菜の花畑のゴキブリ

韮崎旭

菜の花畑のゴキブリ

 13時56分だった。私は定形外郵便と形骸をもってして自身の無気力を覆い隠さねばならなかった。こういったことがしばしばおこり、イチョウの葉が黄に変わるころには、私は、寒さゆえの、そしてまた日照時間と、冬に特有の苛烈さの予兆と陰鬱さからくる行動可能性の低下を持っていた。部屋はいつでも静かで、聞こえもしない音が聞こえた。こんなことを繰り返していたら間違いなく病気になるという確信があった。店内には、程よく邪魔なバックグラウンドミュージックが充満し、白い結晶は雪を騙って漂った。僭称者は間もなく実物に成り代わって支配したけれど、それで何が変わるというわけでもない。ただただ、虚無感が増加するだけ。


 郵便局員に恐怖している間に、区間快速の列車は駅を発ってしまった。しかしその電車に乗る予定は何もなかったので、何も困らなかった。そのとき、着信が。

でも雪はめったに降らないので、誰も真剣に対策を行おうとはしなかった、一市民という単位にせよ。しかし今晩は雪だった。それは季節外れのオオマツヨイグサの群落を枯らしてしまうことだろう。幻視と錯視、実はそこにあったものの区別がつかないことは、困りごとにあたるのかについて、ここ1時間考えていた。それは当たらないと、コアラの妖精が言うので、妖精の言うことだから微塵も信用しなかった。それは季節外れの百日紅の色を束の間輝かせたのちに完膚なきまでに奪うだろうと思われた。白石はココアを加熱すると、「これ、インクですよね?」と言った。

 残念でならなかったのは、その白石がだいぶ前に私の空想の産物だと知られたことだった。空想をする癖があるなどとはまさか思わないから、たいそうショックだった。しばらくは、この冬に中てられて寝付けなかった。いつでも明るい月が窓の外で調子はずれの「時間」を鳴らしているのが見なくても分かった。しかしその経過を見通すのは、たぶん上越線のすべての駅で行方不明になるくらいには、困難だった。自分が人間性を問われないことだけを祈ってやまなかった。


 人間性は獣性と対比できるので、自分はそんな獣のような生活はしないし、死体から肉を引きちぎってむさぼったりはしないので、獣ではないので、人間かもしれませんということは常にできる。それをしても何も、改善することがない。廃棄物はあたりのすべてのものに刻まれた。時間帯としても、あたりに静けさが訪れていただろうから、久しぶりに都市計画法制史に関して読書することができるのではないかと、期待していた。期待など、するべきではない。


 薬を飲むと、よく眠れますが、それ以外の方法でよく眠ることは、できない相談。外注などが自分の神経細胞を食い荒らしてしまうような気がしていた。干上がったATP回路、無駄な熱。そこに入り込むクロゴキブリの大群が、知能を根こそぎ簒奪する!彼らにとって知能と呼ばれるようなものに栄養以外の価値はない。飲み込み消化してエネルギーを取り出したら終わり。ガソリン。ガソリン?……ハイオク?ディーゼル車の朝は早い。午前3時には準備を始める。そうしないと、生地が良好にならないのだ。彼らは口をそろえていう。「これを買っていくような人間は、大抵昼の1時になってようやく起きだすような、怠惰な気分屋。彼らには彼らの苦しみがあることは認めたいけれど、午前3時にたたき起こされる……職務の責任に……ことのつらさは、まるで漂着物の多い日本海側の海岸線で、全く海水浴に適さないようなことによると近くの集落が崩壊しかけているような海岸線を当てもなく歩くことに比肩する。本当に、何の用もないのに、うろつかなくてはならない。電車は次の便まで、あと3時間4分。することもないので、ごみを眺める。漂着物はたいていゴミだが時に動物死体が混ざる。しかし、動物死体だって、特にうれしいものではない。「あ!ごみ以外のものがあった!これは驚き!」以外の感想がない。別にそんなおどけたようなふるまいをする必要はまるでない。誰も見ていない。時々、粗大ごみ回収のトラックや豆腐売りが通り過ぎるが、ごくまれ。5時になると、防災行政無線から、トロイメライとか、フィンランディアとかのメロディが聞こえてくる。誰かがエッダの暗唱をする放送の回もあったらしい。しかし私はエッダを解さないから、聞いても手におえない。何より手におえないのは、このごみの多さと、地域の焼却炉の、老朽化。隣接する市町村との合併や、焼却炉の統廃合が検討される。人口減少時代において、町のたたみ方が問題視されるが、この年になってまでわざわざ移住したいと思うものは少ない。まるで手入れのされない山林のように、一見すると外形をたもっているように見えて、倒木や、その他悲惨な状態の木が多いありさま。でも、そういった話を聞くよりは、動物死体のほうが嬉しい。絶対に触りたくはない。

 しらじらしい夜更けによく似合う皮肉っぽい冷笑は、白い壁や家財に反映されてその部屋の寒々しさを、戸外の天気がそうするよりもさらに引き立てた。青みがかった灰色の遮光カーテンは、常時締め切られており、そこからの出入りはカーテンを閉めた人間によって禁止されている。本の背が焼けることのない部屋で、5時になると、動物死体の無線がショスタコーヴィチなどを流したりする。誰も見ていない書架の端には、忘れることのできなかった膨大な欠陥がしまわれているため、なおさら書架の印象を暗く、重苦しく、人を寄せ付けないものにしていた。しかしそのことを気にする人間はいなかった。


「遺品整理でね、ノートが、何十冊と」

「それはもう本当に汚い部屋だったんだから、突然死とはいえ、日頃から、突然死しそうな人間は、部屋を片付けるべき」

「でも、遺品整理をしたのでしょう、業者には頼んだの?」

「それがね、繁忙期だっていうので割増料金で。しょうがないから、親戚一同に呼びかけて、まあ誰もそんなことしたくないのが火を見るより明らかなのだけれど、全く仕方のない遺品よねえ……」

 俺はそんな妙齢の女性たちの会話に理由を即座に説明できないものの、結構な怒りを感じた。人の遺品を何だと思っているのか。貴様らだって立派な遺品だ。それを自分たちだけが、彼らを処分する権限を持つと、一方的に思い込んでいる。見上げた根性をしていると思う。腐敗しやすい身体を持つという点で、また、他の遺品に勝手な優越を持つ点で、これらの妙齢の信じがたい雌どもは、陽気におしゃべりしている。彼女らは、つつましやかに生きているつもりなのかもしれないがそんなことは微塵もない。ありえない。あるわけがない。絶対ない。少なくともこいつらの人命よりも、どんなごみでもいいが、その遺品のほうが価値がある。下品に笑ったり無作法にしゃべり散らかしたりしないという点において。本当に、手におえない痴愚だ。そのような失態が堂々と野放しにされる現在の生活は原始的な野蛮人の部族社会から笑いものにされる。猿からも笑いものにされる。というか、霊長類の汚点。恥を知れ。だが、彼女らが恥を知る日は来ないだろう……。6速にギアを入れたまま、急なカーブを伴う下り坂に進入したバスが盛大に事故を起こそうが、そんな日は来ない。乗客の肉片を拾い集めるバス会社の従業員の表情は、普段の死人のような沈み込んだ無表情(見ているこっちが気分が落ち込んでしまうような)とは打って変わって、生き生きと活気に満ち溢れて輝いていた。肉片を拾い集めるのがよほど楽しいのだろう。そこに、先日の大雨と地震がかさなり起こった山体崩壊。あらゆるものを包み込む、母なる大地という感じ。

 未来をとどめたまま死んだ者の幸せは、願いようがない。


 葬制に関する法整備は人口増加にともなう衛生上の要求や、住民の不快さなどへの対応を主眼に進められたとされている。現在でも人間の死体を扱う設備は往々にして近隣住民に嫌悪されがちな施設であるとされる。したがって人間の死体の処分の必要性と近隣住民などの感情的な問題との折り合いのつけ方が問題とされる。近年の宗教的な流行にかんがみれば(何を宗教とするかの問題もあり、単に信仰、としたほうが良いのかもしれない)、人間の遺体それ自体の重要度やそれが持つセンセーショナルな影響力は寧ろ弱まっているように見える。一方ではそれは不衛生なごみであるが、また一方では、人格である。これが扱いを面倒なことにしている。故人を悼む人間が他人の故人を忌むのはやや納得がいかない。隣人への共感が欠如している。こういう人間の際限のない分断が都市住民ばかりでなく、郊外や地方などでもみられるが、あなたは隣人ではないし、理解しようなどと思わないほうがよい。それは割とどうでもいい。問題は、葬儀場や火葬設備の設置なのだ。人口密集地などでは当然死人も多いがまず場所がなく、生活圏内にこういった嫌悪施設がしばしば建設されざるを得ない。いかにして合意を取り付けるかに行政や関係者は長年頭を悩ませてきた。人間を揺れ動く化合物の海だとしたとき、その遺骸は何にあたるのか、暇な時に考える。

干上がった湖の底、拾う骨、架空を描いた名残を見下ろす。

 これは、棚代余回が友人の葬儀に際して勝手にその辺の紙類に書き付けてしばらく鞄にその紙を投げ込んで放置したのちに、鞄を整理するにあたり、発見したので趣味によって関係していた人間たちに公開した韻文であるそうだ。架空、というのは。と棚代は説明する。「そこに彼がいたように感じ、底に統一感のある一定の性質を見出し、それを人間として取り扱ってきたことに関係がある。もしくは、そういった状況全般に対する言及である。」「つまり、彼が化合物の海であるとしたとき、私たちは化合物たちの移り変わりにものを見出しているように感じるだろ?そういった。」


 もちろん人間は海ではないから、ごみで満ち溢れている。それは必ずしも悪いことではない。ごみではないもののほうが少ないので、やむを得ないのだ。


 菜の花畑が整備された。墓地を取り壊したその跡地に。別に土葬ではないから、観光名所になったりはしなかった。誰も墓地を管理したいと思わなかった。菜の花畑だって、管理したくない。大規模な黄色にかかわりたくない。腐った食パンを思い出すから、見たくない。夕暮れ間際の菜の花畑には、苑と死が満ちていて、猿の手がそこここで手招きしているようだった。触りたくない。しかも、残念なことにミイラではなく、水分が豊富な猿なのだ。死んでいるのだろうか、だが死んでいたら動かないはずでは、少なくとも自発的には。つまり、地中に生息するタイプの猿がこの菜の花畑には大勢住んでいて、根粒菌と共生して栄養を得ており、字は韓、よく詩歌に通じ、地方官吏として仕えた。それ以外のことは知れていない。全然ダメ。ともあれ、駅前に菜の花畑などが整備されてしまうと、「西川菜の花園駅」みたいな駅名ががぜんこの駅名の改名または愛称の案として有力になってくる。フラワーパークでないだけよいのかは知れないが、何の変哲もない「霊園跡地」のほうが望ましい。愛称などがあると、正式名称と競合して呼び方に混乱が生じる。やがては愛称のほうが正式名称のような形になり、誰からも正式名称で呼ばれなくなる。忘れ去られた死者はどこへ行くのか?……それは勿論、お前の食卓に。腐った血を皿の上に満たして、死者の、爛れ傷んだ皮膚を剥ぎ、その常温の肉を食せ。お前は死者の上に立つ。お前の利用する駅の経緯を日常的に思いしれ。形が崩れた、眼球の濁った角膜をナイフで破れ。とんでもない色をしているに違いない硝子体をスプーンですくって砂糖をかけて咀嚼し嚥下しろ。祝祭を、硫化物のために緑色の血管で彩られた皮膚のために行え。頭蓋骨を丁重に鍋から取り出して、表面に張り付いたままの肉を、フォークなどでそぎ落とせ。それの何が悪い?死者への、最低限の慈しみがその食卓には溢れている。だから、「霊園跡地駅」でよろしい。

 菜の花畑が整備された。読み手のいない詩歌の類が、夕方になると蛾のように飛び交う。自動販売機で数年前に灰版になった銘柄の清涼飲料を購入する女学生はこの世にいない。彼女の目は何も見ていない。口の端から零れ落ちた蛆を、「いけない、品性が劣るわ」といってハンカチで受けると、そのままつぶしてしまう。蛆の体液で、ハンカチが汚れるが、そんなことは問題ではない。彼女の皮膚それ自体、救いようなく、まるで中途半端な火傷のようにいたるところ水泡で覆われ、体液が透けて見えるそれらは頻繁に破れているのだから。死者の駅には列車が止まらない。そのはずだった、菜の花畑が整備され、不適格な愛称の設定とともに、観光地化するまでは。それでも死者はたたずむだけだ。簡単に、人間に、日の光に、滅ぼされるだろう。彼らの名残は、あるいは何か知れぬ獣の遠吠え、あるいは昆虫たちのささやき、あるいはぬぐいがたい翳りとして、菜の花畑にあり続けるだろうが。


 明けない日々のその先に、橋を渡した誤りは、さまよい続ける宿命を科す。探すべきではない救いを、君はおぞましいことに、ついではいでは作り上げたのだ。その欠陥、罪科、禍から。懐かしい春は二度と来ないだろう。君の目には、泥だけが移る。読み飽きたのであれば、14ページを参照してください(そんなものはない)。

工具箱の上にゴキブリを見つけたので、近くにあった書類でいやというほど叩き潰した。ゴキブリの中身が、工具箱の上に広がる。工具箱は気味が悪く汚れ、書類の一部区間が判読できなくなった。ああ、もう朝だ。どうしてゴキブリをつぶしたりしているのだろう。昨日もゴキブリを叩き潰していた。飽き飽きだ。こんな、上司、ゴキブリだと思って叩き潰すことで最近は事なきを得ているが、もう3人目。鋸の切れ味がひどく落ちてきている。それは、ゴキブリを切り刻めば、鋸も血脂で台無しになる。上司の体液からしてがいささかの腐食性であることが知れる。試しになんでもいいので、まあ血液あたりが楽だし、割合の多さからしても妥当な気分になるが、上司の体液にねじなどを沈めてみるといい。ステンレスなので、さびない。本当に、近年の金属加工には頭が下がる。それなのに、上司の腹腔からは、まだはらわたを取り除かなかったからか、ゴキブリがたくさん這い出して来る。今晩の、「名目GDPの予測を上方修正」というニュースを見ながら、味が分からなくなったなにか、よく見ると佃煮と酒だった。買った記憶がないが、単に記憶力が潰滅的に悪いのだろう、ゴキブリと箸でつまんで何の気なしに口に運び、かみ砕く。何の味もしない。脚の部分が口内の粘膜に引っかかって不快な気もするし、どうでもよかった気もする。上司の腹から際限なくわいてくるように見えるゴキブリ。夕食には、苦労しなくなった。

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菜の花畑のゴキブリ 韮崎旭 @nakaimaizumi

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