薄らいの羽

西木 草成

さぁ、そこに御座んなさい。


 さて、どうしたものか。いやはや、客人もなかなかの好奇心がお有りのようだ。おや、まだ震えていらっしゃる。どれ、もう少し火の方へ近寄んなさい。いやはや、どう説明しようものでしょうか.....さぞ、驚かれたでしょう。そんな目で見なさんな、別にとって食おうというわけではござらん。


 まぁ、落ち着きがてら。少し、昔の話を致しましょうか。


 昔、ここの寺で修行をしていた小僧がおりましてな。毎日読経と、寺の掃除をさせられて退屈してそこの、寺まで続く山道があったでしょう? その石階段でぼんやりと秋のさっぱりした空をぼんやりと眺めていたのですよ。


 ふと、茂みの方でガサガサと音がする。


 はて、と思い小僧は立ち上がって、その茂みを覗き込むとそこにはそれは綺麗な少女の姿があったのです。年端もあまり行かない、14、5歳の少女がその茂みで薄着のまま座っていたのでございます。見れば、召しものもかなり良い品でどこか高貴な家の娘だというのは、俗世から離れた坊主でも一目瞭然でございました。


 このままでは風邪をひくだろうと思い、その小僧は寺にその少女を招いたのでございます。そこまでの道でその少女の名前は『そよ』ということを教えてもらったそうで、そして思わず家を飛び出した、いわゆる『家出少女』というやつだったそうですな。


 小僧は、寺の住職に話をし親御さんに連絡をとってもらおうと。当時は電話なんてものはあまりありませんでしたから。その小僧を使いっ走りに行かせようとしたのですよ。しかし、その少女は頑なに家を教えるのを拒みましてな。確かに、飛び出して行った家にいきなり引き渡すのも気の毒な話です。そこで、住職は一晩だけ寺に泊めて、明日親御さんに引き渡すということでまとまりまして。その一日の間、その小僧が『そよ』という少女の世話をすることになったのでございます。


 そよはどこか不思議な少女でしてな。今でいうならそう…マネキンといえば良いのでしょうかね。どこか人とは違う、まるで人形みたいに作られた見た目の少女でしてな。しかし、小僧も15近くになることもあってか、内心。少女の世話を任されたのは退屈だった日常に舞い降りた天女のように思ったのでございましたのよ。


 して、その日の夕食でございました。寺では基本、臭い野菜や肉、魚などは食事では出さない。いわゆる精進料理というのが出されておりましてな。たとえ客人だとしても、一度寺に入ってしまえば、それに従っていただくというもの。そよに出された食事も精進料理だったのですが、なぜか料理に箸を伸ばさない。単に口に合わないというのならわかりますが、そよの顔は『食べたいのに食べれない』と言っているように感じたそうです。確かに、家出をしたショックであまり食事が喉に通らないということもあるのかもしれないと思い、全く手のつけていない食事を下げたのでございます。


 さて、その日の夜にてございました。

 外の風はだいぶ強くて、外と部屋をつなぐ襖から隙間風がピューピュー吹き込んでおりましてな。その小僧の隣の部屋にそよが眠っていたそうです。小僧が夜中に小便に行こうと布団から出て、外にある便所まで用を足して戻ってまだ眠りの浅いうつらうつらとしていた時。


 スゥーと隣のそよが眠っているはずの襖が開きましてな。畳の上を素足でスルスルと歩く音が枕元で聞こえたのですよ。思わず起き上がって声を掛けたのですな。


『そよ。どちらへ行かれるのですか?』


 すると、月明かりが障子を透かして彼女の姿をくっきりと映しておりましてな。その黒い影がポツリポツリと涙を零すのでございます。


『私、今日死ぬのです』


 はっきりと、この寺に彼女が来て初めてはっきりと聞こえた声でございました。まるで絹のように白く透き通った声でございました。突然のそよの告白に困惑した小僧は理由を尋ねましてな。すると彼女はポロポロ真珠のような涙をこぼしながら、ポツポツと答えるのであります。


 客人。『陽炎』という虫をご存知ですかな? 見たことは無くとも名前は聞いたことがございましょう。そう、虫の陽炎でございます。


 彼女は、その言葉を最初に口にしたのです。


 それは病なのか、はたまた血によるものなのか。


 客人、あなたがこの寺に迷い込んだのはその真実を聞くためなのでしょう? えぇ、お話いたしましょうとも。


 さよが話してくれたのは、その彼女の体にいる陽炎についてでございました。陽炎という虫は、幼虫から成虫になってからの寿命がたった一日なのだそうです。成虫は口が退化してしまって、餓死してしまうとのことですが、彼女の中に宿る陽炎もまた数日の命だということをさよは人間の本能でわかってしまったのでしょう。


 彼女は、初潮が来てからほとんど物を口にできなくなったそうです。この寺に来たときも、すでに一週間、水しか口にしていなかったと話しました。そして、もう一つ。彼女の中に宿る陽炎は死ぬまでのその短い間で番いを探すのだそうです。そして、その番いを探そうと家を飛び出し、山を越えてこの山にたどり着いたとのことでした。


 最初は信じられなかった、しかし少女の顔は嘘を言っているようには思えなかったのです。そして、小僧は目の前の少女に対してある種の恐怖を感じたのです。


 それは、非人間のような存在の拒否なのか。


 はたまた、短い命に対する畏怖なのか。


 その小僧は彼女を置いて逃げてしまいましてね。不思議と、小僧の後を追うことはなかったのです。さて、次の日の朝。恐る恐るさよのいた部屋を開けてみると、綺麗に畳まれた布団と寝巻きが部屋の隅にポツンと置いてあって彼女の姿はどこにありませんでした。ですが、その代わりに、





 畳まれた布団の上に白く綺麗な陽炎の亡骸がポツンと一つ置いてあったのです。






「さて、先ほど見た部屋でのこと。あれの説明をせねばなりませぬな」


「えぇ.....あれは一体なんなんですか......」


「さぁ。こちらに来なさい」


 話を終えたこの寺の住職が、線香の香る法衣を翻して立ち上がる。それに習い、自分も立ち上がって彼の後を追った。いつの間にか体の震えは治り、両肩にかけていたタオルを床に放り出す。


 ここに来た理由、それはたった一人の大事な友人を探すため。彼は、大学を卒業する前に行方不明になり、足取りを追った末にたどり着いたのが車で山に入って2時間かかる大きな寺だった。そこで人の良さそうな住職にその話をしたのだが、時間も遅かったので、その寺に泊めてもらうことになったのだ。


 そこで、夜中トイレに起きて出たままあまりにも広い寺の中で帰り道がわからなくなって暗い寺の中を歩いているとひときわ明るい部屋があった。中から読経の声が聞こえたので道を訪ねようと襖を開けたのである。


 だが、そこには人と呼べるような人間が一人もいなかったのである。


 ろうそくの灯りで満ちた部屋の中には三十人以上が正座で座っているのだが、全員剃髪をして、ひどく痩せこけていて、それぞれ全員点滴の管に繋がれているのだ。しかし、その痩せこけた姿から想像できないような絞り出す声で読経をしているのだ。


 まるで、何かから逃れるように。


 まるで、何かにすがりつくように。


 まるで、何かに許しを請うように。


 思わず悲鳴をあげて寺の中を走ったのだ。そして、たどり着いた本堂で、住職に出会ったのである。そんな前を歩く、住職の後を追う。先ほどの話は本当なのだろうか、仮に何かのたとえ話であったとしても一体何を伝えたいのだろうか。


 そして、歩む道は先ほど逃げて駆け出した道へと。


 そして、歩む道は先ほど逃げて飛び出した部屋へと。


「さ、お開けなさい」


「いや.....でも」


「大丈夫。その先に、あなたの知りたかった答えがある」


 優しい顔の住職の顔を見ながら、思わず生唾を飲み込む。意を決して、ふすまに指をかける。障子からすけて見えるろうそくの灯りはまだ消えずに灯っていて、そして扉を開けたその瞬間に、数本が風に吹かれてその火を消した。


「.....あれ」


「さて。できれば、早く扉を閉めていただきたい」


「そんな.....ここにいた彼らはどこに行ったのですっ!」


 部屋の中はもぬけの殻。あるのは、ろうそくと先ほどまでここに敷き詰めるように座っていた三十人余りの人間は影もなく、だがそこに確かに誰がいたという痕跡のように綺麗に畳まれた彼らの着ていた法衣と点滴を吊るす台が置かれていたのだ。


 しばらくして、唖然とその様子を眺めていると部屋の奥からこの寺の尼と思しき人物が深く一礼をして、何やら床に置かれた何かを大切そうにその手に持つ白い布で次々と包んでゆく。その布にはそれぞれ、人の名前が記されている。


「さ、近くに寄って御覧なさい」


「.....」


 もはや言葉にならなかった。


 床に小さくポツポツと置かれたもの。


 それは、白い小さな羽虫だ。


「これが、陽炎です。そして、彼らだったものです」


「住職さん....あんたふざけてるのか?」


「まさか。こちらは真面目です、気に障ったようでしたら申し訳ない」


 声が震える。


 まさか、これが人間だったとでもいうのか。


 こんなものが人間だったというのか。


「そんなおとぎ話みたいなのを、信じられるわけがない」


「えぇ。当然です、私も、最初は信じたくはなかった。しかし、さよの事を経験して、私は彼らのためにこの寺を建てることを決意したのです。短い命でも、来世のために仏に祈るための場所を」


「そんなことはどうだっていいんだ。まさかとは思わないが、俺のダチがこんな虫けらに変わったとでも言いたいのか?」


 胸倉を掴みたい勢いだった。


 親も無く、


 兄弟も無く


 自分にとって、その人生の大半をずっと一緒に過ごしてきた大切な友人だったのだ。この住職は、そんな友人がここで虫に変わって死んだと言っているのだ。


 すると、住職は法衣から一枚の手紙を取り出す。


 それをこちらに手渡すと一礼をして、そのまま部屋を後にした。そして、周りで点滴の機械を片付け終え、部屋は自分一人だけになった。


 綺麗な和紙には宛名は自分の名前で、しっかりと弱々しい彼の文字で書かれていた。手紙の中を開け、そこに書かれている内容を読み、


 そして、涙した。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「行かれるのですか」


「えぇ。彼を.....ありがとうございました」


「いえ、とんでもない。それが、私たちの仕事です」


 寺の出口まで、住職は迎えてくれた。階段を下りながら歩く外は秋の空らしい、空っぽな真っ青の空だ。


「輪廻、という言葉をご存知ですかな?」


「はぁ.....聞いたことは」


「簡単に言えば、命はまた繰り返されるということです。肉体を変えて、次々と」


 指先をクルクル回転させながら住職は優しいその笑顔でこちらを見る。


「人の一生は長い。しかし、死ぬときになれば人とは短い一生だった、もっとやりたいことをすればよかった。などと思うわけです」


「.....」


「陽炎のような彼らの一生の終わり方は、あまりにも急すぎる。仏へ祈りを捧げる時間すら残されていない。しかし、それでも必死に生きようとする彼らの姿はひどく美しい」


 一生の長さに、良し悪しも、差も無いのですよ。


「少なからず、あなたのご友人が。あなたと過ごした時間は、決して無駄では無い。そんな彼が、この寺を訪ねたのはあなたに心配をかけたくなかったからでしょうな」


「お陰で、自分は余計な心配をかけられましたよ。あいつはいつもそうなんです」


「はははっ、それは。皮肉でしたな」


 石畳の階段を降り終え、車を停めておくための駐車場についた。おそらく、住職はここで『さよ』という女性に出会ったのだろう。そして.....


「さて、ここまでで」


「えぇ。どうか、ご友人の思い出を大切にしてあげなさい。それが、この先を生きる人間の、あなたが知る人間の役目なのですから」


 深く礼をし、車に乗り込むと『陽炎寺』を後にした。


 人の一生、陽炎の一生。


 果たして、必死に生きるその姿のどこに哀れみがあるというのか。


 人生は美しい、彼はそれを教えてくれた。


 

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薄らいの羽 西木 草成 @nisikisousei

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