第3話 旅立ち
ザットは自身の身震いで目が覚めた。横向きの姿勢をゆっくりと仰向けに変える。下敷きになっていた腕を軽く振った。
「野宿した気分だ」
ベッドの方を見るともぬけの殻だった。驚いた様子はなく、どこか納得した表情で天井に目をやる。
「……仕方ないか」
「何がですか」
扉を開けてクルスが入ってきた。ザットは上体を起こした。
「出ていった訳ではないのか?」
「出ていく理由がありません。簡単な
よく見るとクルスの長い髪はしっとりと濡れていた。
「俺に答えられることなら」
ザットは寝袋から這い出した。立ち上がると肩を回し、強張った身体を解し始める。
クルスは微笑んだ状態で口を開いた。
「あなたは街の鼻摘み者で相手に背中を向ければ短刀を抜かれ、女子供からは罵声を浴びせられたりしませんか」
「俺は大悪党でも罪人でもないぞ。まあ、好かれているという自覚はないにしても、そこまで酷い扱いを受けたことはないな」
「そうですか。話は終わりました。早速、出掛けましょう」
にっこりと笑って扉を開けた。
「少し待ってくれ。質問もそうだが、意味がわからない」
「親切な人が耳寄りの情報として、火竜の居場所を教えてくれました。アプデト山の麓だそうです」
「少し遠いが、徒歩で行けないこともないな。装備は重くなるが耐火性を考えて
小難しい顔で
「死なない程度の装備で十分です」
目にしたクルスは笑顔で言い切った。
二人は外に向かう跳ね橋を駆け抜けた。先頭に立ったクルスの表情は明るい。少し後方ではザットが汗だくで追い掛けていた。
「足で、負ける訳には!」
頭の揺れを抑え込み、引き離されまいと大きく腕を振った。
木々に囲まれた石畳を抜けると左右が開けた。見晴らしの良い平原となり、クルスは右手に折れた。草花を蹴散らして走る。遠方には黒い山が見えていた。目的の地、アプデト山であった。
緑の大地は黒い岩石に浸食されてゆく。真っ黒に焦げた人のような柱が林立した。その奥に火竜の棲み処に相応しい山が聳え立つ。
クルスは速度を緩めた。少し開けたところで立ち止まる。
「待ち伏せですか」
「そういうことだ」
黒い柱に大柄な男が腕組みをした状態で
「こんな単純な手に引っ掛かるとは驚きだ」
別の方向から痩身の男が現れた。両手に持った短刀をくるくると縦に回す。
クルスは微笑みで迎えた。
「親切な情報をくれた人ですね。ありがとうございました」
「クク、恐怖で頭がおかしくなったか」
しっかりと短刀を握る。瞬く間に凶相となった。
「修道女みたいな格好で誤魔化しても意味ないんだからね」
愛らしい声の直後、クルスは線画のような棺桶に囚われた。足元には紫色の魔法陣が浮かび上がっていた。
「やったね!」
三角帽子を被った少女が飛び出してきた。大柄な男の周囲を上機嫌で歩き回る。
「ここからが本番だ」
腕組みを解いた大柄な男が正面を向いた。高々と手を挙げる。黒い柱に隠れていた人々が大群となって二人を取り囲んだ。
戦意を喪失した顔でザットは周りに訴え掛ける。
「街の冒険者……そんな、俺達は仲間だよな?」
「思ったこともねぇよ。仲間殺しのザットさんよォ」
「そりゃ、そうだ。お前の本当の仲間は土の下にいるからな」
陰湿な笑いにザットは打ちのめされた。腰にあった剣を抜こうともしない。無抵抗の状態で立ち尽くしていた。
クルスは窮屈な棺桶の中でもがく。
「身動きが取れなくて状況がよくわかりません。どうなったのですか」
「あたしが見せてあげるわ」
少女が短い呪文を唱える。棺桶は滑るように移動して隣に寄り添う。
「これで満足よね」
「よく見えます」
クルスは笑顔を見せた。少女は下から睨み付ける。
「あのさ、あんたの馬鹿力は通用しないからね。なんでも物理で解決できると思ったら、大間違いなんだから」
「はい、確かに無理ですね」
にこやかに答えるクルスを見て少女は渋い表情となった。
「こんな間抜けに、あの武具屋のオッサンがねぇ」
「依頼人の話はするな」
大柄な男が鋭い一言を発した。少女は不貞腐れたような顔で、はいはい、と適当に流した。
「ザットとやら、お前は相当に恨みを買っているようだな。楽に死ねると思うなよ」
「楽に死なれては私が困ります」
クルスが口を挟む。大柄な男は横目で見た。
「男のあとはお前だ。慰み者となって果てることになる」
「それよりも早くしてください。あなた達は無抵抗の者に臆するのですか」
「仲間殺しに相応しい女だぜ、クク」
痩身の男は滑らかに前に出た。両手の短刀が煌めく。鱗鎧に覆われていない部分を的確に切り裂いた。
ザットがよろめく。
「次は俺か」
拳闘士風の男がザットの顔面に拳を叩き込んだ。身体を捩じられたような格好で地面に倒れた。四つん這いで起き上がろうとして腹部に靴先が減り込む。
小さな暴力が飛び火した。全員がザットに群がり、存分に蹴りを入れた。
目の辺りにしたクルスは、ああ、と艶っぽい声を漏らす。
「あまりに憐れで、無様で、鼻血まで出して、胸の震えが止まりません」
「あんた、おかしいわ……それにしても、なんだろう」
少女はクルスの
「気掛かりなことでもあるのか」
「わからない。でも、わからない」
迷いながら少女は頭を左右に振った。
「や、やめろ。やめてくれ。みんな、やめるんだ!」
ザットは蹴られながらも声を振り絞る。
「誰がやめるかよ! 俺の友人を見殺しにしやがって!」
「俺の妹もいたんだぞ!」
依頼を引き受けた一端が垣間見える。ザットはそれでも抗う。
「やめるんだ。俺は、もう、仲間を……見殺しに、したく、ないんだ!」
「あなたの気持ちはよくわかりました。善処はしますが、あまり期待しないでください。『天の気紛れ』なので」
クルスは至福の表情となった。高速の呪詛が始まる。側にいた少女は飛び退いた。全身をブルブルと震わせて尚も後退る。
大柄な男が叫んだ。
「どうしたんだ!」
「し、信じられない。腕力じゃない。な、なんのよ、これは。本当に……おかしいわ!」
少女はへたり込んだ。怒鳴った事で気力を使い果たしたのか。腰が抜けた状態でカチカチと歯を鳴らす。
クルスは口角を上げた。黒髪が金色に輝くと棺桶は粉砕された。
「無残な姿で死に絶えて」
両腕を開き、十字架の形で静かに死を口にした。
瞬間、足元に巨大な魔法陣が浮かび上がる。禍々しい黒い円の中心にいたクルスは困ったように首を傾げた。
「これは大外れですね。異世界の魔王に憑依されると意識がなくなってしまうのです。しかも制御がとても難しくて……」
クルスは立ち昇る黒い煙に包まれた。耳や目、口を経路として体内に吸収された。
「……久しぶりの感覚だ。悪くない」
二人の声が重なっていた。クルスは腰に手を当てて蔑むような目を周囲に向ける。
「邪魔だ」
目にした山に向かって手刀を振るった。黒い山に斜めの線が入る。滑らかな切り口で山頂はずり落ちた。地響きと共に土砂が噴煙となって空を覆い、一帯を夜に変えた。
「次は愚かな人間共か」
耳にした者達は絶叫した。半狂乱となって逃げ出した。引き止める者はいない。大柄な男も逃げの一手であった。
残されたのは負傷したザット。それに声を殺して泣いている少女の二人だけであった。
「残りは一人」
「あ、ああ、ご、ごめ、んなひゃい。ころ、殺さないれ」
「怯える表情に堪能しました」
クルスはにんまりとした。
ザットは片目が塞がった状態でふらりと起き上がる。
「クルス、なのか?」
「力を付けたおかげで魔王に意識を乗っ取られないで済みました。時間のようです」
体内から黒い煙が吐き出され、巨大な魔法陣に吸い込まれた。怨嗟の声が地の底から漏れ出し、一瞬で消滅した。
「街に帰りましょう。それと武具屋さんに立ち寄って金貨をいただきましょう」
クルスは酷薄な笑みを見せた。
街は閑散としていた。人通りは無く、家々の戸口は固く閉じられていた。武具屋も同じで扉には一枚の貼り紙が残されていた。
『旅に出ます。探さないでください』
震える筆跡に心情が読み取れる。
「不便な状態になりました。私達も旅に出ましょう」
「他人事なのが恐ろしい」
ザットは口にした。直後に笑って傷口を押さえた。
「だが、すっきりした。その放浪の旅に俺も混ぜてくれ」
「もちろんです。あなたがいないと困ります。これからも思う存分、死に掛けてくださいね」
「嘘偽りないところが本当に怖いのだが。それでチビッ子はどうするんだ?」
三角帽子の少女に目を移す。愛らしい顔は鼻筋の皺で険悪なものになっていた。
「あんたは死んでいいから。あたしはお姉様にどこまでも付いていきます。身近で魔法を学ばせてください」
「怯えた顔が素敵なので歓迎します。十分に学んでくださいね」
「はい、お姉様!」
二人の会話にザットは呆れたような顔となった。
「……あれは違うような。あれが魔法って、無理があるだろ」
「魔法ですよ。今から強化魔法を使って、あなたの頭を握り潰してあげましょうか」
クルスがザットの耳元で囁く。
「俺が悪かった。うん、魔法だ。凄まじい握力は魔法なんだよな」
「その通りです」
穏やかな顔でクルスは指を鳴らした。
――珍妙な組み合わせの三人の旅が始まる。
一撃のクルス 黒羽カラス @fullswing
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