【レビューお礼】② スイカズラの竜騎手

【レビューお礼】viola-sumireさま宛 ②

(※本編終了後と、開始前をつなぐお話です)



♢♦♢


「そういえば……おまえに誓願せいがん竜騎手ライダーがいるんだが、心当たりはあるか?」


 デイミオンがそう訊いてきたのは、彼と再会した夜のことだった。花冷えというのか、春が来てもまだ肌寒い王都の夜である。


「誓願の竜騎手?」リアナは繰りかえした。「そんな人の心当たりはないけど……」

 夫婦用にあつらえた大きな寝台の、その真ん中から答える。ほてった肌に、冷たいシーツの感触が心地よく、なかば眠りに落ちかけているところだった。


 デイミオンは部屋着のガウンをはおっただけの姿で、書き物机に向かっていたが、それを聞くと寝台にもどって彼女の鼻に口づけた。「出生時に届けられているから、おまえは知らないだろうとは思ったんだ」

 その言い方で、『念のため』という彼の意図はわかった。手に持っているのは立派な羊皮紙で、重要な書類であることもうかがえた。


「それって、どういう役割の人なの?」

「基本的には、名誉職だな。王や領主の子どもを守るという。なかには、実質的な庇護者になるライダーもいる。エサル公の筆頭騎手のハリアン卿や、アーシャ姫の護衛のオーデバロン卿がいい例だが」

 デイミオンの説明に、リアナはもう一度とっくり考えてみた。だがやはり、心当たりはない。

 出生時……というなら、立場的に養父のイニ(というより、マリウス卿)が一番ありそうだが、喜んで引き受けそうなタイプには見えない。もしかして、里の誰かかしら、と思い、最初に浮かんだのはパン屋のロッタの顔だった。イニがいないときも、いつも彼女のことを気にかけてくれた、愛妻家で子だくさんの優しい人だった。恥ずかしくて誰にも打ち明けたことはないが、小さい頃は本気でロッタのお嫁さんになりたいと思ったものだった。

(でも、たぶん、違うわね……)

 竜騎手ライダーの装備さえ、ケイエの妻の実家に置いていたと後で聞いた。それだけの覚悟で過去の人生を捨てた男が、あえて重責を負うとも思えない。


「……それは誰なの?」


 夫が読みあげたその名前に、リアナは思わず声を失った。



♢♦♢


「親父!」

 声をかけられて、もの思いにふけっていたウルカははっと顔をあげた。


「なんなんだ、その剣? はじめて見る。なんか花の模様が……」

 興味津々に体を寄せてくる息子を前に、ぱっと剣を隠す。「……おまえが見る必要はない」

 王都から来る査察官のために、応接間を片づけているところだった。不必要にかれらの注目を引くようなものは、隠しておかねばならない。印章つきの剣もそのひとつだった。


「なんでだよ。格好いいじゃん。それが、親父が竜騎手ライダーだったときの剣?」

 背中側をのぞきこんでこようとするのを、ぎろりと睨みつける。

「……。……いいや」


「親父だって黒竜の竜騎手ライダーだろ? 隠すことないじゃん、すごくかっこいいのに。俺はやっぱ、黒竜大公が一番クールだと思うけどさ。その人の黒竜が、オンブリアで一番でかくて強いんだろ?」

 ウルカは慎重に言った。「竜騎手ライダーの四割ほどが黒竜だ。珍しいものではないよ」

「そりゃ、親父にとっちゃ、そうだろうけど」

 ケヴァンは面白くなさそうに椅子の背をいじった。ライダーの家に生まれても、コーラーやリスナーの子どもであることは多い。混血なら、なおさらだ。だが、ケヴァンはそれを残念に思っているらしかった。

「俺も乗り手ライダーだったらなー。どっかのお姫さまの誓願せいがん竜騎手ライダーになれたのに」

「おまえが羨むようなものではない」

 ウルカは静かに言った。


「まあな。お姫さまの騎手とか、俺の性に合わねえし。でもあいつはライダーしか眼中になさそうだしなあ」

 まんざら嫌そうでもない様子の息子を、「ケヴァン」と制止する。


「リアナはやめておきなさい」


「はあ? なんでだよ……」ケヴァンは舌打ちした。「あいつの親が誰かわかんないとかの話か? 親父もそういうの気にすんの? 言っとくけど、俺そういうの気にしないから。あいつだって明日には成人の儀だろ。そしたら、来年には繁殖期シーズンに入れるし」


「そうではない」

 ウルカはおそろしいほど真剣な顔で言った。


。おまえが知る必要がないだけの話だ」




♢♦♢


「今すぐウルヴェアの炎に焼かれるか、おまえ自身の竜で始末をつけるか、選べ」

 そう彼に告げたエリサ王の声を、ウルカは今でも忘れることができない。怒りも酷薄さもなく、ただ、当然のことを淡々と告げるだけの声だった。


 イティージエンを滅ぼし尽くした黒竜の軍団。だがその竜を駆るのはライダーたちで、親元でぬくぬくと育てられた名家の嫡男ばかりだった。かれらは人間を焼く凄惨な炎と悪臭、そして日ごとの悪夢に怯えるようになり、少なからぬライダーたちが戦線を離脱して逃走した。ウルカはそのライダーたちのもっとも年長者だった。最初は、いずれ時が来れば、かれらを説得して軍に戻そうと思っていた。当時の竜王レヘリーンは悪く言えば弱腰で、離脱者に対する処分も甘かったのだ。

 国境沿い、老竜山の中腹の人里離れた地に逃げこみ、付近に住む人間たちと交流するうちに、ライダーと人間の女性が結ばれた。そこは小さな集落となり、隠れ里と呼ばれるようになった。

 王の目を逃れると思っていたわけではない。だが、その時が来るまで、ウルカは里をどうすべきか決められていなかった。そうしているうちに、ある朝、黒い甲冑を身につけた小柄な女性が降りたった。二柱の、黒と白の竜をしたがえた無二の王、〈双竜王〉エリサだった。


「どうかお慈悲を」王を前にひざまずいたまま、ウルカはガタガタとみっともなく震えた。「わたくしとライダーたちは、いかなる処分も甘んじて受けます。竜と、妻たちにだけでも……赤子を宿した女もおります」

 だが、それを聞いた王は侮蔑の表情を浮かべた。

「赤子など私にもいるぞ。それで罪を逃れるとでもいうのか? そんなにも惰弱な連中になりさがってしまったのか、私の竜騎手団は?」

 弱腰で無能の王をさっさと退位させ、みずから竜騎手団の指揮をるおそるべき女王は、すでに人間たちから〈魔王〉と呼ばれているという噂だった。王が連れている黒竜ウルヴェアの気配に、ウルカの竜も彼同様におびえきっていた。

 エリサが近づくと、炎が輪となってウルカの首のまわりにあらわれた。視界がゆらめき、息苦しさにむせぶ。頭が動いた瞬間、ジッと音を立てて首の皮膚が灼けた。だがウルカは声をあげることなく、ひたすらに恭順の姿勢のまま待っていた。

 

「いや……待て。そうだな。そうしてやってもいい」その様子を黙って見ていたエリサ王は、ふと考えをあらためたように言った。

「里を残してやろう。竜をやして王都に送れ。混血の子どもたちは、そうだな、ライダーが出れば王都に届け出ろ。コーラー以下の子どもはどうでもいい、好きにするがいい」


「あ、ありがとう、ございます。御恩にかならず報い――」

 すぐには信じられなかった。だが、やはり王にふさわしい温情があったということなのだろう。ほっと息をつき、言いかけたウルカの声を王がさえぎった。

「だが忘れるな。人間どもにライダーと竜を奪われるなよ。どちらもおまえのものではない。だ。……もし奪われるような恐れがあれば、その際にはみずからの手で殺せ。それができるなら、里を残してやる。どうする、ウルカ?」


 そのときの、殴られたような衝撃。口のなかが乾いて、何度も唾を呑みこんだことを覚えている。「お、お心のままに……」

 ほかに選択肢はない。ウルカの頭に浮かんだのは、そのことだけだった。ほかに選択肢はない。

「うん」エリサはうなずいた。そして、誰もがぞっとするようなことを平然と言った。

「私の娘はここで育てよう。王は戦争の味を知るべきだ、小さい頃からな。北部領は安穏としていてダメだ。男どもにまったく覇気がない」

 言いながら思いついたらしく、自分でもうんうんと満足そうにうなずいている。「あとな、おまえは娘の誓願せいがん竜騎手ライダーになれ。印章と剣はあとで送らせる」

 とても、否と言えるものではなかった。ウルカは炎の輪をつけたまま、深くこうべを垂れた。「つつしんで拝命仕り、身魂をなげうってつとめさせていただきます」


♢♦♢


 ケヴァンは祭の準備が残っていると言って出ていった。じきに、査察官が里にやってくるだろう。ウルカは剣と印章を片づけようとしたが、その目は吸いよせられるようにとどまった。愛らしいスイカズラの紋章は、あの日の炎と同じように、彼の首輪だった。


 この重荷をなかったことにできたら。

 ウルカは、ずっとそう願ってきた。

 しかし、エリサ王に立てた誓いは決してなかったことにはできない。


 誓願せいがん竜騎手ライダーになったということは、たとえ里人たち全員の命に代えても、リアナを守らねばならなくなった、ということだった。だが、その誓いがあるからこそ、里は王の名で守られる……。


 ウルカは皺の目立ちはじめた手で顔を覆った。


 一人の少女と、その他の愛する者たちすべて。そのどちらかを選ぶ日がこないことを、彼は痛切に願った。そして、もう信じる気持ちも揺らぎかけている竜祖に懸命に祈った。


 だが、竜祖のいらえはなかった。それが、あの日祖国の軍を捨てて逃げたライダーに対する竜祖の罰なのだろう。



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