8 英雄の反乱

第36話 駆けつけたルーイとナイル

 昼下がりの掬星きくせい城が、にわかに慌ただしくなった。さながら野戦病院のごとく、治療師ヒーラーと青のライダーの長衣ルクヴァが行きかう。王と王配の寝室が、彼らの戦いの舞台だった。城下の市民からは、王城の上を青竜が旋回し、夏の海のような鮮やかな色の鱗をきらめかせるのが見えた。それは、城内に重傷者がいる不吉なしるしとは思えないほど美しい。



 カールゼンデン家の竜車から降りたルーイが、ヒールのパンプスでよくもと思うほどのスピードで城内を駆けていく。使用人たちがあわてて壁際に列になるのに目もくれず、必死の形相だ。そのあとを、夫のナイル卿が追った。彼もまた常にない全力疾走だった。


「ケヴァン!」

 王の居住区へ乗りこんだルーイは、医師団にも集まる貴族たちにも目をくれず、まっさきに見知った顔に駆け寄った。

「リアナさまの容態は!?」


 ハートレスの兵士ケヴァンは、戦闘後なのだろう、黒いジャケットも白いズボンも泥まみれで脇に控えていた。ルーイを見、その背後に立つナイルを見、両者に向かって淡々と答えた。

「ご無事です」

「ほ、ほんとに?」

 ケヴァンはうなずき、自分の背中側に指さしながら説明する。「矢は肩甲骨から心臓上部近くまで至ったようですが、貫通していません。〈竜の心臓〉が傷口をふさぎ、修復しています。お命に別状ないとの、医師団の報告です」


 領主夫妻は、目に見えて安堵あんどした。

 〈血の呼ばい〉の効力は王と王太子以外にも、領主とその継承者にも及ぶ。ナイルとリアナは、おたがいの家の領主と後継者同士であるために、〈呼ばい〉の絆によっておたがいの生命兆候がわかるのだ。いちはやく彼女の治療現場に駆けつけられたのも、そのおかげだった。


「デイミオン陛下は?」

 ナイルの言葉に、竜騎手団の一人が答えた。「折あしく、郊外をご視察中でしたが、報告を受け急ぎこちらに向かっておられます。ハダルク卿もすでに城内竜舎へ……いまご到着です」

 ライダーがそう答えたときには、すでに〈呼ばい〉のいくつかがナイルにも届いていた。

 ともあれ、この場で王に次ぐ指揮権があるのは北部領主であるナイルであり、またリアナの身内でもあるので、治療師ヒーラーたちが目前に集まって報告をはじめた。諸侯たちも近くに並び、深刻そうな表情でそれを聞いている。

 命に別状はないといま聞いたばかりだが、はばかるところがあるのかナイルたちだけに聞こえるほどの小声なので、やや離れてケヴァンといるルーイはそちらが気にかかった。


「例の症状……」「一時的に妖精罌粟エルフオピウムの使用許可をお願いしたく……」「血液が不足して……」「……だが、感染の可能性は?」「希少な白のライダーの血筋が、残念なことだ……」


(なんだろう、無事のはずなのに、すごくイヤな感じがする……)

 ルーイは気をみながらも、領主の妻という立場上ほかにできることもなく、その場に立ちつくしていた。


「あの、閣下、お願いがあるんですが」

 ひと通り報告が済んだのをみはからって、ケヴァンが歩み寄った。自分の長剣を鞘ごとはずし、帯剣用のベルトとともに突き出した。「これを受け取ってもらえますか」

 ふり向いたナイルは、けげんな顔をした。

「私に、君の〈竜殺しスレイヤー〉を? なぜだい?」


 ケブはまるで、朝食の内容について尋ねられたかのような平坦な口調で答えた。「俺にはもう必要ないので」

 それを聞いたルーイの顔色が変わった。「ケブ、あんた、何をしたの」


「何をしたの、じゃない。何もんだ」

 そこで、はじめてケブの口調に苦さが混じった。

「連隊長が賊を一掃するあいだ、俺がリアナ陛下さまを守る。そういう役割だった。……でも、連隊長が残り数名を斬ろうとしたときに、リアナ陛下さまは竜車を飛びだして、連隊長のもとに走っていってしまった」


「フィルさまのもとに?」銃弾と矢が雨と降る賊の襲撃。そこに飛びだしていったリアナのことを思って、ルーイの血の気が引いた。「でも、どうして?」


「……俺にはわからない。俺は連隊長と同じハートレスだから。……だけど、護衛対象にこれほどの重傷を負わせたのは、兵士として最悪の失態だ。処分にあたいする」

 厳しい口調で言うと、ふとルーイのほうを見やった。

「こいつ……いや、ルウェリン卿の心臓を預かる、別のパートナーを探してもらえますか」

「……馬鹿っ! なんてこと言うのよ!!」ルーイは怒鳴った。重症人のいる場所だと気づき、ぱっと口もとを押さえる。


「早まるのはやめなさい」ナイルも青年を一喝いっかつした。ケヴァンのほうに剣をおし戻す。

「デイミオン陛下のお怒りはすさまじいだろうが、私からも取りなすから」

「お願いします、ナイルさま」

 自分が頼むのは筋違いな気もしたが、いてもたってもいられず、ルーイは手を組み合わせて頭を下げた。


 ♢♦♢


 ナイルは医師団と諸侯と打ち合わせをはじめた。デイミオンが来る前に情報を整理しておきたいのだろう。

 夫の邪魔になりたくないので、ルーイはケヴァンと壁際に寄った。隣りあわせの距離になると、血と泥の匂いがつんと鼻についた。ルーイは絹のハンカチを取りだし、幼なじみの顔についた乾いた泥をぬぐった。

 手を動かしながら尋ねる。

「フィルさまは?」

「軽い負傷がいくつかあって、城内で治療中。でも、すぐにこっちに来ると思う」

「そう、よかった」

 『別れ話がうやむやになっている』という微妙な関係の相手ではあったが、危機となればフィルバート・スターバウが頼りになるということは間違いない。そう思ってルーイは安堵した。

 だが、ケヴァンの表情は硬かった。「よくねぇよ」

「……?」

 けげんな顔をしたルーイに、幼なじみは「……いまにわかる」とだけ答えた。


「なにか、諸侯と医師団がもめてるみたいだけど……」


 ルーイが口に出した時、くだんのフィルよりも先に、国王デイミオンがその場に現れた。



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