ないものねだり劣等生
爽
ないものねだり劣等生
九月九日。午後十時。
日記なんてものを初めて書いてみる。なんとなく自分の気持ちを整理するのにいい気がして。とはいえ、正直なところ何を書けばいいのか分からないが、思いつくままに書いてみよう。
昨日、僕の弟が死んだ。
マンションの三階から飛び降りて、自殺だった。あまりにも突然のことで、まだ現実の理解が追いついていない。
なんで自殺したのか。それが一番の疑問だ。俺がもっと気にかけてやればよかったんだ。だって僕は兄で、あいつに近い存在だったんだから。
今でも後悔だけが残っている。
九月十日。午後九時。
平日だったが何処にも行かず、ただ部屋に引き篭もってぼうっとしていた。
出掛けるなんて気分じゃなかった。
パソコンを開いたり、テレビを見たりはしたが、全く頭に入ってこなかった。
弟のことが、ずっと頭の中をぐるぐるしている。そういえば弟は勉強のことで悩んでいるようだった。いつもいつも僕と比べられていて、内心は不満と劣等感があったみたいだ。多分僕は、学年で一位や二位あたりの成績だったが、弟は下から一位か二位。正確な順位は教えてくれなかったけれど。
九月十一日。午後八時。
嫌な夢を見た。落ちる瞬間。あいつが落ちる瞬間の夢だ。あいつは俺の目の前で飛び降りやがった。なんだか最近様子がおかしいと思っていた矢先のことだった。僕がマンションの三階の屋上へ行くと、そこにはあいつが背を向けて立っていて。風が強い日で、天気は曇っていた。気のせいかもしれないが、あいつの周りには紙吹雪のようなものが舞っていた気がする。そこで目が覚めた。
朝起きた時、心臓がばくばく鳴って、喉もからからだった。鏡を見たら、尚のこと夢が思い出されて嫌な気分になった。
それ以外、今日は特に何もなかった。
今日も学校は休んだ。とても行ける気分じゃなかった。
九月十二日。午前九時。
そろそろ学校に行かないと危ないんじゃないだろうか。勉強も遅れるし、それは困ると思う。でも行けない。なんだか行くのがとても怖い。
それと、勉強道具を見るのもやけに怖い。教科書とか、ノートの表紙とか、とにかく見たくない。鏡も嫌だ。弟を思い出してしまうからかも。あのどうしようもなく駄目な弟を。駄目だ。駄目だ。
九月十三日。午後十一時。
日記を続けられているのが不思議だ。いつも俺は三日坊主なのに。日記らしい日記じゃない気もするけど。思いついた事をなんとなく文字にしてぶちまけてしまえば、気が晴れる気がしてしまう。自分の自己中心的な願望だって、こうして文字にしていけば本当になる気 が (文章はここで途切れている)
九月十四日。午後十二時。
やっぱり、あいつの自殺の理由が知りたい。何であいつは自殺したんだよ?
何が不満だったっていうんだ。
俺なんかよりずっとあいつの方(この続きの一行は黒く塗りつぶされている)
明日は、学校へ行こう。
九月十五日。午後七時。
学校は午前中で早退した。やっぱり何も分からなくなってた。勉強が全然分からなくなっている。駄目だ。分からない。無理だ。
それと、クラスの奴等が僕を変な目で僕を見る。身内に自殺した人がいる人間がそんなに珍しいのか。あいつの机に花が置いてあるのが目について嫌になった。ああくそ、くそ。
九月十六日。深夜一時。
弟について、考えをまとめてみようと思う。名前は裕一。身長は僕と同じ。体重は、どうだったかな。
僕とあいつは双子だ。でも僕たちは顔つきは殆ど変わらなくても、他は色々と違った。勉強とかスポーツとか、いつも比べられるし、おまけに俺たちには分かりやすい優劣がついていて、どう見てもあいつの方が俺より優秀で、みんなに一目置かれてて、あいつは俺のことをきっと内心で見下して、俺はまともに褒められたことなんてなく、て
あれ?
九月十七日。午後十時。
昨日からおかしい。頭がぐちゃぐちゃだ。書けばまとまるかもしれないから、書いてみる。
なんだか、変なんだ。弟は兄の僕より駄目なやつのはずなんだ。いつもいつも失敗ばかりで、いい加減で、有言実行なんて程遠くて、馬鹿ばかりやって。
学校の成績だって親に落胆され続けている。今では成績について両親から聞かれる事さえない。素行もどちらかといえば不真面目で、馬鹿で、教師には呆れられている。
友達は多く、学校は楽しかったけれど、家に帰ればずっと劣等感を感じていた。表に出ないようにはしていた。
でも俺……違う。僕自身がどんな奴かっていったら、僕は僕のことが全然分からなくて。
成績がいいってことしか分からない。何をやっても大体うまくいっていたってことしか分からない。ああそうだ、あまり親しい友人はいなかった気がする。大体一人で行動していた。けれどなんだか、何もかも実感が湧かない。
この間学校に行っても、全然勉強が分からなくて、休んでいたからだと思ったけど、試しにさっき問題集をやってみたんだ。そしたら手も足も出なかった。
あいつはもっと、簡単そうに解いていたのに。
九月十八日。午後十一時。
ちょっと待て、昨日の日記。
あいつって、誰? 僕は、僕は誰。俺の名前は裕二で、いや違う。僕は裕一で。
違う、自殺したのは裕一だ。それは間違いない。
裕一って、本当に弟か?
ベシン、とシャーペンの芯が折れる音が鼓膜に響き、意識が一気に現実へ引き戻される感覚。日記帳に筆圧の強い殴り書きされた字が並んでいるのが見えた。手には汗が滲んでいる。ふと右手を見ると、シャーペンの芯によって黒く汚れていた。
僕、いや、俺は顔を上げて、日記の文章から目を背けるように部屋を見渡す。漫画の並んだ本棚。机の横に山積みにされた教科書類。ベットの上には、いつだったか寝る前にプレイしていたゲーム、読みかけの漫画、ケータイ。部屋の主はずぼらな性格であることが、要所から見てとれる。
なんだかこの部屋が、僕の部屋ではないように僕には思えて……。
いや、もうやめよう。ここは日記の中じゃない。
現実なんだ。
……本当はわかっているんだ。
裕一が、出来の悪い弟なんかじゃないってことに。自殺したのは、そんな裕一じゃないんだ。
机上の空想は終わりにしよう。日記という、僕だけの、違う、俺は僕なんかじゃない。俺だけの都合のいい世界は終わりだ。終わりなんだよ。
一週間ほど経って、やっと頭が少しずつ正常に働くようになったんだ。
そう思った瞬間、脱力感が俺を襲った。解放された、と言うべきか。狂った自分の脳内世界から。
熱に浮かされたように書いた日記帳を閉じる。もう見たくない。見たら、この時の自分に引きずりこまれてしまうだろう。
落ちたのは、出来の悪い弟だと思いたかった。
生き残るのは、出来の良い兄であるべきだと思いたかった。
いや、生き残った“俺が”出来の良い兄だと、そう思いたかった。
あいつの自殺をきっかけに、胸の底に沈殿していたどす黒い劣等感が、俺の世界を塗り替えてしまっていたんだ。
俺は、兄じゃない。双子の弟の、祐二だ。
本当に落ちたのは、兄の方だ。兄の裕一だ。『裕一』は弟じゃない。
『出来の悪い弟』は、俺なんだ。
勉強ができないのも、飽き性で三日坊主なのも、面倒くさがり屋でいい加減なのも、全部全部俺の話なんだ。
俺よりデキるやつで、俺にとっては羨ましくもそれ以上に妬ましく、邪魔にも感じていた。そいつが、自殺した兄だ。
俺は静かに溜息をついた。ここ数日、頭の中は濃い霧が立ちこめているように不明瞭で、まともな思考回路ではなかった。それだけ衝撃的だったんだ、兄の裕一の自殺は。あの出来事は、俺にとっては理解の裏側だ。あいつが自殺する理由がどこにも見えなくて、納得がいかない。むしろ俺の方が自殺したっておかしくないさ。じわじわと、真綿で首を絞められるように毎日追い詰められていたんだから。昔からな。
あいつの部屋をあいつが死んですぐひっかきまわした。何か、あいつの思考の手掛かりはないかと。けれど、几帳面に整理されていたあいつの部屋の何処にも俺の知りたい事はなくて。
そう、だから。その時、考えてしまったんだ。
あいつなんかより、俺の方が三階から落ちるべきだったんじゃないか。優秀な兄が死んで、不出来な弟が残るなんて、そんなの、俺にとっても残酷だ。今後俺は、周りにどう見られる?
兄の死んだ理由は分からない。なら、俺の都合のいいように解釈してしまえ。俺とあいつは双子だ。双子の入れ替わり話なんて、よくある話さ。それと同じ要領だ。
今ならいらない方を捨てられる。
いらない方は、弟か兄、どっちだ?
そうして、そんな狂った思考にとり憑かれた俺は自分の頭の中で、自分がマンションの三階から落ちたことにしたんだ。
『俺は――いや、弟は――マンションの三階から、落ちました! 生き残った“僕”は出来の良い兄です!』
心の中で信じ込んで、自分の頭に妄想を刷り込むなんて、全くもって、反吐が出る。くだらない現実逃避だ。
苛立ちに任せて、机の上の日記帳を殴りつけた。本当に殴りつけたかったのはそこにおめでたい世界を書き上げ創りあげようとした、馬鹿な自分自身だったのかもしれない。
けれど、それでもスッキリしない。
あいつの自殺の理由は、結局なんだったんだろう。
これが分からない事には、俺はあいつの死を吹っ切れそうにはない。
×××
九月八日。午後四時。
さて、この僕の日記も今日で最後になるだろう。改めて見返してみると、僕自身知りたくもなかった事ばかりが分かって嫌になる。ここ一週間分しか書いていないけど、こんな馬鹿みたいな日記、一週間も書く事が間違いだ。
僕が社交的で友達が多くて、クラスでも部活でも何でも中心人物として活躍している。そんな僕の日記。但し、この日記はフィクションであり、実在の人物、団体とは一切関係ありません。笑えるね。ただの現実逃避の妄想さ。
しかもその現実逃避世界での僕は、まるで弟のような振舞いをしているなんて。気持ち悪い。
僕は弟を自分より出来ない奴だと見下すと同時に、僕にないものを持っている弟が羨ましかったんだ。会話を弾ませるのが上手で、リーダーシップがあって、皆に頼られる。勉強はからきしだったけれど。僕は逆。勉強以外何もない。
あいつに僕の気持ちは分からないだろう。小学生の頃から陰で「つまらない」「話が合わない」「近づきたくない」なんて言われ続けた僕の気持ちなんて。
真綿で首を絞められるような苦しさを常に感じていた、僕の気持ちなんて。
そんな気持ちを打ち消すように僕はあいつを見下そうとして、その度に言いようのない虚しさに襲われていたんだ。
本当に、最低だな。書けば書く程反吐が出そうになる。正直、この日記は残しておこうか最後まで迷ったんだけど、やっぱりこの世から僕共々消すことにした。
どうせなら、飛び降りる前に、屋上でびりびりに破って僕と一緒に落としてしまおうじゃないか。
というわけで、これにて。
ないものねだり劣等生 爽 @amssu18
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