第21話 は前を向いた
「え……?」
タキシード姿のままに、深々と頭を下げる
僕の後ろについて控え室に入って来ていた
どういうことだ、と混乱の最中に、要のすぐ傍に先ほどのドレス姿でスツールに腰掛けている
都合良く目が合う。檜奈乃は戸惑いとも悲哀ともつかない顔で要の様子を伺い、少しだけ両手を膝の上から離し、また置く。
「えっと、その。さっきの『花火』」
慌てて答えようとする檜奈乃の言葉を、要が唐突にぶった切る。
「今日上げた花火だ。それが、失敗だった」
頭を上げた要は、僕ら一人一人の眼を順々に見た後、歯を食いしばりながら俯いた。血の気が引き、白くなるまで拳を握りしめて。
今日、ついさっきまで行われていた春日要と櫻井檜奈乃の結婚披露宴。その中のプログラムの一つ、地元の夏祭りと日程、時間を合わせたうえでの花火の打ち上げ。春日家が経営する会社が、無論要もが作成した花火玉、その披露。
それが、失敗に終わったという。
でも。
「なんでだ」
その原因は何であれ。基準は彼の中にある以上、本人が失敗したと言うのだからそれは失敗したのだろう。
判断は既に下された。だが。
「それで、なんで僕らに、謝ることになるんだ……?」
何故だ。
クオリティが低いものを見せてしまったという職人魂的なものだろうか。何かが狂っていたか、どこかに綻びがあったか。
否。
僕たちの目線では。非の打ち所がない素晴らしい花火の乱舞だった。それで僕らが満足しなかっただとか、気に入らなかったということは無いはずだ。
そしてそんなことは、要本人にも当然分かっているであろうことは明らかであって。
「質の問題じゃあねえ。結果だ」
花火大会自体は成功を収めている。現に来賓は総じて冷めやらぬ興奮の中に帰宅していったし、遠くから流れてくる拍手の波には確かな感動と賞賛が込められていた。
「お前ら、まだ見えてるんだろ」
そこではなく。
僕たちだけに共有されているはずの幻覚に言及することであれば。
彼の目的は非常にわかりやすく、単純なものであった。
「幻覚として見えちまうほど、忘れたくねえと思う景色を打ち消すためには。時間をかけて忘れるか、それ以上にインパクトのあるものを観て上書きするか、だとオレは考えた」
というか。それしかオレにはなかった。要は目を伏せながら、悔しそうに吐き出す。
印象を、衝撃を、記憶を、塗り替えれば。更新できれば。大元をどうにかしなくとも、強引に消し去れるはずだと。
トラウマを克服するが如く。新たな記録を打ち立てるように。より新しく、鮮烈なもので認識を書き換えれば良いと。
「オレにとって、今日、この日が。間違いなくオレの人生で最も大きな節目だ。それは迎える前も、こうして終えた後も、変わらねえ」
「それは」
僕たちにとっても、同じこと、では。
ない。
紛れもなく。彼に、彼女にとって、それは人生においてはたった一度きりの。
口を開け放したまま二の句が継げなくなってしまうが、彼らは言わんとしていることはやはり予想できているのかしていただろうか、こちらを待つことなく続ける。
「勘違いすんなよ。もし出来るンだったら都合がいいと思っただけだ」
「そのために式を挙げた、なんてことはないよ。ちゃんと目的は達せてるから」
飽くまで結婚披露宴が最初にあって、それに乗じて上手くやれそうだったからやっただけ、だと。本人たちがそう言うのであれば、信じるほかには有りはしない、が。
だったら、猶更。
「謝ることなんて、何一つ無いじゃないか。あわよくば、だってことなら、こうして僕らに打ち明ける必要すらなかった気すら」
「オレは事前に言わなかった。それは失敗に終わったなら終わったで、誰にもそんな意図があったと伝えなきゃいいと思ってたからだ」
それはそうだ。誰もが結婚披露宴で過去の幻覚を振り払うべく花火を揚げた、などとは思うまい。それは同じモノを見ている者たちでも全く同様であり、
意味を持たせることなど、なかったというのに。
もはや、花火に特別な意味など抱いてはいない。それはもう空に映し出されていて当然のモノであり、生活の一部として極々当たり前に存在しているモノだ。
そう。
今更、消えるなどとは思っていない。
何故か?
「でも、それは間違いだった」
吉野柾樹は。草刈柊子は。榊原蓮は。
「こんな方法で終わらせられるなんて思ってた奴ァオレだけで。終わらせたいと思ってたのも、オレだけだった。ってことに気付いたのは、打ち揚げ終わってからだった。オレはただ、お前らを使ってオレが満足できる実験をしただけだった」
望んで、いないからだ。
他の皆は、わからない。
でも、少なくとも榊原蓮は。僕は。
どう思う? どう思っている?
消えてほしいか。毎日続く音と光に関しては、まあそれはそうだ。無くなって困ることはない。不眠に苦しむことも、ノイローゼになりそうなほど魘されることもなくなるのだとしたら、迷うことなどないはずだ。
自分が原因の一端どころか、大半を占めているであろう後ろめたいことが、帳消しにされるとなれば。この胸に巣食う罪悪感も、払拭されてしまうのだろうか。
されてしまうのだろうか?
違う。
断じて。
それじゃあ、消えない。消えたとしても、それは望んだ結末じゃあない。
そうでなければ、きっと今まで生きてこられてはいない。
気がふれそうな異常の渦に、狂気の花に、魅入られているのではなく。そもそもの話として、僕たちは望んでこの幻覚を視ているということだ。
行動の指針として。現状の再認識手段として。常に自分を律する罪悪感の器として。
そうでなければ。わざわざ勉強なんて頑張って東京に出て行ったりしていない。
決めているからだ。
己の生き方を。どう在りたいかを。
「だから」
だから春日要は、僕たちを使って実験をした。
自分と同じであるかどうかという、失敗することを前提としている実験を。
何が大切で、何に対してどう思っているかは必ず人それぞれ異なる。彼は、それが自分にとって重要かどうか、ということを確かめたかった。
「ありがとう」
「……は?」
だから。彼の欲しい言葉はきっと、許しなんていう生ぬるい慣れ合いなんかじゃあないはずだ。
「言ってくれたことにだ。君は悪いと思ってて、僕は思ってない。ならありがとうしかないだろう?」
「…………お前らは、いいのかよ」
まるで、悪事を咎められて親に怒られている子供のような、怯えた声で、要は柾樹と柊子に問いかける。悪事を悪事だと分かっているからこそ、叱責されるべきだと理解していて、そのうえで僕らに打ち明けたのに。と。
残念だが、それは悪手だ。
「なにが?」
「だから何、としか思えないわ。同意を取らなかったこと自体は不手際だと感じるけれど、それだけね」
君と同じく、好き好んで延々と幻覚を視続けているような奴らだぞ。君のように花火が特別好きというわけでもないのにだ。
「実験も無しに結論を導けるのは机上だけよ。試してみたいと考えるのは自然なこと。そこに善悪は無いわ」
柊子はそう言ってばっさりと切り捨ててしまう。だから何、は言いすぎじゃないかとも思わなくはないが、まあそれで不都合が生じたわけでもないし、嫌な気持ちになったということでもないわけだし。
むしろ。助かった、まである。
「そこだ。君はそれで幻覚を消せると考えた。そこに至るまでの思考プロセスが知りたい」
「え……はァ、?」
そんなんじゃ友達辞めてならねえぞ、と。
僕は何よりも、要に詰め寄った。
「要がそう思って、実際に出来ると確信できたのなら。きっと皆、同じように。解決法を知ってるはずだ。いや別に無くてもいいんだけど。でも、そう思っているなら。どうすべきかは、わかる気がする」
「えらく曖昧じゃねェか」
「だってこんなの、どうあったって不確定だろ。仕方ないじゃんか」
どうすればいいか。それを皆で考えればいいんだ。
個別にすることもきっと大事だろうけど。それ以上に、皆はどう考えているのか。皆で、どうすればいいのか。
失笑する要、顔をほころばせる檜奈乃、何も言わず歩いてくる柊子。
「なんだ」
驚いたような、ほっと安心したような。今更、一人きりでないことを自覚したらしい柾樹。
「皆、そうだったのか」
皆と一緒なら、きっとなんとかなるはずだ。
「当たり前だろ。僕ら皆、同じなんだからさ」
花は二度散り一度咲く。 菱河一色 @calsium1
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