二年目――晩夏

 ――私が物心ついたときから、私の家は冷たかった。


 元々住んでいた家のことは、まだ一年しかたっていないのにだんだんと思い出せなくなってきています。多分、思い出すほどに思い出がないのだろうと思います。


 お父さんとお母さんが、私の居たアパートに来ることはほとんど無かったです。

 たまにどちらかが帰って来たかと思えば、机にパンやお金だけ置いて行ったり、酷く機嫌が悪いには意味もなく私に暴力をふるったりした後で、すぐにまたどこかへ出掛けに行っていました。


 あの二人にとって、あの家は帰るべき場所ではなく、私もまた、望まれて産まれた子ではなく、彼らにとっては厄介者でしかなかったのでしょう。


 私の家はとても散らかっていたり、噎せかえるような異臭がしたりといった、いわゆる"ゴミ屋敷"と呼ばれるものではないのがまだ救いでした。

 一人ではほとんどなにもできないような子どもが一人いるだけだったので、散らかす様なものもほとんど無く、当然のことではありました。


 もちろんテレビや漫画、ゲーム、本といった娯楽作品があるわけもなかったのですが、両親のうちのどちらのものか、ラジオだけはあったので、私はいつも、暗いリビングの隅に座ってそれを聞いていました。


 そんな誰もいない家での生活では、寂しささえも感じませんでした。そんな感情が生まれるほど、私は暖かみを知らなかったのです。


 私が知っていたのは、両親の存在、近くのコンビニまでの道のり、後はラジオで聞いたものだけでした。当時の私には、ラジオから流れてくる情報のほとんどが理解出来ないものでしたが、それが有ると無いとでは大違いでした。特に音楽番組は、無知な子どもでも楽しめるものであったため、とても気に入っていました。ラジオは私にとって、世界の全てと言っても過言ではなかったのです。


 学校というものがこの世に存在することは、後になって知りました。私の両親は私には何もいっていなかったし、ラジオで聞いても意味は理解出来ていませんでした。

 だから私はこの家を出るまで、小学校に行くこともなく、ただラジオを聞くだけの生活を送っていました。


 私の両親が逮捕されたことを知ったのは、六月の始め、大雨が降っていた日でした。彼らが何をしたのかは知りません。

 しかし、それにより、私はあの家には居られなくなりました。これからの私の未来は、親族の家に引き取られるか、児童養護施設に入るか、誰かに里親となってもらい、その人の家で暮らすか、という選択肢のどれかでした。


 親が犯罪を犯した上に、虐待を受けていた子どもの面倒を見ることができる里親はそう多くはいません。里親の中でも特別な資格を持った専門里親でないと、そういった子どもの面倒を見ることは出来ないそうなのです。

 しかし幸運なことに、そんな専門里親の夫婦が、私の面倒を見てくれるというのです。


 元いた家からは、何も持っていかなかった。今思うと、ラジオ位は持っていってもよかったかなと、少し後悔しています。


 暑い日差しの中、私の恩人である里親の二人に連れられてきた先は、「土本」と書かれたプレートのある、大きめの一軒家でした。「ここがこれから貴女の家になる」なんて言われても、実感はほとんど湧きませんでした。

 それよりも気になったのは、その家の前に居た男の子でした。自分と同年代の人間を見ることは初めてだったので、とても驚いていたのだと思います。


「君も一緒に捕まえに行こうよ、流れ星」

「え……」


 突然言われたこの言葉に、驚かなかったと言えば、嘘になります。けれど、言葉の真意が一切分からなかったのと、初めて同年代の子どもに声をかけられたことに混乱してしまって、唖然としてしまいました。


 見ると、男の子の顔は、どんどん悲しそうになっていきます。


「……ごめんなさい」


 思わず謝ってしまいました。とても空気が、気まずいです。元からなにを話せばいいのか分からなかったのに、さらに分からなくなってしまいました。

 結局その男の子はすぐにどこかへいってしまったのですが、里親の二人からあの男の子が二人の実の息子だということを聞いていたので、彼が帰って来た時には、とても緊張していました。


 なにか喋らないといけない……

 そう思っていた私の緊張は、結局無意味でした。その男の子……奏介くんは、私に対して、色々と話をしようと画策してくれていたから、私は奏介くんに対して、少しずつ心を開いていったのだと思います。


 奏介くんやその両親と過ごした日々は、私にとってかけがえの無いものでした。

 学校でも、初めは友達が出来なかったけれど、奏介くんやその友達の大地くんや綾乃ちゃんのお陰で、次第に私は明るくなっていきました。


 私の人生初めての夏休みが終わりかかった頃のことです。

 奏介くんのお父さんの車に乗って、奏介くんのお父さんと奏介くん、私の三人は少し遠くの山にキャンプに来ていました。

 車の窓から見える景色は格別で、車のラジオから流れる音楽を聴きながら、食い入るように自然の風景を見ていました。

 ずっと独りで家に居た私からすれば、たとえどんな景色であっても、見たこともないような素晴らしいものでした。


 キャンプ場の駐車場に車を停めたら、まずはテントの設営です。力なら男の子の奏介くんのほうが強いはずですが、作業は私のほうが上手くこなせました。私は奏介くんに比べて、器用らしいのです。でもやはり、奏介くんのお父さんはとても上手で、その手つきには惚れ惚れしてしまいました。


 テントの設営が終わった後は、バーベキューです。やり方は事前に調べていたので、抜かりはありません。

 ステーキ肉は肉汁をしっかりと閉じ込めて焼き、野菜も甘味が出るように焼く、それが目標です。

 結果は大成功でした。網の上で美味しそうな音を立てている肉や野菜達、皆で黙ってそれらを頂きました。


 その後は近くの湖で釣りをして、奏介くんがカエルを釣り上げたり、アスレチックに挑んで私だけ帰れなくなったりしている間に、日が暮れてきました。

 奏介くんが一番楽しみにしていたことが始まります。

 奏介くんのお父さんが車から天体望遠鏡を取ってきて、組み立て始めました。奏介くんは手伝いましたが、私にはやり方がわからなかったので、この時は見ているだけでした。

 やがて組み立て終わった後には、私と奏介くんが代わり番子で天体望遠鏡を覗いていました。と言っても、私は途中からあまり天体望遠鏡を使わず、裸眼で星空を眺めていました。


 夜空に浮かび上がった星々。彼らが居るのは、私と名前とおなじ宇宙です。私はその事実に、なんとなく喜びを感じていました。

 けれど、やはり気になるのは、私の隣で熱心に望遠鏡を覗いている奏介くんです。もしかしたら私はその時、星を眺めていた時間よりも、奏介くんの顔を眺めていた時間の方が長かったかもしれません。


 天体観測も終わり、私はテントの中で眠りに着くのを待っていました。奏介くんのお父さんは眠りにつくのが早いらしく、かなり前から寝息を立てていました。奏介くんもはしゃぎ疲れたのか、もう眠ってしまっていました。私は今日なんども見たはずの奏介くんの顔を眺め、忘れないように心にしっかりとしまってから眠りに着きました。


 ――私が、もうあまりここには長く居られないことは、既に分かっていました。


 どうやら私の遠い親戚が、私を引き取ってくれるそうで、私が奏介くんと一緒に居られるのも、この冬が限界でした。


 けれど、私は寂しくはありません。奏介くんたちと過ごした記憶がある限り、私はもう大丈夫です。

 親戚の家でも、しっかりと過ごせるように、最後の別れは、笑顔で迎えられるように……


 私は、奏介くんのことを、一生忘れないと、この幸せな記憶を胸に抱いて生きていくんだと、そう思いました。

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