三人のこどもたちは④


 ***


 歩くと伝わる、手入れの行き届いた芝生特有の柔らかな感触が気持ち良い。

 庭園の奥に位置するという薔薇園に行くことを決めたフレイヤは、建物に接する入口とは反対の方向へ足を進めた。

 庭園の造りなのか、薔薇園に近づくにつれ茂みも多く道幅も狭くなっていく。まるで絵本に出てくる不思議の花園へ導かれているような感覚は、フレイヤをわくわくさせた。

 季節としては薔薇が咲いていてもおかしくない。ネーベル王国の首都であるここは、フレイヤが住む所よりはほんの少しだけ南西に位置するので確かではないが、折角なのだし咲いていたら良いなとは思う。

 先程の居心地の悪い空間から解放されたフレイヤは、軽くステップでも踏みたい気持ちで歩みを進める。

「わああっ!」

「きゃぁぁ!」

 その時突然、茂みから人影が飛び出してきた。昨晩のスイのように頭に無数の木の葉をつけ、目の前でバランスを取り切れずによろめき転んだのは、別れたばかりのリュカ王子だ。

 令嬢としは多少品位にかけるが、気分良く鼻歌を歌いながら薔薇園へ向かっていたフレイヤは驚きに悲鳴をあげてしまった。

「あ、あの、リュカ殿下……ですか?」

 咄嗟に名前を確認し手を差し出すと、リュカはゆっくりとフレイヤを見上げる。瞳を細め、困ったように笑うその仕草は見覚えがあった。

「名前、覚えていてくれたんだね。嬉しいよ」

「いえ、ところでリュカ様がどうしてここに……?」

 そう首を傾げて答えるとリュカは身体中についた葉を払い除け、問いの答えの代わりに食い入るような眼差しで見つめてくる。

 夕食会でも感じたが、この視線は慣れない。物珍しいものでも見るような瞳だが、それでいてそこに冷やかすような色はなく、穏やかで優しいのだ。向けられたことの少ない類のそれをニアからも感じられたことを思い出し、フレイヤの謎は更に深まる。

「あ、あの……」

「あっ、ごめんごめん。つい! ……俺はその、たまたまここを通りかかって。フレイヤ様は何処かに向かってたのかな?」

 にっこりと微笑み、首を傾げるリュカは年齢に対して仕草が幼く見える時がある。人懐っこく長身なので言うなれば大型犬のようだ。そんなリュカはこの年齢で王国騎士団の副団長を務めているらしい。目の前の青年の印象からは誰かと争うという姿が想像しにくいが、穏やかな人柄や次期国王最有力候補、現副団長という立場から考えても男子問わず大変人気が高そうだった。先ほどの令嬢たちの様子にも何となく頷ける。

「いえ、奥に薔薇園があると聞き及びましたのでそちらへ行こうかと。勝手に申し訳ございません」

「いやいや!むしろ是非行って欲しいな。本当に素敵な所だしそれに……」

 そこまで告げてリュカは押し黙ってしまう。

 その続きが一体何なのか、不思議に思うものの、促すほどリュカと親しくはない。

「……それに、うん、本当に素敵な所なんだ。是非行くといいと思う。今は薔薇の他にネコルも沢山咲いていて綺麗だよ」

「ネ、コル……?」

 その名前に、もやもやとした何か得体の知れない恐怖を感じる。興味ならいざ知らず、知らないそれを見るということへこんな気持ちを抱いたのは初めてだ。

「青い花が美しい花でね。えーと……」

 リュカは辺りを見回し直ぐに何かを見つけたかと思うと、右側の茂みを指差す。その先には可憐な青い花をつけた小さな植物があった。

「あ……」

 瞬間、殴られたような感覚に襲われる。目の前が霞んで、不鮮明な画像のようなものが頭に流れ込んできた。

 一面に広がる青い花と、しかめっ面のシスター、本棚の脇の脚立、金の髪を持つ少年。

『フレイヤといるといつも叱られるなぁ』

 のんびりとしたその声に責めるものは無い。いつだっての灰青色の瞳は優しかった。

「フレイヤ様、どうかされましたか?」

「いえ……可憐な花ですね」

「そうなんだ。なかなかこの国では見かけないのだけど、スイが城に種を持ってきてくれてね。庭で育てるのに成功したんだよ」

 リュカの言葉にふとした疑問がわく。

「スイ様は植物の研究でもなさってるんですか?」 

「いや?スイの専門分野は時空と記録関係の魔術研究だよ?」

「そうですか……」

 ならば外交などで何処かに赴いた時に種を手に入れて持ち帰ったのだろうか。王子ならば隣国へ交流や貿易などで行ったとしてもおかしくはない。

「なになに?スイのこと少しは気に入ってくれたのかな?」

 見上げるとリュカの顔がすぐ近くまで迫っていた。その瞳はきらきらと輝き、嬉しそうにフレイヤを見つめる。

 尻尾があったらちぎれんばかりに振られていそうな勢いである。

「きっ、気に入ってなんかっ……! ないです!」

 フレイヤは慌ててリュカの憶測を否定した。

 確かに夕食会の時に部屋まで運んでくれたことには感謝しているが、夜に女性の居室――それがバルコニーと言えども――に勝手に忍び込むのは頂けない。いくら大国の第四王子でも、いや王子であるからこそ許されることではないと思う。

 フレイヤのその答えにリュカはひどくがっかりしたようだ。肩を落とすと青々と茂る芝生に視線を落とす。

「そうか……。でもあの子は本当に一途で、少し考えなしに行動するところがあるが……良い子なんだ。……昨晩もどうやら君に迷惑をかけてしまったようだけど、あれにも訳があって――」

「兄さんっ」

 その時不意に後ろからよく通る声がした。男性にしてはやや高いその声は聞き覚えがある。フレイヤの胸が跳ねるように反応してしまう。

「フレイヤに何話してるの……?」

 声の主は焦ったように速足でリュカに近づくと、咎めるような物言いで詰め寄った。気まずそうなリュカの反応からも声の主が腹を立てていることは容易に分かる。

「スイ……居たのか」

 今度は逆にリュカがスイに確認するように問う。すまなそうだったリュカの表情や声色に、呆れや憐れみが含まれ始めたことに疑問を抱きながらも、フレイヤは彼の方へそっと視線をむけた。途端彼はバツが悪いのか慌てて向けられた瞳から逃げるように横を向き、呟くようにスイはリュカに答える。

「……居ましたけど」

「それで出てこられなかったのか?」

「悪いですか? 邪魔してはいけないと思っただけです。別にこっそりつけてなんか……とにかく、いいでしょう別に!」

「……そうか。なんか、悪かったな、聞いてしまって」

「……」

 申し訳なさそうに頭をかくリュカに対しスイは恥ずかしかったのか顔を赤くし、きつくリュカを睨んでいる。事情が飲み込みきれないフレイヤはただ目を瞬かせるだけだ。

 どうやらリュカとフレイヤがネコルの花の話をしていた辺りからスイは近くに居たらしいことはフレイヤにもわかったが、何故こそこそと様子を窺うようなことをしていたのかはよくわからない。

 確かにスイは非常識な所もあるし、夜中にいきなり女性の居室まで来るのだ、もしかしたらそういうことに慣れているような、遊び人かもしれない。しかしだからと言ってリュカと話すのに邪魔とまでは思わない。二人きりの時間を邪魔されたくないような間柄ならばまた話は違うが、そうではないし別に自然に話しかけるなり、会話に入れないようならば通り過ぎれば良いのに。

「フレイヤ、様……あのこれには訳が……」

 スイはしどろもどろになりながら、何かを掴もうとするように手を握ったり開いたりしている。彼のくせなのだろうか。その仕草は頬を朱に染め困ったような表情を浮かべる顔に妙に似合っていて笑ってしまいそうになる。

「いえ、大丈夫ですよ。別にそんなに気を遣われなくても。また今度お話する機会がありましたら宜しくお願いします」

「あ……あの、フレイヤ様……!」

「薔薇園、拝見したいので失礼致しますね。リュカ様ありがとうございました」

 スイの言葉を遮るようにフレイヤは頭を下げた。相手に失礼だとは思ったが、長く話しているところを令嬢達に見られては厄介な事になりそうだ。

 それに何より『グリューケン王国の第二王女フレイヤ』としての顔を続けられる自信がなかった。

 スイのあの顔と仕草を思い出すと頬が緩んでしまう。懐かしいような不思議な気持ちは戸惑ってしまうけれど、決して不快なのではないともうフレイヤはわかっていた。

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亡くした女神と閉じた少年 島田(武) @simada000

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