第31話 「さようなら」は言わないから

 どっちの家が近いか。

 照らし合わすせたところ、俺の家だったので、タクシーを俺の家の前で停車させる。一軒家であり、こんな時間だというのに、まだ明かりがついていた。

 だが、俺はタクシーから出した足の動きを止めた。

 ……それは。やべっ、そういえば家に連絡するの忘れてたから、絶対に家の人間に怒られる!! と恐怖心に足が竦んだわけではない。

 まさか、と思いつつ、両手でポケットの中をまさぐるが何もでてこない。

 緊急事態を察した綾城が、不審な目つきでこっちを見てくる。

「……もしかして、あんた財布持ってないの?」

「……そういえば、駅員さんに投げつけてきたんだった……」

「あんた、ほんとになにやってんの? もう一度いってあげるけど……あんた、ほんとになにやってんの?」

「うるさいな! 俺だって必死だったんだよ!」

 ぐわああ。

 こんなふうに言い返してしまった後に、下手に出るのは癪だがそうも言ってられない。

 俺は改まった顔をして、

「お金立て替えておいてください」

 キッパリとした口調で、最低な言葉を吐いた。

 まさか、まさか、この年齢で。将来ヒモになりそうな、屑男なセリフを言ってしまうと思わなかった。しかも、なんの表情もみせないタクシーの運ちゃんが逆に嫌だった。すんごい、気を遣わているような気がしてしまう。

「……さいってねー」

 だから、こうして屑だと称してくれる綾城の言葉は、逆に救われる。……わけがない。

「仕方ないだろ! だいたい、お前が電車で痴漢騒ぎしたのが原因で、あの駅員さんに目を付けられて、財布投げなきゃいけなくなったんだよ!」

「……あんたが、何言っているのか分からないけど……。自分の始末できなかったことを、私になすりつけてるってのはわかったわ。……ふん、いい度胸ね」

 ビキビキッと青筋を立てるお怒りな綾城さんは、とても女には見えない!

 どうする。あの財布の中には俺の全財産が……。しかも、俺に対して疑念を抱いている駅員から取り返すのは、至難の業。せめて、俺の身の潔白を証明できるやつがいれば。

 ……って、目の前にいるだろ。

「おい、明日一緒に財布取りに行ってくれないか?」

「はあ、なんで私があんたに付き合わないといけないの?」

 ……こいつは、ほんとにもう。

 タクシーのドアを半開きにしたままだったので、バタンと勢いよく閉めて中に入る。しかも、運転手は値段メーターを停止するような動作をしていないせいで、多分値段が刻一刻と上がっているような気がする。

 だから、あとがないように追い詰められた俺は、もう余裕なんてからっきしだから。だから、もうなりふり構っていられなかった。

「お前がいないと、駅員を説得できないからだよ」

「ふうん、それって、私がいないとだめなのかしら?」

「ああ、そうだ! お前が必要なんだよ!!」

「……どうしても?」

「ああ! お前がいないと俺はダメになる! ……他の誰でもない! ……綾城彩華がいなきゃ、俺はもう、一歩も先に進めないんだよ!!」

 勿体ぶって焦らす綾城に、俺は思いきって言うと、そっか……な、ならいいわよ。と急に借りてきた猫のようにおとなしくなる。

 なんだ、いきなりとは思いつつも、俺はただ事実をありのまま告げただけ。

 もしもこのまま俺の冤罪が払拭されなかったら、もう二度と駅に行くことはかなわないし、それに、今は金欠で綾城の助けなしでは、家に帰ることすらままならないのだから。

「じゃあ、そういうことで会計はよろしく」

 言いたいことだけいって、うやむやにしたまま帰ろうとドアノブに手をかけると、

「ちょっと……!」

 そうは問屋が下ろさず、指を掴まれる。男みたいにゴツゴツなんてしたいなく、滑らかなに吸い付くような手。それを、振りほどくことなんてできなくて、

「だから、お金ないって言ってるだろ? ここは見逃してくれよ」

「そ、そうじゃないわよ、そうじゃなくて……」

 所在なさげに視線を漂わせ、それでも綾城は手は離さなくて。そうしている間、俺はなにもすることができなくて、ただ綾城が何をするかを待っていた。

 そして、タクシーの運転手がしびれを切らす一瞬前に、綾城は思いっきり笑顔の花を咲かせると、俺を見やる。

「また……明日ね」

 言葉足らずなのは、もはやこいつの専売特許。だけど、その思いはきっと間違いなく受け取ることができていると思う。何を言ってやればいいのか、そのぐらい学年でも最下位レベルの学力しかない、大馬鹿な俺ですらわかっていると思う。

 だから俺も、こうして笑っていることができるんだから。



「――ああ、また明日な」


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恋する狼と夢みる羊飼い 魔桜 @maou

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