四 悪夫

 さて、そうしてそこはかとない不安を抱いたまま、当てがわれた寝所代わりの納戸へと向かい、すでに用意されていた布団の中へ早々潜り込もうとしたのであるが、ふと、先程の奥方の言葉が脳裏を過る。


「ま、まさかな……」


 まさかとは思ったが、なにやら嫌な予感のした私は、おそるおそる、まるで蛇でも触るかの如く爪先でツンツンと突いて掛け布団を捲り上げる。


 ……ザスっ…!


 と、その刹那、頭上から一本の銛が落ちてきて、本来なら私が寝転んでいたであろう敷布団の上へ見事に突き刺さった。


「な、なんだこれは…………?」


 一瞬にして全身の血の気が失せる私であったが、まがりなりにも科学者の端くれとして、無意識にその原因を確かめようと暗い部屋の中に視線を走らせる。


 すると、捲り上げた布団から一条の縄が伸びていて、それが壁を伝って天井まで続いていた。


 どうやら布団を捲り上げると天井に吊るされていた銛が落ちてくる、そんな物騒な仕掛けが施されていたらしい……。


 もし何も気にせずそのまま寝ていたら、あの鋭い銛の先は布団ではなく、その上に横たわる私の胴を貫いていたことだろう……。


 これは、山の獣を捕るかの如く、明らかに私の命を狙った狩猟の罠だ。


 金銭目的なのかなんなのか知らないが、やはりあのギラギラと血走った眼をした怪しい亭主は、〝安達ケ原の鬼婆〟も真っ青な悪巧みをしていたのである!


 ……もしかして、さっき奥さんの言っていたのはこのことだったのだろうか? ……読み通りなら、さっきのきのこ汁の一件もやはり……。


 不意に夕食の時のことを思い出した私は、脱いだズボンのポケットから拾っておいた杯の欠片を取り出し、それを持って縁側へと向かった。


 離れにある風呂へ行った際、庭に生簀が設けてあって、その中に川魚のいるのを見かけたのだ。


「…………ゴクン」


 縁側を飛び降り、生簀へと駆け寄ると、その中へポトンと杯を落としてみる……すると、わずかの間の後、それまで元気に泳いでいた魚達がプカァ…っと水面に浮いてきたではないか!


 やっぱり毒か? 自分も酒を飲んで見せて安心させていたが、毒は酒自体にではなく、こちらの杯の方に塗られていたのだ!


 この山中で手に入る、この効き目のものとなるとトリカブトか? 危ない……あのまま飲んでいたら、この魚達のようにイチコロであの世行きだった……。


 となると、奥さんがきのこ汁をこぼしたのも不注意ではなく、私が毒を飲まぬようわざと邪魔してくれたのであろう。


 鬼畜な旦那の所業を見かねてか? 先程の風呂場での忠告と言い、あの奥さんは陰ながらに私の身を守ってくれていたのだ。夫があんな極悪人だというのに、なんとできた妻女なのだろうか!


 ……いや、そんな感心している場合ではない。こんな所に長居は無用だ。狼のいる夜の山道の方がまだ安全というものである。


 私は納戸へとって返すと急いで自分の服に着替え、一目散に、だが、気づかれぬよう足音を偲ばせながら再び外へと飛び出した――。

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