6
アキが消えた。屋上にはとうとうナツ一人だけが残された。
「お前が消えてどうするんだよ」
手すりにもたれながら呟く。冷たい風がナツの頬を撫でた。昨日はこんなに寒かったろうか。ついこの前まではまだ夏じゃなかったか?
「時間の迷子か」ナツは自嘲するように呟いた。きっとこんなところにいるからに違いない。自分もどうやら時間の流れから取り残されつつあるらしいぞ。
「帰ろうかな」
呟いた瞬間、屋内につながるドアの方から話し声が聞こえてきた。それに階段を上る足音。徐々に近づいてくる。ナツは息を飲んだ。ハル、アキ、フユ。三人の姿が立て続けに脳裏を横切って行った。
ドアが開くと、そこから見知らぬ顔が四つ並んで現れた。ナツの姿を見てぎょっとしたように目を丸めている。
驚いたのはこっちの方だ。ナツは思った。別に本当にあの三人が戻ってくることを期待していたわけではない。知らない人間がここに上がってきたこと自体は驚きではなかった。問題は別にある。
四人はナツが見たことがない色のスカーフをしていた。
「人がいるじゃん」
四人組の一人が言った。
「どうする? 別の場所にする?」
「でも、ここなんでしょ」
それから一人がナツに声をかけた。
「あの、自分たちのことは気にしないでください」
「ああ、うん」
ナツは答えた。そう答えた手前、すぐに立ち去るのもばつが悪く、ナツはふたたび手すりにもたれかかり、街を見下ろすことにした。
あのスカーフの色はいったい何なのだろう。スカーフの色は進級するごとに変わる。紺、臙脂、萌葱。この三色だ。それ以外の色はない。髪の色やスカート丈をちょっといじるくらいならまだしも、スカーフの色を変えて教師に見とがめられないとも思えない。
背後からは、パンの袋を開ける音や、電話を操作する音、それにひそひそと囁き合うような声が聞こえてきた。
「ホントにどっか行かないし」
「空気読めっての」
「しーっ、聞こえるよ」
ナツはレジャーシートを広げて坐した四人組に近づいて言った。「いてもいいって言ったのはそっちだろ」ナツは続ける。「わけわかんないよ。ハルもフユもアキもお前らも、みんなみんな好き勝手ばっかして――」
そこまで言って我に返った。呆然とした顔が四つ、ナツを見上げていた。
「好きに使えばいいだろ。心配しなくても、もう来ないから」
ナツは最後にそう吐き捨て、屋上を後にした。
ナツはクラブ棟の廊下を走り抜けた。廊下には、文化祭の用意だろうか、塗装された段ボールや椅子が出されている。文化祭はこの時期にやるんだったか? いや、そもそもいまはいったい何月だったろう。
どうだっていい。
ナツは廊下を走り抜けた。走っている間に、ナツを取り巻く環境はめまぐるしく変化していった。窓の外では、太陽と月が代わりばんこに顔を出し、それに合わせて気温も激しく上昇と下降を繰り返した。廊下を行き来する生徒たちにはいずれも見覚えがなく、この異常事態に何ら疑問を覚えていないようだった。
時の関節が外れてしまった。アキならそんなことを言ったかもしれない。
ナツは気がつけば、中庭に出ていた。吹きつける風の冷たさは紛れもなく冬のもので、中庭に植わった桜はいずれも寒々しい姿をさらしていた。
「やっと正体を現したな」ナツは誰にともなく言った。「やっぱりデタラメだったんだ。お前たちはずっとそうだったんだ」
ナツはうなだれた。その場で倒れ込むようにして膝をつく。
「ようやく気づいたんだね」
頭上から声がかかった。すぐに顔を上げる。
「ハル」
「時間なんて本当はどこにもない」ハルは道端のタンポポに向けるような笑みを浮かべた。「だから、ちょっとコツさえつかめば、わたしたちは時間から自由になれる。望めば永遠だって手に入るんだよ」
ナツはハルの手を取り立ち上がった。そのときはじめて、アキとフユがいることに気づいた。ハルカの背後で、微笑んでいる。三人の身長は自分の胸のあたりまでしかない。それに、ぴかぴかのランドセルを背負っている。
「さあ、行こう」
ハルがナツの手を引いた。その瞬間、ナツは背中に違和感を覚えた。次いで、体がふっと軽くなり、視線がぐっと下がった。困惑するナツを見て、アキとフユがふっと笑った。
ハルの背中で、桜色のランドセルが軽やかに踊る。きっと、自分の背中でも同じことが起こっているのだろう。
向かう先には、見たこともない、ぴかぴかの校舎が誇らしげに表を構えていた。そこに何があるのかはわからない。永遠。それ以外のことは何も。
けれど、それ以外に何が必要だろう。
こんなに胸が高鳴るのだ。「永遠」はきっとランドセルや校舎よりももっとぴかぴかしているに違いない。
ナツはハルに手を引かれながら、満開の桜が立ち並ぶ道を歩いて行った。
明日が来ない場所 戸松秋茄子 @Tomatsu_A_Tick
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