五 夫婦愛

「ああ、ここにいらしたんですね」


「…っ?」


 だが、屋外へ逃げ出した途端、背後から女の声が聞こえる……振り返ると他でもない、もちろん奥さんである。


 一瞬、心臓を鷲掴みにでもされたが如くドキリとしたが、旦那ではなく奥さんならば大丈夫だろう。


「あ、あの、これは……」


「早く隠れてください! 旦那が鉄砲を持ち出して、あなたを殺そうと探しています!」


 ところが、逃げ出す言い訳をしようとした私の口を遮り、険しい顔をした奥さんはひそめた声でさらに恐ろしい事実を伝えてくれる。


 鉄砲? 銛の罠で仕留められなかったのを知って、今度は猟銃まで持ち出してきたのか? もう何が何でも私を始末する気でいるらしい……。


「ちょうどいい洞穴があります! 入口は蔦に覆われていますし、あそこなら旦那も気づかないでしょう。さ、早くこちらへ!」


 またも顔面蒼白となる私であるが、続けて奥さんはそんな絶好の隠れ家まで教えてくれる。


 相手は鉄砲を持った猟師だ。無論、私なんかより夜目も利くだろう……たとえ逃げたとしても、途中で見つかれば撃ち殺される可能性はけして低くない。


「さ、早く!」


「は、はい!」


 重ねて急かす奥さんに、私は素直に付き従うことにした。


 その洞窟は、小屋のすぐ裏手の岸壁に開いていた。だが、周囲の山肌と同色の蔦に覆われていて、確かにこれならば気づかれないかもしれない。


「クソっ! あの青二才、どこ行きやがった! おおーい! 出てこーいっ!」


 洞窟の前でそんな感想を抱いていると、小屋の方から旦那の怒鳴り声が聞こえて来る。


「さあ、早く入って!」


「は、はいっ!」


 チラチラと後を振り返りながら、慌てて背中を押す奥さんの冷たい手に、蔦を掴んで左右に押し開いた私は、真っ暗な穴ぐらの中へと勢いよく飛び込む。


 ……いや、飛び込んだと思ったのだが。


「うわぁぁぁっ! ……んぐっ…!」


 横方向へ飛び込んだつもりが、なぜか下へ落ちるような浮遊感を感じ、次の瞬間、体中に激しい衝撃と強い痛みが走る。


 ……い、いったい何が起こったんだ? ……体のあちこちがすごく痛いし、それになんか、とても熱いものを感じる……。


「おーい! どうだーっ? うまくやったかーっ?」


「ええ~! 上々さね! 筋書き通り、ちゃんと獲物はかかってくれたよ~!」


 状況が飲み込めず、真っ暗闇の中で私が混乱していると、はるか上の方でそんな男女の話し声が聞こえる……聞き憶えのあるその声は、あの旦那と奥さんのものだ。


 続いて、その声のした頭上の暗闇にポッと明かりが灯り、その丸い光の中に夫婦が並んで立っている姿が浮かんだ。その明かりは、どうやら旦那の手に下げられたランプの光のようだ。


 ……だが、そのランプに照らされた二人の顔は、まるで鬼のように凶悪な笑みで歪められている……いや、旦那はもとからそんな感じを醸し出していたが、あの慎ましやかでいい人そうだった奥さんもである。


 また、そのランプの仄かな明かりは私の所にまで届き、周囲の状況がぼんやりとではあるが見えるようになる。


「こ、これは……」


 先程から何か熱いもので体中がヌルヌルすると思ったら、それは私の身から流れ出た自分自身の血であった。


 原因は、先端を尖らせてある竹が無数に地面から突き出しており、それが私の体のあちらこちらを裏から表まで貫いているからだ。胴といい、手足といい、そこら中が串刺し状態である。幸い、頭だけはなんとか被害を免れたらしい。


 今度は周りに目を向けると、一面、頭上高く土壁がそびえ立っており、どうやらこの状況から判断するに、ここは深い竪穴……いや、いわゆる〝落とし穴〟というやつらしい。


「都会から来た学者先生だって話だからな。きっと知恵が回るだろうし心配していたが……思いの外うまくいったようだぜ」


「あんたが悪人を演じて、善人のあたしが助けるフリをしてつけ込む……なんともいい筋書きだったでしょう?」


 血を流しすぎたのか? なぜだか不思議と恐怖を感じることもなく、朦朧とした意識のまま落ちて来た穴の入口を見上げていると、夫婦の方でも私を見下ろしながら、そんな会話をなんとも愉しげに交わしている。


「ああ、違えねえや。今回はまさに俺とおまえあっての収獲だな。ほんとに俺達は日の本一の…いいや、世界一の似合いの夫婦だぜ。さ、久々の人の肝だ。新鮮な内に早えとこいただくとしようや」


「ええ。人の肝を食べると十年は若返るっていうからねえ。おまえさんにはたんと食べてもらって、もっともっと長生きしてもらわないと。それに若い男の肉だ。きっと精力もつくだろうから今夜は朝まで…ウフフフフ…」


 ……なんと、金銭目的などではなく、私の肝を食べるために命を狙っていたというのか……息の合った二人の演技にすっかり騙されたし、この文明開化の世にあって、そんなバカげた迷信を二人揃って信じているとは……あんた達、ほんと、お似合いの夫婦だよ……。


 遠ざかる意識の中、仲よく並ぶ鬼畜な夫婦をぼんやりと見上げながら、私は妙に冷静に、そんなことを思っていた。


                           (似合いの夫婦 了)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

似合いの夫婦 平中なごん @HiranakaNagon

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画