもう少し自分が愛されていることを自覚した方がいい。今この縁日に参加している人の半数以上は、『凛々しい士乃をプラトニックに見守りたいコミュニティ』の参加者だぞ」

「そんなものがいつの間に!?」


 初耳だった。


「ちなみに、コミュニティ創設者は、この私だ」

「人に無許可で何をやっているんだおまえはっ!」


 そして、本塁打ホームラン級の阿呆がここに居た。


士穂しほ先輩も参加されているぞ」

「姉さま、なにやってるんですかーっ!?」


 現在北国へ旅行中の、自分の知る限りでは最強の姉(が居ると思われる方角)に向かって、士乃は遠吠えする。


「あと、恭平きょうへい彩華あやかちゃんにも署名を頂いている」

「あいつら……」


 こちらは、諸国を漫遊中のいとこ達のことだ。

 こうなってくると、自分の親しい筋の人間は全員参加しているに違いない。もちろん、面白半分で。

 もはや呆れ半分諦め半分で溜息をついたところで――私はふと気付く。

 周囲からこちらに集まってくるささやかで、だが膨大な数の視線に。自分が感じる限りでは、老若関係無しの男性が三割、年下を中心とした女性が七割といった比率か……というか、


「何故に女性!?」

「つまり、キミは異性より同姓にモテモテ――」

「そこまではっきり要約しないでくれ! なんだか自分が悲しくなる!」


 両耳を押さえていやいやをする私を、横にいる本塁打級の阿呆がくつくつと肩を揺らして控えめに笑っている。

 ああ、こいつ絶対楽しんでいる……いや、本気で楽しんでいるかどうかは謎なのだが、口に出してくるからには、少なくとも楽しんでいるのだろうが――


「まあ……本当は、風吹ちゃんがこのコミュニティを立ち上げる予定だったんだがな」

「――――」


 本当の本当にそうとは言いきれないのが、また彼の謎な点でもある。

 ここで、あいつの名を持ち出してくるとは。

 風吹。フルネームは、実河さねかわ風吹ふぶき

 私にとっては唯一無二の親友の名。

 太陽のような笑顔を持ち、風のように気ままな少女の名。

 先程に思い出した、無理やり私に浴衣を勧めてきたあいつの名。 

 そして、今はもう――この世には居ない者の名。


「そうだったのか?」


 私はデッサンの崩れかけていた顔を元の平静なものに戻して、笈に問う。

 確かに、あいつが生きてれば、やりそうなことなのだが……否、絶対にやる。笈以上に阿呆なことを思いつくあいつならば、絶対に。

 それで、先程の笈よりも私のことを思う存分からかって、私はそれに溜息をつくのだろう。

 なおかつ、今この時のように――まあ、良いかとでも思っているのだろう。

 有り得ていた未来だ、と思う。

 それを実現したのは、あいつではなく今ここにいる笈なのだが。


「生前の風吹ちゃんに、役目を託されてね」


 そんな笈は、ふっと笑みらしきものを浮かべ参道を歩き出す。

 針金みたいに細くて長い体躯ながらも、その後姿は、先ほども感じたように言い知れない存在感に溢れており……そして、今に限ってはどこか儚さをも漂わせている。

 様々なものが混じった背中に少しの間だけ気を取られながらも、私も彼を追って歩き出す。


「面白そうだったし、ありがたく引き受けさせてもらったのだよ」

「ありがたくというか、それ以前にそんな阿呆な案を実行に移す必要がないと、思わなかったのか」

「ふむ。まあ確かにキミから見れば、わりとくだらないものだっただろうが……それでも、これから死に行く者の頼み、つまりは遺志であったことだったし」

「そんなに大層なものなのだろうか……」

「それに――」


 私のささやかなツッコミを無視して、視線をこちらではなく夜空へと向けながら、笈は続ける。


「風吹ちゃんは、私が士乃のことを好いていたのを見抜いていたから、そのように人選したんだそうだ」

「……は?」


 今、さりげなく物凄いことを聞いたような気がした。

 笈が、私のことを何だって?


「風吹ちゃんは博愛主義のように振舞っていたからわかりにくかったけど、その実、彼女も何年も以上前から立派に恋する乙女だったからね。そういう感覚で見抜かれたのだろう。いざその時になると、私もただただ肝を冷やしたものだが……」

「ま、待ってくれ、笈」


 慌てて笈のことを呼び止める。

 一瞬、私は彼がどんな顔をしてそんなことを言っているのかが気になったのだが。


「?」


 こちらに振り向いた彼の顔は、いつもどおりの老け顔だった。

 軽薄で、本気なのかもどうかもわからない、本当に、いつもどおりの顔。

 さっき言っていたことが真実かどうか……それ以前に、本当にそのように言っていたかすら疑問に思えるほどの、いつもどおり。

 だから、私は今一度問う。


「おまえが私のことを好いていると、今言わなかったか?」

「言ったぞ」


 あっさり答えられた。


「それは……言ってみれば、親しみか? それとも――」

「これ以上は、少し恥ずかしいからは言わない」


 全然恥ずかしそうに聞こえない。

 そんな感じで少々混乱中の私にも構わず、笈はゆっくりと歩行を再開する。


「風吹ちゃんは言っていたよ。士乃はいつもキリッとしていないと士乃って感じがしないって」

「……あいつは」

「でも、士乃も一応女の子だし、そこらに居る女子高生や女子大生とかのように変な色気が付く可能性も無きにしも非ずだから、士乃の漢女ヲトメっぷりを保つためにいろいろ工作する必要があったんだとか」

「おい、いじめか。それはいじめなのか……!?」


 笈が自分のことをどうのこうの想っているより、今は亡き親友に殺意が湧いてくる。

 といっても、殺意の標的はもう死んでいるだけに、この恨み節はどうしてくれよう。


「そういきり立つな、士乃」

「おまえと風吹がそうさせているんだろう……!?」

「言うならば、士乃はどんな時でも自分らしくあれば良いと風吹ちゃんは言いたいんだろうな」

「モノは言いようだな、おい」

「そして、私はキミのそういうところに惚れているのだよ」

「……おまえ、言ってて恥ずかしくないのか?」

「実はものすごく恥ずかしい」


 とか言いつつも、やはり恥ずかしそうに聞こえない。

 歩いている彼の顔を横から覗き込んでみても、いたっていつものまま。

 まったく本気なのかどうかの真意が読み取れないあまり……今ここで、自分がどのように答えていいのやらもわからない。

 どうにもならない気持ちで、一つ深く吐息。そして気を取り直して、私は彼に向き直る。


「で。おまえは……それを私に伝えて、私にどうして欲しいのだ」

「どうして欲しいといわれたら、キミの気持ちを聞かせて欲しいと答えたいのだが、キミ自身はまだまとまってないだろう。私自身も、いきなりだったと自覚はしていることだし」

「む……」


 見透かされていた。

 否定できないだけに悔しいと思うとともに、『いきなりと自覚しているなら言うなよ』とも言ってやりたい気分だ。

 そして、それすらも察しているのか、笈は歩みを止めずに付け加える。


「そういうことだから、気持ちがまとまったら、答えてくれたまえ」

「…………」

「キミには時間がたっぷりとあるのだから、ゆっくりと……む?」


 そんな笈の肩をガッシと掴んで、私は彼の身体を強引にこちらに向けさせた。

 なんとなく無意識で出た動作ではあるのだが、次に言うべき言葉に付いては、不思議と頭に浮かんでくる。

 だから。

 私はわずかに驚いている様子の笈に真正面から視線をぶつけて、口を開いた。


「これだけは言っておく」

「なんだね」



「私の気持ちがまとまるまで、絶対に、おまえは私の前から居なくなるな」



「――――」

「一番に心を許せた親友は、私の前から居なくなってしまった。私は今もそれを悲しく思っている。そして、もし、一番に私を好いてくれているであろう、おまえにまで居なくなられてしまったら……やはり、私は悲しくなるんだと思う。だから――」


 そう、言い終わらぬうちに。


 ふわり、と。


 突然、私の身は、彼の細く、しかし広い腕の中に包まれていた。

 優しく抱き締められている、と私の頭が理解する前に、



「ありがとう」



 小さく、今まで何より深い感情のこもった彼のささやきを耳にする。


「――――」


 ドクン、と。

 私の中で、一つ鼓動が波打って。

 そして気付いた頃には、私の身は開放されており、笈は……呆然となる私に背を向けて、ひらひらと手を振りながら縁日の参道を歩き去っていく。


「……まったく」


 本当に、マイペースな男だった。どんな時でも。

 でも。

 今さっきのように、この男の本気を引き出させてみるのも、面白いのかも知れない。

 ――そうするために、私は、あいつにどのように応えてやろうか?

 去っていく彼の背を見送りつつ、これからのことを思い、私は小さく笑うのであった。




 そんな、今までの私の様子を。


「は~~~~~~~~……尊い」

「素晴らしい」

「グッジョブ、笈くん」

「よかったい……よかったい……」

「無理だろ……なんだよあれ……その、素晴らしいものはなんですか……!」

「え? 俺たち大丈夫? 生きてる? 呼吸してる?」


 周囲の人々が、私に悟られぬようにコメントを交わし合っていたのは余談である。

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これ以上失くしたくないもの 阪木洋一 @sakaki41

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