第37話 最初からこうすべきだった

 竜王デイミオンがその場に現れると、諸侯をはじめ竜騎手や治療師ヒーラーたちがいっせいに頭を垂れて臣下の礼をとった。王は手を振って虚礼の必要がないことを示すと、すぐに医師たちからの説明を受けはじめる。

 国王夫妻の居住区、その一番手前にある客間に上王リアナが運ばれている。今は、その扉の前に夫であるデイミオンをはじめ、諸侯と医師団が集まっている形だ。



「デイミオン陛下……落ちついておられるわ」

 離れて見ているルーイは、こっそりとケヴァンに呟いた。

「前にも、リアナ陛下さまは同じ状態になったことがあるからな」

「――デーグルモール?」ルーイは限りなく声をひそめて尋ねた。

 ケヴァンはかすかにうなずいてから、あまり口に出さないようにと指で示した。


 切れぎれに聞こえてくるヒーラーたちの報告と、ルーイの記憶を継ぎあわせると、このようになる。

 『ヒトの心臓を損傷しながらも、〈竜の心臓〉の働きにより生命に別条はなし。ただし、その〈竜の心臓〉が暴走を起こすと、リアナはデーグルモール化する』――デーグルモール化とは、竜族の血を欲し、ほかの食物を受けつけなくなる状態だ。症状が進むと、体温を低下させ仮死状態となる。――以前のときは、そうだった、と聞いている。


「陛下の〈竜の心臓〉は正しく機能しておられます」治療師ヒーラーの一人が説明した。「負傷のショックによる一過性の状態でしょう」


「以前と同じケースだ」デイミオンは冷静に言った。「私の血と、フィルバートの血が、それぞれに効果があった。今回も同じと考えていいのだろう?」


「そう思われますが……」

 意見を求められた治療師ヒーラーの長らしい人物は、ためらう様子を見せた。

「血液の提供には慎重さが求められます。感染のリスクは避けられません」

「そうか」その言葉にも、デイミオンは表情を変えなかった。すでに、室内に続く扉に手をかけようとしている。

「では、今回も私とフィルバートだけでいい」


「陛下!!」ヒーラーの一人があわてて止めた。「陛下おんみずからでなく、ほかにも適合者はいるはずです。リアナ陛下に血液を提供できる志願者が……」

 デイミオンの返答は冷たい。「だが、この場にほかに志願者がいるようには見えんな」

 諸侯と竜騎手たちが、こわごわと、きまり悪そうに顔を見合わせている。デーグルモール化が怖い、というだけではない。彼らそれぞれが、自分の家を代表する領主であり、またその貴重な跡継ぎであるため、軽々しく決断できないのだろう。


 王もそのあたりの事情はわかっているのだろうが、妻リアナを案じるせいか、態度も声も威圧の度合いを増していた。

忖度そんたくは時間の無駄だ。いいから、フィルバート卿を呼んでこい。城内にいるんだろう」


「陛下。必要なら私でも構いません」夫のナイルがそう申し出たので、離れた場所のルーイはどきんとした。私情よりも家の存続を重視する夫が、そんなことを言いだすとはすぐには信じられなかったのだ。

「卿は……だが、血が近いのでは?」デイミオンの問いに、医師がうなずく。

「『マリウス手稿』の研究によれば、デーグルモール化は、ライダーの能力や血筋と密接に関係しているものと思われます。リアナ陛下さまの家、つまりゼンデンのお血筋は避けるのが賢明かと」

「では、やはり――」



 そのとき、デイミオンがやってきたのとは逆側の廊下から、フィルバートが一人で現れた。私室の前の諸侯たちはデイミオンのほうに注目していて、やってくる英雄にすぐに目を向ける者はいなかった。


 ちょうど、ルーイとケヴァンの目の前を通る形になる。長衣ルクヴァも着ておらず、ケヴァン同様、泥と血に汚れている。治療時に清拭されたらしく、顔と手はきれいで、細かな切り傷がかえって目についた。


「フィルさ……」声をかけようとしたルーイを、ケヴァンの手がさえぎった。

 フィルバートはいつも通りの落ちついた表情だったが、ハシバミ色の目はルーイがはじめて見る冷たさだった。ケブが唾をのむ音が聞こえた。それほどの緊張感があるのか。


「連隊長」ケヴァンはかすれた声で報告した。「力不足で、護衛対象を守れませんでした。処分はいかようにでも」

 そして、ナイルのときと同じように、〈竜殺しスレイヤー〉を差しだした。現在の指揮系統からはフィルバートは外れている。だから処分を下す道理はないのだが、ケヴァンにとっては大きな恩と借りのある相手で、やはり今でも上官と思っているのだろう。ケブの声には、信頼を裏切ってしまった悔しさがこもっていた。


 フィルバートは、部下の手にある剣を見下ろす。叱責ではなく、わずかな沈黙があった。

「……どれほど優れた兵士でも、指示に従わずに勝手に動く人物を、完全に守ることはできない」

 リアナが竜車を飛びだしたことを、彼は言っているらしい。

(それは、ケヴァンは悪くない……ってことよね? 勝手に飛びだして行っちゃったのは、リアナさまなんだから……)

 ルーイはそう解釈し、安堵しかかったが、ケブの表情は硬いままだ。


 ナイルの時と違い、フィルバートは彼の剣を受け取った。そして言った。

「ほかの奴らに任せるべきじゃなかったんだ。最初から、こうすべきだった」

 もともと、〈竜殺しスレイヤー〉はフィルバートの剣だった。この長剣で、エリサ王をしいせんとした反逆者マリウスの古竜を討ったのが、彼自身の二つ名の由来だ。

 そんな因縁のあるかつての剣を、フィルは無感情に帯刀した。英雄の手に竜殺しの剣というには、地味な出で立ちに見える。だが、それはルーイが知っている柔和なフィルバートとは、まるで違う男のようだった。

 ふてぶてしいほど落ち着いているのに、緑まじりのハシバミ色の目は怒りに燃えさかっている。

「もう誰も信用できない。リアナ自身でさえ」

 王のほうへ向かって歩みながら、背中だけを見せて呟かれたその言葉は、ケヴァンとルーイを身ぶるいさせた。


 ♢♦♢


 フィルバートが近づいてくると、海が割れるように諸侯と医師たちが一歩引き、二人の男はそこで相対した。離れてはいるが、三歩も踏みこめば剣の間合いとなる位置だ。

 『エクハリトスの二頭の竜』とも呼ばれ、恐れられる兄弟だが、相まみえるのは叔母グウィナの結婚式の夜以来だった。周囲を震えあがらせるほどの激しい口論を起こした、あの夜だ。それから、身分も立場も成育歴も違いながら愛する女性だけは同じというこのややこしい兄弟は、確執かくしつを埋める努力をいっさい放棄していた。


 声をかけようとしたデイミオンが動きを止める。弟の目のなかにある剣呑けんのんな光に気づいたのだ。

「……どうした?」

 低く問いかけるが、手はまだ剣に伸びていない。


 フィルバートは怒気をはらませた声で言った。

「そこを退いてくれ。彼女を連れて行く」

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