第38話 彼女に触るな
二人の男はにらみ合う。デイミオンは、まだ黙っている。
「お控えください、フィルバート卿」近衛兵長が、危機を察して割って入った。
「これだけの近衛兵と竜騎手を相手に、さすがのあなたもおし通れますまい」
「さすがのあなたも?」フィルバートは、兄から目を離さないままで冷笑した。
「陛下はよくご存じだろう。こんな狭い場所で、飛び道具もろくに使えなければ、たとえ竜騎手が束になってかかってきても俺を止めることはできない」
「ここには二十の竜騎手と〈ハートレス〉が――」
その言葉を、フィルは冷たくさえぎった。「竜騎手が一度にかかってこられるのは、この空間ならせいぜい三、四人。ケブならジャンプして滞空場所から俺を狙えるが、それでも五人。俺を相手にその人数ではどうにもならない」
近衛兵長は反論するように口を開いたが、結局押し黙った。
「俺はこけおどしは言わない。勝てる算段があるからここに立っている」フィルは念を押した。
普段のデイミオンなら、フィルバートの言動を一喝するだろう。あるいは、その場を収めるために決闘に持ちこむかもしれない。
そうしなかったのは、フィルバートの燃えあがるような怒りを目の当たりにしたせいだった。ここで自分まで激昂すれば、兄弟どちらの退路をもふさぐことになる。
それで、つとめて冷静に説得を
「私とおまえで、リアナに血を分けあたえて治療する。それが終わるまで待つこともできないのか? それほど愚かな男だったのか、俺の弟は?」
腰には二本の剣。いつでも抜刀できる位置に手を置きながら、フィルは常にない低い声で反論する。
「今回だけの話をしてるんじゃない。アエディクラとの交渉も、人身売買の一件も、
デイミオンは言いかえそうとしたが、できなかった。それは、自分でも負い目に思う部分があるからだった。リアナの能力と意志の強さに甘え、辛い決断を迫ろうとした自覚はあった。
フィルが脚にぐっと力を込めたのが見え、デイは思わず剣の柄に手を伸ばした。剣そのもののように研ぎ澄まされ、放たれるのを待つ弓矢のように、全身に緊張をみなぎらせた
「この話は時間の無駄だ」
「剣を抜くな!」デイミオンが、ここではじめて声を荒げた。
「それがどういうことか、わかっているのか? この衆目環視の中で、王に向かって剣を抜けば反逆罪になる。これまでおまえが積みあげてきたものを崩すつもりか?」
言いつのりながらも、デイミオンは自身の発言の身勝手さに気がついていた。かつて、同じようにデーグルモール化したリアナを王城から逃がそうと、フィルに「すべてを捨てられるか?」と問うたのは自分自身なのだ。それが、こんな形でわが身に返ってくるなんて、思ってもみなかった。
「反逆罪? 俺が今さら、それを恐れるとでも?」案の定、フィルは嘲笑した。
すでに、近衛兵もライダーたちも、フィルを取り囲むようにじりじりと間合いを詰めていた。だが、言葉どおり弟はまったくそれを恐れているようには見えなかった。
「英雄としての名誉も、ライダーの力も要らない。積みあげてきたものすべてを、何度でも捨てられる。必要なのはリアナだけだ」
言葉が終わらないうちに、フィルは予備動作もなく扉に向かって突進した。思わず、扉の前に立つデイミオンと、その前に身を投げだすようにしたハダルクのうち――王を狙うと見せてハダルクの焦りを誘い、斬りかかってくるのを〈
扉に手をかけたところで、デイミオンの手が背後から襟首をつかもうとした。フィルはそれを手刀で払うと、振り返ることなく中へと足を踏み入れた。
♢♦♢
部屋に一歩入ると、春の王城内とは思えない冷気を感じた。くわえて炎術のせいなのか、空気が奇妙に対流して、フィルバートの髪をゆらめかせる。
前に彼女がデーグルモール化した時には、王の居住区すべてを凍らせたと聞いたし、部屋に入ってその
黒と青の
だが年長のヒーラーは
「フィルバート卿、これは治療なのです。この状況で、希少なゼンデンの血を残すためには、陛下の子宮内の――」
「二度は言わない、そこを退け」フィルバートは抜き身の剣を手に、うなるように低く命じた。「彼女に触るな」
一歩、二歩。持ちこたえていたヒーラーは、剣の間合いに入るや、恐怖に身を震わせた。剣を扱う職種ではないうえに、リアナを押さえるために膝立ちの姿勢のままだった。〈
「あなたは……竜族を滅ぼしたいのですか?」
かすれた声で
「では、どうぞ私を斬ってお進みください」
「……」
フィルはためらわずに、ヒーラーの下顎を蹴るようにして気絶させた。そして、ぼんやりと彼を見あげる女性の前にひざまずいた。
一時的な栄養を送っているらしいチューブを引き抜いて、熱を分け与えるように抱きしめた。
「前のときと同じですね」
王城から、この万全の警備をくぐり抜けて、彼女を連れ出す。違いがあるとすれば、ほかならぬデイミオンの協力があるかどうかだろうか。
意識がもうろうとしている彼女に伝わらないのはわかっていたが、フィルバートはリアナの顔をはさみ、しいて笑ってみせた。誰も望まない地獄へ足を進めることへの、彼なりの決意表明だった。
「今度こそ、本当に、あなたを盗み出します。それがあなたの意志であろうと、なかろうと」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます