第39話 追いかけろ、逃がすな
フィルバート・スターバウの
デイミオンは、自分の脳が揺れるのを感じたと思った。目の前に星が散りながらも奴の襟首をつかもうとしたものの、やすやすと
瞬間、感じたのは不安や焦燥ではなく、羞恥と怒りだった。どちらも、今は不要なものだ。すぐに扉に手をかける。
だが――
ガツッ、と固い音がして、扉を押す手がはね返された。扉の下部から、銀色の刃先が見えている。剣とナイフをかませて、簡易的なストッパーとして使ったらしい。剣にこだわりがないことは知っていたが、名刀で知られた〈
数名のライダーに体当たりさせると、まもなく扉は動いた。しかし、そのたった数十秒でフィルバートにとっては十分だったらしい。壊れんばかりの音とともに扉が内側に向かって開くのと、ピュイ、と軽い口笛の音が聞こえたのはほぼ同時だった。
ハートレスであるフィルは〈呼ばい〉が使えないので、竜を使役する際には口笛を使う。その音がしたということは、飛竜を呼んだということだ。果たして、ばさばさと翼のはためく音をともなった。
「発着場を
踏みこみながら、警備隊は手が回らないかもしれないとデイミオンは案じた。つい今しがた、リアナを襲った貴族家の私兵と内部の密通者を捕らえたばかりだ。同時に部屋の中をいそいで見まわす。やはりと言うべきなのか、すでにリアナもフィルバートも姿が見えなかった。窓が開いているせいで、冷たい室内に生ぬるい春の風が吹きこみ、紋章入りのテーブルランナーをのんきにそよがせている。
「外を確認しろ!」と命じるのと同時に、ハダルクが窓際に走ったのが見えた。デイミオンはその間に、私室から外部に通じる王族用の隠し通路へ走った。手前の応接間ではなく、寝室の暖炉脇にある。隠し扉が開いた形跡はないが、フィルバートなら痕跡を残さずに動くくらいの芸当はやってのけるだろう。別のライダーを呼んで、こちらも調べさせる。
「どちらだ」口に拳をあて、デイミオンは独言した。「あいつなら、どっちの経路を使う? 飛竜で逃げるか、隠し通路か」
急ぎ応接間のほうへ戻ってくると、フィルバートに脅されたらしいヒーラーの数名が隅のほうで震えていた。その場の責任者は果敢にもフィルを止めようとしたらしいが、無駄なことであったらしく、気を失ってその場に倒れていた。
「飛竜が一頭、王宮外を東南方向へ飛んでいくのを確認しました」ハダルクが報告する。「外見特徴は、フィルバート卿のエクウス号と一致。レクサの
「心臓の有無は?」
「微弱に感知できます」
「やはり、飛竜か?」
隠し通路には、数か所の出口がある。〈呼ばい〉を通じて、そこはすでに押さえさせた。意識のない女性を背負って通り抜けるには狭いし、近衛兵たちは各通路を熟知しているから先回りされる。普通の侵入者なら、まず使わないだろうが――
ハートレスの兵士、ケヴァンが後を追って入ってきた。
「フィルバートの考えが分かるか?」
「部下でしたので、いくらかは」ケヴァンは慎重に言った。「一対多数になることが多いハートレスは、こういう場合必ず陽動を出します。リアナ陛下を連れての逃亡となれば、多数の竜に追われる空中移動はむしろ不利です。俺は、飛竜は陽動で、連隊長はまだ城内にいると思います」
デイミオンはすばやくうなずいた。「〈呼ばい〉に見せかける術具のひとつくらい、あいつなら持っているだろうな」
「城内の抜け道なら、一点突破する限り、連隊長の有利に動けます」
「よし。竜騎手は引き続き、エクウス号を追え。乗員がいない場合も着陸するまで手を出すな、飛竜が潜伏先を知っているかもしれん。近衛兵はすべて、城内の出入り口を封鎖しろ。またそれ以外の使用人たちは、それらの出入り口に近づかないように伝達しろ」
室内から、ばたばたと出ていく男たちの足音が響いた。
♢♦♢
しかし結局、これほどの包囲網でも、フィルバートとリアナを見つけることはできなかった。半刻の捜索ののち、デイミオンはどうやら彼らが城外に出たと結論づけざるを得なかった。
それからさらに四半刻が過ぎると、おおよその逃走経路が明らかになった。ケヴァンの予想通り、抜け道を巧みに利用しながら別の経路も使い、最終的に神官用の飾り門を破って山手の御座所側に逃げたらしい。利用者の少ない門で、門の上から兵士四人に不意打ちをかけたらしく、今回の被害の中ではもっとも重傷者が多い場所となった。
逃走経路には衣裳部屋や厨房など人目につく場所が少なからず含まれていたのに、直接の目撃者はほとんどいなかった。フィルバートにしても、こんなことが事前に予想できていたはずもない。まったくもって、悪夢のような
立場の違いや
(警戒はしていた)デイミオンは奥歯をぎりっと噛んだ。
(だが、一度も具体的に想像したことはなかったのだ)
王の居住区にて、すぐに追跡班が召集されることとなった。そこには長年にわたりフィルバートの右腕を務めていたハートレスの兵士、テオも混じっていた。
立ったまま、射すくめるような視線でテオを確認したデイミオンは、「おまえたちの元上官が、私の妻をさらった」と宣告した。
休暇を返上して駆けつけたテオは、拳を握り、王以上の恥辱を感じている様子だった。それを見たデイミオンは、今日、フィルと相対したときから自分が感じていたものがなんであるのかをようやく理解した。それは嫉妬だった。
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