たかが恋、されど愛。

七虹。

第1話

1.



「紗夜さん、キスしよ」



そうして静かに私たちの唇は重なった。


この瞬間、純粋な幸せと不逞な感情が入り交じって、とてつもなく気持ちいい感覚が私を包み込む。




「色っぽいね、その顔・・・もしかして久しぶりだった?」




愛されていないわけじゃない、そう信じてはずっと待っていたけれど、そこからなにも変わらず、気がつけばこんなに時が過ぎていた。




「まあそれは俺も同じことだからさ、今夜は満たしてあげるし満たしてほしい」


「年下のくせに、偉そうなこと言わないで」


「紗夜さん、好きって言ってください」



今更、そんな必要性がどこにあるっていうの。


もうとっくに私たちは恋に堕ちてしまったっていうのに、そんな簡単な言葉じゃなくて、もっと濃密な愛が欲しい。




「・・・好きじゃなかったら、家に上げてないでしょ」




対象的な彼は、なによりも言葉を求める人だ。




「情熱的になるには紗夜さんじゃなきゃダメでさ。だから紗夜さんにも俺だけを求めてほしいんだ」



愛は形のないものであって、それを証明するのは自分と相手の距離感と2人を繋ぐ気持ちだけ。


だからこれも立派なひとつの愛で​────




「紗夜、さん・・・っ」




頭上で激しく乱れる彼の吐息と、汗ばむ躰が私の脳内ごと犯していく。


壊れるくらいに愛されたかった。

死んじゃうくらいに愛したかった。

ただそれだけのことで愛は穢れていく。


もっと、ねえもっと、その絶頂感をここに全部さらけ出して。




「・・・舜っ、もっと・・・っ」




私の中で激しく掻き乱される愛がたまらなく快感で、このまま逝けるんじゃないかってくらい幸せで、好きで、彼が好きで、もう溺れてるの。




「紗夜さんっ、ねえその顔もさ、この綺麗な体もっ、心も愛も・・・、本当に、全部っ俺だけのものにしたい・・・っ」



知り合って、隣にいて、気がつけば側にいて、手を繋いだ、キスもした、でも足りなくて、こうやって躰を重ねてしまった私たちはそう、アダムとイブのようでいて、ロミオとジュリエットのようなもの。




「紗夜っ、さん・・・もうっ、俺限界、かもっ・・・」




グッと腰を浮かせて、唇を押し付ける。


彼はいつも私に許可を求めてくるので、そのサインを私はキスひとつで促す。


そうすればしばらくして脱力した彼がまた私に覆い被さる。




「いつも早い。私より長く耐えたことないでしょ。男なんだから、レディーファーストにしてくれないと困るんだけど」


「ごめん、俺そんなに余裕なくて。でも悪くなかったでしょ」


「うん、まあそうだね」




戯れが終わると向かい合ってベッドに横たわり、他愛のない話を永遠と。

こうして疲れ果てた私たち2人の夜はあっという間に明けていくのだろう。




「おやすみ、また明日」




あとは肌と肌を寄せ合わせて、お互いの体温の中で眠るだけ。



✱✱✱



今日はいつもより少し早く8時に出勤。




「・・・え、舜くん?出勤時間まだでしょ?」


「朝起きたらもう準備してたから、早出だと思って俺も急いで来たんですよ」


「いや、来る必要ないじゃない」


「2人っきりになれるチャンスなんですから、逃すわけないじゃないですか」


「あのね、ここ会社なの。そんな時間いらないでしょう」




「まあそんなこと言わずに」、とノコノコと着いてくる彼はひとまず放っておいて、この時間に出勤したのには当然仕事があるわけで、私は早速作業に取り掛かる。




「あれ、また資料の作成ですか?」




私がデスクに腰を降ろせば、途端に後ろに回り込み、背もたれに手をかけたと思えばそんなことを聞いてくる。




「そうだよ、頼まれたの」




資料を作るのは嫌いではないけれど、ここ最近、この仕事しかしていない気もする。

まあ別に仕事があるにこしたことはないし、たいして気にしてはいないのだけれど。




「ねえ、せっかくこの時間に来たなら」


「え、キスしようって?」


「馬鹿、誰がそんなこと言うの。ここは会社だってさっきも言ったでしょ。なにか手伝ってよ」




「任せてください」とここでようやく後輩らしい姿を見せる彼。

いざ仕事を言い渡せば文句なしに完璧に済ませてくれるから、とても頼りになる部下だ。


真面目な仕事ぶりは私が見ても自慢できるほどだし、実績も付いてくるものだからたいしたものだと思う。


なんて偉そうなことを言っている私はといえば、別に優秀な上司というわけでもなく、可もなく不可もなく、といったところだろうか、ごく普通のどこにでもいる社員。


彼が部下として私の元で働き始めたのも割と最近のことで、社員生活3年目で出来た初めての部下でもあった。




「こんな感じでどうですか?」


「うん、いい感じ。ありがとう」


「じゃあ」


「キスはしません」


「俺まだなにも言ってないんですけど!」


「そう言うつもりだったでしょ?」




年下らしいこういう可愛らしいところに惹かれたことは事実だけれど、会社にまで持って来られるとさすがに困る。


バレたらどうしようだとか、そういった危機感が返って裏目に出ることもある。

けれど彼の場合、うまくやっていけるという自信からなのか、多少たりとも不安な感情を持ち合わせていないのでむしろ尊敬する。





「さすが俺の紗夜さん」


「私はものじゃないから、そこら辺の把握はよろしくね」




一度手を出したらやめられなくて、最後にはそれがないと生きていけなくなって、そしてそれはとんでもないスピードで心身を蝕んでいく。

そうして壊れていく自分と、いけないことをしてきるという罪悪感がたまらなく快感で、また手を染めてしまう、愛の麻薬。


でも実際、バレるかバレないかという瀬戸際が醍醐味なのかもしれない。


正直、ここまでのめり込むなんて思っていなかったし、出会う時期や場所が違えば、もっと違う変愛が繰り広げられていたのかもしれないけれど、これはこれでスリリングでたまらない。


そういう私の"異常な感覚"が、この関係を繋ぎとめてしまったのかもしれない。




「好き」




私にとってこの言葉は、最も罪深いものだ。

なんてそんなのはただの言い訳でしかない。


本来なら断らなくてはならなかった場合で、「ダメ」と言えなかった私の弱さが生んだこと。




「こら、会社でそんなこと言わ」


「・・・黙って」




口止めのキスだなんて、どこでそんなもの覚えてきたの。




「俺はどんな時でも、紗夜さんで頭がいっぱいなのに」


「なに、今更」


「遊びじゃないんですよ、これは」




たしかに最初に口説かれたときは遊びだと思っていたけれど、今では本気だってちゃんと分かってる。


でもだからこそ、惚気けてばかりじゃいられないのよ。




「もう、仕事するよ」




なんで私がこんな生意気な年下くんに動揺するわけ、ありえないんだけど。


✱✱✱




9時頃、ぞくぞくと社員たちが出社してくる。




「おはよう、紗夜ちゃん。悪かったな、朝番」


「いえ、大丈夫ですよ。おはようございます、長谷部さん」




椅子に上着をかけてから手際よくパソコンをデスク上で起動するのは私の3つ上の先輩、 長谷部(はせべ)さんに先程出来上がったばかりの資料を渡す。




「さすが紗夜ちゃん。任せて正解だったよ」


「ありがとうございます。また私でよければ仕事回してください、朝番でも出ますし」


「おう、ありがとな。あ、そうそう。そういえば仕事のことでちょっと話があるんだけど、今夜空いてる?」


「はい、大丈夫ですよ」


「よかった。じゃあちょっと今日付き合ってくれ」




私と長谷部さんのこのやり取りを心地よく思うわけない人物が約一名、当然思い当たるわけで。




「ちょ、紗夜さん!忘れたんですか!?今日会議あるって言ってたじゃないですか!」


「えっ?」




なに言ってんのこの馬鹿は!


あるはずもない嘘を平然と口にする彼に唖然とする。




「そうなのか、じゃあまた今度にしよう。いつでも出来る話だし」


「あ、長谷部さん・・・っ」




もう、あんた本当に怒るよ?




「ちょっと舜くん!」


「俺が止めてなかったら行くつもりだったでしょ、そんなの考えらんないんだけど」


「なんで?仕事の話って言ってたじゃん」


「そんなの口実に決まってるじゃないですか。そういう無防備なところが心配なんですよ、俺は」


「そんなこと言ってたら、もう誰ともやり取り出来ないじゃない」


「そうですよ、する必要ないです」


「ねえ分かってる?それ舜くんが言うべき台詞じゃないんだよ」


「関係ないです。俺は紗夜さんが好き、それがなにより大事ですから」




愛されたいと言った、愛してほしいと言った。


今更ながらに実感する、私自身が全ての原罪であるということに​────。




「今日の出来事にはイラッとしました」


「短気ね。機嫌を損ねるようなことしてないんだけど私」




彼の嫉妬を買ったわけではないけれど、売られたものだから仕方ないし、拒むものでもなかった。




「紗夜さんは綺麗なんだから、狙ってる人多いってこと自覚してよ」


「そんなわけないでしょ」


「俺もその一人だった。だからこんな関係になってでも求めてるんだろ」




真剣な眼差しの彼の瞳に映り込んでいる私の姿。


彼の手によって晒された私の全ては彼のものではないはずなのに、あたかもそれは俺のものだ、とそういう欲望のようなものを醸し出していた。


でも私もあなたも、お互いのものにはなれないってことはもうわかってるはずなのに、何度か躰を重ねる度に、叶うかもしれないと思ってしまう愚かな心が存在しているわけで、こうして何度も夜を交わすのだ。


いっそのこと、"私" を奪い去ってくれたら・・・




「紗夜さんはいつもなにも言わない・・・なにを考えるの?俺に抱かれてるときくらい、素直になってよ・・・ねえっ」




どんな言葉も罪を重ねてしまうだけなのに、それでもあなたは私に愛を問う。


"愛の共犯者"としての恋は、もうすぐそこにまで来ていた。


好きに、決まってるじゃない・・・!


言葉はなによりも大きいものであるからこそ、伝えたらどうなってしまうか、それが怖かった。


感情というものを消せるとすれば"好き"という気持ちを綺麗に抜き取ってほしい。

そうすれば全力で彼のことを突き放せる。


「やめて」とそう力強く睨んで、追い返せる私がほしい。




「・・・そうやって言葉を求めるあたり、まだまだ幼いなって思ってた」


「俺のこと、年下だからって甘く見てんでしょ。そういうところ嫌いじゃないけど、気に食わない」


「舜の気持ちなんて知らない」




好きなのに、好きだと認めたくない。

それはつまり、既に好きであるということだ。




「・・・もう、寝かせてあげないよ。そんなこと言うなら」




「好きにすれば」、そう呟いて私は彼に身を委ねるのだ。



夜な夜な響く私の嬌声は、不協和音と化していく。




「​邪魔だから、外していい​──​─?」




数十万ほどの契約で、私の愛は既に購入済みだけれど、今では放置されて埃を被っていた。


​───所詮、私は中古の女。


でも彼は、そんな私を見つけてくれた。

手に取ってくれた。愛してくれた。




「・・・だめっ」




それでも、全てを無くしてしまうことを拒んでしまう私がいた。


神に誓ったこの約束を破棄する権利は、私一人にあるわけではない。

当然、私の自分勝手な判断で破れるほど、私は偉くない。




「なんで?俺たちは永遠にこいつに縛られ続けるの ?」


「・・・だって」




​───裏切り、なんだよ。




「紗夜さんの中に、まだあの人が存在してるなら、嫌だよ、俺は」


「存在なんて、してない」




ただ、存在してるって信じたいだけ。




「俺がいつもどんな気持ちで紗夜さんを抱いてるか、考えたことある?」


「ごめん、無いかも」




知ってるの、あなたがどんな気持ちなのか。

私だってそんなに馬鹿じゃない。


悪いことをしてるって自覚くらい、私にだってあるし、でもそれ以上にあなたは責任感が強くて、" 俺は最低なことをしてる "、" 紗夜さんを傷つけてる "って思いながら私を抱いてる。


気づいてないと思った?

眠ったあと、毎回あなたは枕を濡らしてる。




「・・・だろうね、知ってたよ」




「紗夜さんならそう言うと思った」、少し悲しそうに笑いながら彼は言う。




「どう頑張っても、俺だけが紗夜さんの頭の中にいられるわけじゃないんだよね、わかってるんだ。だからさ、こうやって一緒にいるときだけでいいから、俺だけのことを考えてみてよ」




私の中に入っていく彼の愛は既に私の心と頭を犯しているのに、それはさらに激しさを増して全てを飲み込んでいく。




「舜・・・っ」


「うん、もっと呼んで?俺の名前」




欠乏した愛を服用してくれる存在、

飢えた愛に快感を投与してくれる存在。


ボディパートナーという名の、愛の処方箋。


・・・ごめんね、こんなはずじゃなかったの。

でも私は彼が好き、舜が好きだから・・・・・・。




「しゅ、ん・・・好き・・・・・・っ」


「ああもう、なんで今言うのっ・・・?」




もういい、このまま堕落してしまおう。

後戻りなんて、出来るはずないのだから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

たかが恋、されど愛。 七虹。 @nako0717

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ