第63話 もう一人の自分

 道端の立葵が、ぐんぐん背丈を伸ばす。

 梅雨を知らせる花は、世間様などおかまいなしに色とりどりに咲いている。

 夏も近い。


 思案した結果、いったん、水商売を上がることにした。

 御指名を頂いていたお客様に、報告とお詫びとお礼の連絡をする。

「今後は夜の遊びも接待の概念も大きく変わっていくのでしょうね」

などと、しみじみ話す。

 長きにわたりお世話になり、かつ人間的に相性がよかったお客様とは、コロナが終息した暁にはプライベートで飲みましょう!と約束した。


 まだ、書きたらないことがいくつかある。

 例えば“お茶を挽く”の本来の意味について。

 その昔、トップクラスの遊女であった花魁が、高人の前で茶を点てる大役を仰せつかったがために、前日にあえて客を取らずに茶を挽いて準備した、という話。

 店自体の閑散や、キャバ嬢が指名客を呼べずに揶揄されるのとは大違いだ。

 なぜか?膨大な情報量のネット検索ではヒットしない。

 物の本を紐解いて初めて知る、使いなれた業界用語の側面。

 水商売をしていなければ、興味もなくスルーしていただろう。


 大好きな俳優がいる。

 私からすればとても若い。

 彼の出演作や彼の撮った映像を観て、彼の生みだした音楽を聴いて、眠りに就く。

 ここ数ヶ月、だらけて過ごした自粛生活の一服の清涼剤だった。

 エンターテイメント業界の再開はナイトクラブのそれよりも長びくだろう。

 厳しい環境だろうが、また、彼の活躍する姿を楽しみにしている。

 なぜ、こんなにも惹かれるのかと考えたら……今彼に似ているのだ。

 柔らかく、まっすぐな印象。

 思慮深そうなつぶらな目。

 くるくる変わる豊かな表情。

 美しい声で丁寧に話すところも似ている。

 今彼はおっさんだが、人がキラキラするのに年齢制限はないのだと思った。


 四半世紀の水商売人生で本気で惚れて寝た客は、二人(※私生活の若気の至りは省こう)。

 元彼と今彼だ。

 途中、離職した時期もあったが、一万五千人(※延べ人数ではない)を接客したなか、キラキラを放つ希少な存在だった。

 彼らはそれを私に与えてくれた。

 惜しみないまっすぐな愛情で、未熟に腐った私を浄化し、辛抱強く見まもってくれた。

 男は女を不幸にする生き物ではないと、身をもって教えてくれた。

 人を愛することは人生を豊かにすることだと教えてくれた。

 自分と同じだけ大切な人がいることの強みと幸福。

 愛された記憶があれば、戯れの恋に堕ちずとも、一人で立っていられるのだと知った。

 彼らとの邂逅は私の人生の宝だ。

 水商売をしていなければ、アホな私がけして触れあうことができなかった、勤勉で、優秀で、情熱的な彼ら。

 谷あり谷ありだったけれど、長らく水商売をしてきて本当によかった。


 さて。

 女一人、これから、どうして生きていこう?

 私の生活圏では新型コロナウィルスの二次的三次的被害が広がる一方で、終息にはほど遠い。

 日常は変化して戻らない。

 闘いは、まだまだ、続くのだ。

 ホステスという使いふるされたペルソナを剥ぎ、今度はどんなペルソナを被るのか?

 社会人として何者かを演じつづけるもう一人の自分は、面倒で、滑稽で、切なくて、柔軟で、たくましい。

 いけるところまで、いこう。

 

 


 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ハシビロコウ ハシビロコウ @hasihasibirokou

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ