それじゃ、9時にあの場所で
「──────ふわぁあっ」
人目も憚らず、大きな欠伸をする。
幸い駅のホームは人が少ない。夜だから、当たり前か。
それにしても、準備にヤケに時間が掛かってしまった。
適当に済ませれば良かったんだろうけど、所詮はその程度と見下されるのが嫌だったので、念には念を入れた。
1年に2、3度あるか無いかというレベルで念押しした。
まったく、その結果が今のコレ。
予定していた出発時刻からもう30分は過ぎていた。
それでもまだ余裕はある。
「……」
プシューっと大きな音を立てて電車が到着する。
ドアが開くけど、降りてくる人はいないので、躊躇せずに乗り込んだ。
電車の中は静かだった。
スポーツ新聞を読むオッサンに、週刊誌に目を通すオバサマ。
あとは部活帰りの学生とか。
私の時って、こんなに遅かったかな。
「ふぅ……」
あまりにも暇だし、車内広告も所詮は一巡すれば飽きてしまう。
ハンドバッグに乱雑に突っ込んでいたイヤホンを引っ張り出す。
スマホの音楽アプリを起動して、イヤホンを挿入し、耳につける。
少し唸りながらプレイリストをスクロール、スクロール。
100曲は優に超えているから、中々選べないな。
仕方ない、とお気に入りの女性アーティストの曲で固めたフォルダを開き、ランダムで再生させる。
ギターの音から始まる、落ち着いた曲調のバラード。
女性の声が、しっとりと、甘ったるく歌い上げていく。
そしてその、ノスタルジックというか、寂しげな歌詞に自分を重ねたりしながら、窓の外のすっかり陽が落ちた風景を眺めていた。
『出発いたします──────』
目的の駅に着く。
でもこれでゴールじゃない。
あれから3曲聴き終えて、5曲目。
夜明けをテーマにした、しっとりとした曲調。
ジャンルは、何だろう。そこまで詳しくはないから分からないけど、私のお気に入りの1つ。
ICカードの残金が足りずに乗り越し精算していたら、もう曲は半分を過ぎていた。
少し嫌な気分になりながら、改札を出て。
曲が変わる。
アップテンポな、この曲もまたギターから始まる。
歌い出しは流暢な英語で、私の一番好きな曲。
──────そして、彼の一番好きな、曲。
「──────」
視界の真ん中に、彼を捉える。
心臓の鼓動が、曲の進行とともに速くなっていって、身体は熱を帯びていく。
「ん、んんっ!」
緩みそうになった頬を、太腿を摘んで締め直す。
そうして徐々に近づいていた歩幅をさらに速く大きく、身体はサビのリズムに合わせて走り出していた。
──────よっ。
彼がスマホから顔を上げ、私の顔を見るや否や、ニコリと笑う。
「よう」
私も負けじと手を挙げた。
「1分遅刻だぞ」
「き、厳し過ぎ」
どれだけ回数を重ねても、最初はやっぱりこうなってしまう。
頭が真っ白になって、言葉に詰まる。
「それ、俺のお気に入りの曲だろ?」
彼が私のイヤホンを指差す。私は静かに頷いた。
「やっぱり。顔、ニヤケてるから」
「……ッ!?」
驚いて隠そうとした右手を、彼が左手で繋いだ。
不思議と心が温かくなる、そんな温もりが伝わって来て、自分でも分かるくらい顔が火照っていた。
「そのまま、隠さない。……じゃあ、行こうか。晩ご飯、何食べようか?」
彼の歩くスピードに遅れないように、付いていく。
私はそっと、気づかれないように、握る手の力を少し強めた。
荒野闘賦の恋愛掌編集 こうやとうふ @kouyatouhu00
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