二年目――冬、そして……

 ――とても寒い、冬の始まり。


 僕は自分の家の前で、宇宙の親戚の車が来るまで時をただぼんやりと過ごしていた。

 キャンプに帰って来てすぐ、両親に告げられたタイムリミット、僕はそれをその時はまだ受け入れきれずにいた。


 宇宙はというと、同じクラスの友達数人に囲まれ、最後となるだろう会話を楽しんでいた。

 学校でのお別れ会はもう終わったはずだが、宇宙に最後まで見送ってくれるような友達が出来ていたことは、ただただ嬉しく思う。


 彼女を視界の隅に捉えたまま、なにをすることもなく家の壁にもたれ掛かっていると、二つの足音が聞こえてきた。


「お前らか……」

「はぁ、全く奏介らしくないぞ、いつものお前ならもっと宇宙ちゃんとの別れを惜しんでみっともなく号泣してると思うんだが」

「そうそう、なんなら泣き顔のままおもいっきり宇宙ちゃんをぎゅーって抱き締めてたりしそうだよね」


 そんなことはない、今現に僕は宇宙に対して何の言葉も告げられずにいる。号泣することも、満面の笑みを浮かべることもない。


「お前らは僕のことをなんだと思ってるんだよ」

「そりゃあ、ねぇ?」

「ただのシスコン野郎じゃねえの?」

「……」


 その時の僕は心の底から否定していたが、今思えば大地と綾乃、二人がこうして話しかけてくれたことで、僕の心は大分ましになったのだろう。

 しばらく三人で他愛ない会話を続けていると、宇宙がこちらにやって来た。


「クラスの友達とはもういいのか?」

「うん、元々もうお別れ会はやったから」

「そうか」

「宇宙ちゃん!」


 見ると、綾乃が宇宙と顔を向かい合わせていた。後ろ手になにか持っているようだ。

 目を見開いている宇宙に対して、綾乃は笑顔でそれを差し出した。


「これ、宇宙ちゃんに似合うと思ったんだ」

「これって……」

「うん、マフラーだよ。宇宙ちゃん宇宙ちゃん、ちょっと巻いてみてよ」


 赤いチェックのマフラーだった。言われた通りにマフラーも巻いた宇宙の姿は、今までの中でも一番、嬉しそうな笑顔だった。

 僕が宇宙に見とれていると、不意に大地が奇声をあげた。何事かと思ったが、答えは直ぐにわかった。


「……雪だ」


 雪が降っていた。

 朝の天気予報でも降ると言っていたが、このタイミングだとは思わなかった。

 宇宙は、降ってくる雪に対して、まるで初めてそれらを見るかのように空を見上げていた。僕は、そんな宇宙の顔を、ずっと見つめていた。


 ……そして、別れの音が聞こえてきた。

 車の音、それだけなら今日だけでも何度も聞いていたが、すぐにわかった。

 車から、人のよさそうな男性が降りてきた。

 その人が僕の両親と少し話した後、宇宙は僕らのほうを向いて言った。


「皆さん、今まで本当にありがとうございました。」


 ――いやだ、聞きたくない、そんな言葉は。


「それと、おじさん、おばさん、これからよろしくお願いします」


 ――いかないでくれ、お願いだから。


「ははは、宇宙ちゃん、こちらからもこれからよろしく」


 ――まだまだやりたいことがあったのに。


 そんな僕の心の言葉は、誰にも聞こえることはない。

 しかし、何も言えずにいた僕の肩を誰かが叩いた。僕は今すぐ叫びだしてしまいたい衝動を押し殺して言った。


「……なんだよ、大地」


 大地はいつもの不敵なにやけ顔をすることなく、「やれやれ」といった様子で、


「ほら、お前も最後くらい腹痛我慢して別れの挨拶しろよ」

「……は?」


 なにを言っているんだこいつは、まさか今日の僕の憂鬱を腹痛のせいとでも思っていたのか。


 ……馬鹿だなぁ。


 その言葉が大地に向けられたものか、はたして自分に向けられたものか。

 ただ、今までうじうじと悩んでいたのが急に馬鹿らしくなったのは確かだ。


「宇宙!」


 言葉なんて要らない。なくたって通じあえるはずだ。


 だって僕らは家族なんだから。


またな・・・!」


「……うん!」




********************




 ――ずいぶん、懐かしい夢を見ていた。


 けたたましく鳴る携帯の音で目を覚ました。焦点の合わない目で時計を見ると、もう昼前だった。もうじき春休みも終わる頃だ、窓から射し込む太陽の光がぽかぽかと心地よい。


 携帯の画面を見ると、そこには慣れ親しんだ僕の親友、錦原大地の名前があった。

 立ち上がった僕は、あくびを押し殺すこともなく電話に出た。あいつとも長い仲だ、用件は大体察しがつく。


「すまん奏介、春休みのレポート見せてくんない?」

「やっぱりそんなことだろうと思った」

「え、なに? 奏介、お前エスパーでも使えんのか?」

「そんなわけないだろ、お前長期休暇の終わりにはいつも僕に泣きついてきたじゃないか。お前だって、別に分からないから僕に聞いてるんじゃないだろ?」


 僕がそう言うと、大地はばつが悪そうに、


「まあ、そりゃ徹夜すりゃあ余裕で終わるけどさ」

「じゃあ徹夜しろよ」

「やだよそんなの。大事な大事な大学生活を、レポートのためなんかに使いたくねえんだわ」

「……はぁ、わかったよ。明日の朝、僕ん家こい」


 返事は聞かずに電話を切る。大地は普段はお世辞にも真面目とはいえないけれど、一度スイッチが入ればとんでもないやる気をだすやつだ。

 しかし、レポートをする時間を惜しんでまであいつがすることといえば、やはり大学のサークル活動だろう。まあ僕も同じサークルに入っているので、あいつが一年生にもかかわらず、どれだけ本気でサークル活動にいそしんでいるかは、僕が一番よく知っている。


 そんなことを考えていると、僕のお腹が女の子のように可愛い音で鳴った。

 ……腹が減った、冷蔵庫を漁ってみるが、何もない。諦めてスーパーに行くことにしよう。

 少々身支度をして、財布を持って家の戸を開くと、先ほどまで僕を心地よい眠りに閉じ込めていた春の日差しが、よりいっそう強く感じられた。


 スーパーで適当に安い食材を買い、手早く調理する。一人暮らしを始めてから一年程しか経っていないが、実家でちょくちょく料理をしていたこともあり、今では手慣れたものだ。


 そういえば、結局今年の正月は実家には帰れていない。宇宙がいなくなってからは、どうにも居心地が悪かったのだ。

 宇宙とは、あの日以来、一度も会っていない。かといえば、手紙を送りあっていた訳でもなく、僕はいま彼女がなにをしているのかについては、なにも知らない。


 僕にとって、宇宙はどのような存在だったのか、宇宙にとって、僕はどのような存在だったのか、今となっては、もう分からない。正直、会えるのであれば今すぐ会いたいと思う。だけど、そんな願いは叶わないだろう。


 ……二十歳にでもなったら一度実家に帰っておこう。そして両親と家族三人水入らずで酒を酌み交わすのだ。


 昼食に作った炒飯の後片付けをしていたとき、玄関のチャイムが鳴った。一瞬、なにか宅配便でも届いたのだろうかと思ったが、そういえば大家さんに今日新しく人が越してくるという話を聞いていたことを思い出した。


 おそらくは引っ越しの挨拶だろう。このアパートに引っ越してくるのであれば、僕の大学の新入生かもしれない。挨拶に来るということは、きっと悪い人では無いだろう。第一印象はしっかりと良いものにしなければ。


 そんなことを考えながら、水道を止め、手を拭って玄関の戸を開ける。


「初めまして! 引っ越しのご挨拶に参りまし……」


 始めは元気だった声が驚きで小さくなっていく。それとともに、僕の心も戸惑いを隠せないまま、熱を帯びていった。

 たとえ何年経とうと忘れなかったであろう顔が、声が、今の今までもう会えないと思っていた人が今、はっきりと目の前にいる。

 話したいことはいくらでもあったはずなのに、僕らはどちらも互いの顔を見つめあったまま、一言も発せられずにいた。


 ……二十歳になったら一度実家に帰っておこう。そして両親と、彼女と僕と、家族全員、四人水入らずで過ごすのだ。

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君と四季 四葉陸 @yotsubariku

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