第30話 エピローグ

 ノスアルク王国の王都プサラにある王宮では春の舞踏会が行なわれていた。

 春の舞踏会は王家が主催する伝統的な舞踏会で、その十五歳になったノスアルク王国の貴族の子弟が社交界にお披露目される日でもあった。今年最も注目を集めていたのは新大陸との交易で財を成したゴグ伯爵令嬢とナイロン伯爵令嬢の二人。煌びやかで物珍しい新大陸風の衣装は会場の話題を集めていた。特にナイロン伯爵令嬢はトウモロコシをモチーフにした黄色いドレスと、無数のイエローダイヤモンドをちりばめたティアラで一際注目され、多くの若い貴族から踊りの申し込みを受けていた。ゴグ伯爵令嬢もトマトをモチーフとし、露出が多く扇情的な真っ赤なドレスと装飾品でナイロン伯爵令嬢とは別の方向性で若い貴族たちを刺激していた。レーフ伯爵令嬢トリリティアは伝統的なデザインの薄緑色のドレスにやや大振りの蝶の髪飾りと他の二人に比べると地味で、いつの間にか壁際に移動していた。

 今年の春の舞踏会は新大陸風の二人で決まりかと思われたが、そんな舞踏会の雰囲気が変わったのは、王妃が二度、トリリティアに話しかけてからだ。通常、春の舞踏会では主催者である王家の人間がデビューを飾った若い貴族の子女に一度だけ声をかける。それ以降は、よほど王家と親しくない限り、デビューした若い貴族が王族と会話をする機会はなかった。しかし、王妃はトリリティアから会場の注目が無くなった頃合いを見て、あえて目立つ様に彼女に近づき、その蝶の髪飾りを褒めた。その瞬間、会場の注目は二人の派手な伯爵令嬢から控えめなトリリティアに移ったのだ。いくら近年影響力を失いつつあるとはいえ、社交界における王家の影響力は大きいのだ。

 カール・カビル男爵は一通りの挨拶を終えると、御婦人方から身を隠すためホールの二階部分の柱の影に隠れてトリリティアの様子を見守っていた。彼女が王妃の感心を引いた事を確認し、満足してワインを一口飲む。不思議島では味わえない、高級な酒で悪く無い味がした。トリリティアと王妃はボラリッチリの狙い通りの展開だ。このチャンスをどう生かすのかは、トリリティアとレーフ伯爵家の問題でカールの関わる所ではない。これで依頼は完全に達成された。


 「あれはカビル卿の仕業ですのね」


 そろそろ撤収をしようかと考えていたカールのもとに、一人の少女が近づいてきた。その少女はカールと同じ蜂蜜色の少し癖のある豊かな髪と、カールに良く似た整った顔をしている。カールはワイングラスを手近なテーブルに置き、姿勢を正す。


 「これはアゾリノ伯爵令嬢。お元気そうでなによりです。本日も大変お美しいですね」

 「ありがとうカール・カビル男爵。カビル卿も一段とお美しい事。それに前よりも逞しくなられて。まさに、美丈夫とはカビル卿のためにある言葉でしょうね」

 「ありがとうございます」

 「ところで、今は周りに誰もいませんのよ?」

 「そのようですね」


 カールは念のため周りを確認する。今回の舞踏会の主役は十五歳になった若い貴族の子弟子女だ。どこの舞踏会に行ってもたくさんの令嬢や婦人に囲まれるカールだが、身を隠している事もあり周囲には誰もいなかった。カールは肩の力を抜き、自分と良く似たアゾリノ伯爵令嬢に向かい合う。


 「元気そうだなキャット。変わりないか」

 「おかげさまで。お兄様が不思議島に行かれたと聞いて、毎日無事を祈っていましたのよ」


 そう言って、アゾリノ伯爵令嬢、カールの異母妹であるキャットことカッシーラ・アゾリノは手にしたグラスを掲げてみせた。カールは「ありがとう」と自分のグラスを手に取り、軽く乾杯をする。


 「まさか宝石蝶を探したなんて、予想外過ぎてわかりませんでしたわ?」

 「ボラリッチリさんの知恵だよ。私はただ言われたままに宝石を探しに行っただけさ」

 「お兄様のおかげでレーフ伯爵家は上手い事やれましたわね。さきほどナイロン伯爵婦人がハンカチを噛んで悔しがっておりましたわ。娘への投資が無駄になったと」


 貴族に取って社交界は一種の戦場だ。どれだけ周囲の感心をひけるのか、王家や有力者との関係をどれだけ強化できるか、それが今後の立場や名誉に関わって来る。レーフ伯爵家はうまくやった、そうカールが満足していると、カッシーラが不満そうな顔をした。


 「それにしても、随分と余計な事をしてくれましたわね。これで未来の王妃の候補がまた一人増えてしまったじゃありませんか」

 「キャットも王妃の座を狙っているのか? さすがに分不相応だと思うぞ。俺たちはどこに行っても半端な落し種、騙されて生まれてき不名誉な子だ」


 カッシーラの母親はアゾリノ伯爵家の娘だったが、不名誉なことにシェーンに口説き落とされ関係を持ってしまい、その結果生まれた娘がカッシーラだった。


 「あら、私は庭師の養子から伯爵令嬢まで登って来た女ですわよ。ここで終わるつもりはありませんから」

 「過ぎた野心は身を滅ぼすぞ」

 「その野心がなければ、私は今頃田舎の庭師に嫁いでいましたわ」


 その人生だって決してわるいものじゃない、カールはそう思ったが口にはしなかった。カッシーラの祖父に当たるアゾリノ伯爵は、家の名誉を守る為にカッシーラを親戚の子爵に預け、その子爵は幼いカッシーラを館に住み込みで働いている庭師の夫婦に預けた。本来であれば、カッシーラはそのまま平民として人生を送るはずだった。しかし運命に味方され、今は祖父である伯爵の孫娘の一人として社交界にもデビューしている。噂では第一王子とも親しい関係にあるらしい。つまりトリリティアは新しく出てきたライバルというわけだ。


 「レーフ伯爵令嬢、ああいうおとなしめな子が王妃様の好みなのですわ」

 「お前とは正反対だな」

 「まったく、お兄様はどちらの味方ですの?」

 「もちろんキャットの味方だよ。だが仕事を受ければきちんと果たすさ。そもそも、お前と王子では釣り合わない。いくら伯爵令嬢になっても妾腹で平民の子あることは変わらないんだ。そんな娘が王妃になれる可能性は万が一にも無い」

 「あら、本当にそう思いまして?」


 カッシーラは楽しそうに微笑むと、ワインを一気に飲み干した。

 

 「ねえお兄様、高い棚の上に美味しそうなケーキがあるの。でもいくら手を伸ばしても届かない。どうすればいいと思う?」

 「踏み台でも用意するか」

 「それでも届かなかったら?」

 「無謀にも踏み台から跳んで無様に床に落ちるか。いや、すっぱりと諦めるのが賢明だな」

 「いいえ。棚を低くしてしまえばいいの。ねえお兄様、今のノスアルク王国は落ち目とはいえまだまだ北方の大国。でもそれが北方の普通の国や田舎国家になったらどうかしら。そんな国の王妃になりたい人間は減ると思わない?」


 カールは思わず異母妹の目を凝視した。その目は真剣だ。


 「クイツ王国の第十王女でしたっけ? 王子様と婚約するという噂がありましたわよね。でもその縁談は流れた。かわいそうな王子様は国内からお妃を探さなければいけなくなった」

 「……」

 「新大陸との貿易を頑にしないエーゲブルー家は今後どんどん落ちて行く。それこそ、あそこにいるゴグ伯爵やナイロン伯爵の方が力をつけてくる。そこが狙い目」


 それ以上、カッシーラは口にはしなかったが、カールはその野心に寒気を感じた。


 「あまり恐ろしいことをしないでくれよ。万が一の時、その累は俺たちにも及ぶぞ」

 「そうならないように努力はする。でも私の夢は私を見下した連中を見下してやること。そのためなら何だってする」


 そう言ってカッシーラは悪魔の様に笑った。それを美しいと感じるのは、カールの中にも世の中に対する鬱憤があるからかもしれない。カールだって、母親に捨てられ、男娼をさせられながら生きて来た。冒険者になってホルンたちに出会わなければ、きっとこの世界のすべてを恨んだだろう。


 「それで、お兄様にお願いがあるの。私は王子とはいい仲なのですけど、あの王妃様とは上手くいっていないの。だから、私も不思議島の何かが欲しいのですわ。次の舞踏会で王妃や他の貴族の注目を一心に浴びれるようなあっと驚くすごいものが」

 「そう言われてもな、また宝石蝶ではだめなんだろ」

 「当然ですわ。でもきっと次の舞踏会は宝石蝶をつけた貴族の令嬢でいっぱいになるでしょうし。まだまだエーゲブルー家は影響力がありますから」

 「すごい物か」


 カールは不思議島の名産品をいくつか思い起こしたが、どれも華やかさに欠けた。ドラゴンの鱗など珍しくもないし、変わった宝石や奇麗な石などでは印象は強くないだろう。


 「私聞きましたの。ヘラン子爵が不思議島で昔の都市の遺跡を見つけたそうですね」

 「本当か?」

 「ええ。何でも怪物の大群を討伐しに行ったら、怪物の根城が巨大な都市の遺跡だったんですって。ねえお兄様、私の為にその遺跡から古代の装飾品の一つや二つ、取ってきてくださらない? ヘラン子爵の恋人だったお兄様にならできるでしょ?」

 「俺とホルンは……いやその事はいい。古代の都市か」


 それはカールにとって国王の座よりも魅力的なものだった。今までカールが見た事のある遺跡は崩れた建物や小さな神殿といったものばかりで、せいぜい数棟がまとまっている程度だった。それが都市の規模になればどんな財宝が眠っているのか。見た事の無い怪物や、罠、そして初めて見る財宝があるのだろう。


 「ね、また不思議島に行きたくなったでしょ」


 カールは楽しそうに空のワイングラスを回して遊ぶ妹を見た。年齢や背格好はやはりモナに似ている。前回は結局ホルンに会えなかったし、今までに無い冒険ができるのなら島に戻らない手はない。カール・カビルに生きる場所は、やはり王都の舞踏会ではなく、不思議島にある。それは今回の旅でよくわかった。

 そのカールを妹のカッシーラは満足そうに見て、空になったワイングラスをもう一度カールのグラスに押し当て、澄んだ音を響かせた。


 「報酬は言い値で払うわ。成果を期待しているからね、冒険者のカールさん?」


 そう言って、カッシーラは広間の方へ戻っていった。カールはその背中を見送った後、ワルツの音楽に会わせて踊る若い貴族たちを見た。中にはトリリティアの姿もあり、同じく今日デビューを飾った子爵令息とダンスを踊っている。華やかで煌びやかな世界。だが、カールはそこに魅力を感じていなかった。宝石で着飾った貴族の令嬢よりも、鎧を着たアニーや糞まみれになったモナの方が美しいと思う。いや、糞まみれのモナは汚いだけだったかもしれない。そしてホルン。島に戻ってみて、まだホルンがカールの事を思っている事を知ってしまった。彼女にももう一度会い、しっかりと決着をつけなくてはいけない。

 カール・カビルは近くを歩いていた給仕に空のグラスを預けると、振り向かずに舞踏会場を後にした。もう一度、島に戻る決意を胸に、軽い足取りで。

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ED (エンドレス・ドリームス)あるいは、立たずのカールの再冒険 深草みどり @Fukakusa_Midori

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