第35話 パン屋の息子と、血の復讐

 物陰に潜んで街路をうかがいながら、王都警備隊員ザシャは「ぐっ」と拳に力を込めた。中には固く、小さいものが握りしめられている。


 十年の地獄だ。そう胸の中でくり返す。


 祖国へ帰ってからずっと、生活になじむことに苦労していた。王都の寒さも種なしパンフラットブレッドの硬さもしだいに慣れてきたけれど、厳しい虜囚りょしゅうの暮らしがよみがえってきて、日々ザシャを襲った。起床から就寝まで細かに決められ、点呼てんこを取られ、違反すると体罰が待っている。それでも、ザシャのようなコーラーの子どもたちは、有無を言わさず実験室に連れていかれるライダーの子どもよりもずっとマシだった――言語を使わず竜の力を使えるライダーは、竜族側に寝返る可能性があり、戦地にそのまま出すことはできないとみなされていたのだ。敵国に捕まったライダーたちは、あまりに希少な能力のために死も許されず、薄暗い部屋で「殺してくれ」とみずから嘆願するほどにひどい扱いを受けていると噂されていた。


 そのことを、王都の誰も知らない。

 彼らが知っているのは、戯曲のなかの竜王リアナの活躍だけ。

 「アエディクラのことを聞いたよ。辛い十年だっただろうね」と、初対面の誰もが声をかけてくれる。そして彼らはこう続けるのだ――

「リアナ陛下も同じ十年を敵国で過ごされたのだよ。そしてそのおかげで、きみたちは祖国へ戻れたのだ」。

 「それを思えば、きみも痛みを乗り越えなくては」と、何度目の前で言われただろう。だがもう、うんざりだった。くそくらえ、と思っていた。


 拳をひらくと、麵棒の破片から作った古竜のお守りが姿をのぞかせた。この日のために、自分で彫ったものだ。そろそろだろう、とお守りを上着の隠しにしまった。


 ザシャはマスケット銃を手に、ひっそりとその時を待っていた。雨があがり、竜車の行き来が増えてくる。ことが起こるまで、あとわずかだ。


 ♢♦♢


 リアナとザシャは同じ里で育った。彼にとって、その女の子はずっと「近所のリア」だった。だから、その彼女が竜王だったとずいぶん後から知ったときには、ザシャは大いに驚いたし、奇妙な感慨をおぼえもした。

 だが、そのことで彼女に悪感情を持ったわけではない。里には、もともとわけありの竜族が多かったのだから、高貴なご落胤らくいんがいても不思議ではないという噂はよく流れていた。結局、それが正しかったのだろう。

 彼自身の父でさえ、かつては輝かしい竜騎手として、領地貴族に名を連ねていたのだ。父は田舎のパン屋などではなかった。だったのだ。


 アエディクラから解放された直後、ザシャら数名は南部領主の館で旅支度を整えさせてもらった。リアナたち一行とともにタマリスに行きたいと願い出る者が多かった。みな同じ思いで、国境沿いはもうこりごりだった。


 彼の感情を大きく揺さぶったのは、形見分けでの出来事だった。


 里から見つかったものは、南部領主エサルが保管していて、帰国時に形見としてザシャに渡された。彼が、里のたった一人の生き残りだと聞いていたからだ。


 彼にとって重要な品物が二つあった。ひとつは、父ロッタの使っていた麵棒だ。半分ほどが焦げ落ちた状態だったが、手に取ったときには、台の上でそれを扱う父の姿を、まざまざと思いだすことができた。力強いパン屋の腕。口をきっと結んで、子どもたちには見せない真剣な目で生地に向きあう姿。

 温かさと悲しさが同時に襲ってきて、ザシャはしばらく口を開くこともできなかった。

 だが、もうひとつの品のほうは――。

 竜騎手ライダーたちが持っているような、美しい長剣に見えた。里長の屋敷跡から見つかったのだという。

 形見の品を扱っていた竜騎手は二人いて、若いほうがその剣を渡そうとすると、年かさのほうの騎手がそれを止めた。「これは、やめておこう」

 なぜかと尋ねると、「印章つきの剣は売って金にえることはできないのだ」と言った。ザシャ自身は、さほど剣が欲しいわけではなかった。すでに、ケイエにある母の実家で、父が預けていた剣を形見としてもらっていたからだ。竜騎手になるわけでもない彼にとって、父のものでもない剣などあってもしかたがない。金にならないなら、なおさらだ。

 その場で辞退することを告げ、ほかの品々だけを持って帰ったのだった。


 ただ、年長の騎手が隠すように箱に戻した長剣のことは、なぜか記憶に残っていた。それは父ロッタの実用的な剣とは違い、優美で装飾的で、スイカズラの花の紋章が入っていた。


 王や諸侯の請願騎手になると、印章入りの剣を授けられる。彼らは、それぞれ自分個人の印章を持っている。

 そして、スイカズラの花の印章を持つのは、だった。


 その意味に気がついたとき、ザシャは自分が里の襲撃の真相にたどりついたことを知って、足もとがくずれ落ちるような気持ちがした。


 ♢♦♢


 竜車から飛びだしてきた上王リアナの姿に、ザシャは心臓のひとつが止まるかと思った。この瞬間を長く待ち望んできたのだ。

(なぜ飛び出てきたんだ?)

 一瞬、そんな疑問が思い浮かぶ。目の前では、フィルバートが文字通り鬼神の戦いを見せている。たった一人の男によって、銃兵どころか、十分に投入したはずの矢兵まで全滅するかもしれない。

 だが、そんなことはどうでもよいと考えなおす。ザシャにとって重要なのはリアナだけだからだ。

 呼吸を整え、慎重に狙いをさだめ、そして――銃が発動しないことに気づく。

「クソッ」

 壁には銃がもう一本と、弓矢が立てかけてある。迷いなく弓矢を選んだ。この距離なら、外すまい。


 ぎりぎりと引きしぼらせ、慌てて追いかけてくる黒髪の兵士が追いつかないうちに――狙いを定めて――

「やった!」

 小柄な背中に矢が命中すると、ザシャは思わず小声で叫んでしまった。ほーっ……と長い息をつく。

「十年の地獄。思い知らせてやったぞ、リア。なにが『同じ十年』だ、王族としてぬくぬくと人間の城で歓待されていたくせに」

 胸のつかえが取れるって本当にあるんだな、としのび笑いをもらす。つかえというよりはくいかもしれない。それがなくなった今、ザシャは本当に久しぶりに息ができたと思った。


 (俺はチャンスをやったんだ)と、湧きあがるかすかな罪悪感を押し殺した。(俺が王城に嘆願に行ったとき、あんたが父さんの名誉と領地を回復させていれば、こんなことにはならなかった。あんたのせいなんだ、俺は悪くない)

 それに、王城にだってリアナに反対する勢力はあるじゃないか。末端のザシャは真相を聞かされていないが、これほど潤沢な資金がある以上、も本当なのかもしれない。


 報酬は、前払いでたっぷりもらっている。新しい身分も、住む場所も用意されている。あとはそこまでたどり着くだけだ。隊内で疑われはじめていることはわかっていたから、ここに来る前にすべて支度をしておいた。もうタマリスには戻らない。この路地を出て――


「動くな!」

 鋭い声が、ザシャの思考を破った。

「武器を捨てて、手を挙げろ!」

 複数の足音が、路地の逆側、つまり今から逃げようとしていた方角から聞こえた。反射的に振り返ると、その瞬間、衝撃はからやってきた。

 肘うちを食らい、反撃する間もなく両手を後ろ手にねじりあげられる。――声は、フェイントだったのだ。


「ネズミめ、尻尾を出したな」地にうような声とともに、女上司モーガンがそこにいた。すでに取り囲まれていて、どこにも逃げ場所はない。ザシャができる最後の抵抗は、ぺっと唾を吐くことくらいだった。


 ♢♦♢


 癒し手ヒーラーの手のひらが出す青い輝きが、リアナの背中を覆っていた。受傷箇所の止血と縫合が同時に行われていく。ただ患者が叫び、暴れるために、フィルもふくめ複数の兵士が彼女を取り押さえていた。

 

「なぜ俺を捕まえるんだ!!」

 視界の端で連行されていくザシャの声を、フィルの耳はかろうじて拾った。ザシャ、里の生き残り。リアナが気にかけていた警備隊の青年のはず。


「あいつのほうを捕まえるべきだろう!!? 汚らわしい半死者デーグルモールなんだぞ!! 俺たちの里を焼かせたのはあいつの母親なんだ!! 俺は全部知ってるんだ!!」 

 警備隊ではなく、竜騎手団がザシャを取り囲み、「黙れ!」と数発殴ってから、引きずっていく。

 だがザシャは執念深く、そして悲痛に叫び続けた。

「父さんはあんたを我が子みたいに可愛がってたじゃないか! パンを分けてやって! 母さんはあんたの成人の儀の衣装を縫った!!」

「黙れ! わけのわからんことを叫ぶな!」「上王のお命を狙うなど、この場で処刑してもいいだけの罪状だぞ!!」

 もはやザシャはこの場で殺されてもいいと思っているかのように、絞りだすように言った。「それなのに、なんで、なんで、父さんも母さんも兄弟たちも死んで、あんたは生きてるんだよ!? あんたが死ね、化物!」


 フィルは、リアナの耳を自分の手で覆って、ザシャの慟哭どうこくに似た怒声を遮断した。

「聞かないで」

 おそらく、今の彼女は聞いても理解できないだろう。あるいは、記憶にも残らないかもしれない。だが、そう言わずにいられなかった。

「聞く必要はない」

 まもなく応急処置が終われば、王城に連れて戻ることもできるだろう。〈竜の心臓〉を彼女に残しておいて正解だった。どんな方法であれ、リアナの生命を守ることがフィルの最優先事項だからだ。たとえデーグルモールと化したとしても。


「ああぁああぁ」リアナはやはり理解した様子もなく、ただうめいた。

「あなたのせいじゃない。里の惨劇はエリサ王の、協力者マリウスの、デーグルモールたちの、その背後のガエネイス王とアエディクラのせいだ。そしてあの朝、あなた以外を最初から救うつもりがなかった俺も同罪だ」

「があっ、あ、が、ああぁああ!」

 リアナは獣のようにうなり、叫び続けていた。もがく彼女をおさえこみながら、届かないことが分かっていながら、フィルはずっと語りかけていた。


「だから愛し返してくれなくていい、あなたの伴侶の座もいらない、俺は一本の剣だ、王じゃなくて兵士なんだ、あれが最初で最後の誓いだ、心まで必ず守りぬくから、だから、どうかリア、生きていて……」


 そうしている間にも竜騎手団の古竜たちが集まりはじめ、街の上にさらに街を築くかのように偉容いようをそろえて並んでいき、曇り空がさらに陰った。







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〇バックストーリー

「スイカズラの竜騎手」

https://kakuyomu.jp/works/1177354054885999373/episodes/1177354054887095314


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