星流夜

一視信乃

夢に夢見し夢を夢見る

「怖がらなくていい。さあ、目を閉じて──」


 ささやく声にまぶたを閉じると、祈りのことばが聞こえてきた。


「サクムウ……エパエマ、リゴテレエンシュ、雷のアエオン、御身は蛇を呑み、月を枯渇せしめ、日輪の球を、その霜枯れどきに揚げ給えり」


 それは、夢を得る呪文。

 少ししゃがれたうたいは甘く、わたしの心をいざなっていく。


「クテトウこそ御身が名、われ願いまつる、神々の主、セト、クレプスよ、われの望む知らせをめぐみ給え」


        *


 目を開くと、そこは電車の中だった。

 向かいの窓から、鈍色にびいろに輝く海が見える。


「やぁっと起きたか」


 透明感と温かみのある、さわやかな声に顔を向けると、隣に座る少年の呆れ顔と目が合った。

 開口一番「ヨダレ」といわれ、あわてて口元をぬぐうと、今度は「ウソだよ」と、イタズラっぽく笑われる。


「やめてよ、もうっ」

「ゴメンゴメン。でも、すげぇ気持ちよさそうに寝てたな」

「うん。なんか、ヘンな夢見てた」

「どんな?」

「んとね──」


 そこで一旦言葉を切り、わたしは記憶の糸をる。


「なんか石造りの神殿みたいな部屋にいて、そこでわたしは巫女 み こ 殿って呼ばれてるの。足首まである細身の白いワンピが、日焼けした肌にとてもよく映えていたわ。キレイなアクセも、たくさん付けてて、まるでお姫様みたいだった」

「お姫様? 巫女じゃないのか?」

「巫女よ。巫女は夢で、未来を見るの。だから、国の行く末を左右する、とても大切な存在で、王様だって、巫女に意見をうかがいに来るのよ」

「へぇ、それで?」

「それでわたしは、巫女に選ばれたばかりの新米なんだけど、いきなり夢を得る儀式をり行うことになっちゃって、で、やっぱ白いワンピみたいな服を着た、ハゲ頭の男の人──巫女に仕える神官っぽい人が、神へ祈りを捧げ始めたトコで、ちょうど目が覚めちゃったわ」

「なぁんだ、つまんねぇの」


 彼がシラケたように呟いたとき、車内アナウンスが流れ、ほどなく電車は終着駅に到着した。

 改札を出たわたしたちは、30分に一本しかないバスに乗って、半島の南にある島まで行き、黄昏たそがれる海岸を散策したり、土産物屋を冷やかしたりしたあと、地魚を使ったゴハンを食べ、少し休んでから、ようやく目的地へ向かう。

 島の東半分を占める、とても大きな県立公園。

 ここいらでも有数の天体観測スポットだ。

 街の灯りは遠く、月のない今夜はうっすらと天の川さえ見えそうだけど、今日のお目当てはそれだけじゃない。


「ねぇ、その流星群って、どっちの空に見えるの?」

「どこでも。方角は気にせず、広く空を見渡せばいいって」

「りょーかい」


 昼間の熱を冷ましてく風を、寄せては返す波音を、全身に心地よく感じながらさっそくその場に立ち止まり、ぐるりと空を見渡してみる。


「あっ、流れたっ」


 わたしの横で、彼が叫んだ。


「えっ、どこどこ?」

「あそこ。でも、もう消えちゃったよ」

「えーっ、ズルいぃ」

「何だよっ。まだこれからたくさん流れんだから、あせる必要ないだろう。あっ、ほら、またっ」

「今のは、わたしも、ちゃんと見えたよ」


 すーっと緑色っぽい光が、短い尾をき空を流れる。

 ほんの一瞬だったけど、すごくすごくキレイだった。


「よかったな。とりあえず、このままじゃ疲れっから、どっか座って見ようぜ」


 それからわたしたちは、持ってきたレジャーシートに並んで座り、いつしか寝転んで、飽きることなく星空を、降りしきる光の雨を眺め続けた。


「なぁ、流れ星って何だか知ってるか?」

「えっとぉ、宇宙のゴミ?」

「ゴミっつうか、宇宙空間に漂うちりな。岩みたいのとか、氷みたいのとか。この流星群の場合、彗星の核から放出されたヤツなんだけど、それが、地球の大気に衝突したとき、ああいう発光現象が起こるんだよ。塵はスゲーちっちゃくて、数センチ以下、数ミリくらいしかないんだぜ」


 波音に重なる彼の声。

 穏やかに時が過ぎていく。


「ねぇ、なんか願い事した?」

「してない。つうか早すぎて、三回いうとかマジ無理っしょ」

「わたしは、したよ」

「何て?」

「ナイショっ」

「あっそ。そういや昔の人は、流れ星を不吉なもんだと恐れてたんだと。見ると不幸になるとか、誰かが死ぬとか、天変地異や戦が起こる前触れだとかってさ。そんなことあるわけないのになぁ。こんなキレイなもん恐れるなんて、ホント、バカみたいだ。そう思わないか?」

「そうね──」


 彼の言葉に答えようとしたとき、誰かに名前を呼ばれた気がした。

 少し嗄れた声が優しく、そろそろ戻ってこいと囁く。


(待ってっ。もう少しだけ待って下さいっ)


 わたしの中の、違うわたしがそれにあらがう。


(わたし、まだ帰りたくない。彼の声をもっと聞きたい。お願い流れ星、どうかさっきの願いを叶えてっ……)


 叫びも虚しく、世界は深い闇に呑まれ、彼の姿も星明かりも、すべてが一瞬で消え失せた。


        *


 目を開くと、石の天井があり、濃厚なこうのニオイが鼻につく。


「目覚められたか、巫女殿」


 少し嗄れた声が聞こえ、わたしは横たわったまま、目線だけを動かした。

 石造りの部屋にはオイルランプが煌々こうこうと灯り、白い服を着た禿頭とくとうの男が、いかめしい顔でこちらを見下ろしている。


「して、どのような夢を得られた?」


 尋ねられ、わたしは記憶の糸を手繰る。


「流れ星を見に行く夢です。すごくたくさん星が流れて、とてもとてもキレイだった」


 子供じみた感想を述べると、男の口から吐息が漏れる。


「やはりそうか──。星が流れるとは不吉な夢だ。それも、たくさんとは」


 そういえば、夢に出てきたあの少年も、そんなことをいっていたっけ。

 流れ星を見ると不幸になるとか、天変地異や戦が起こる前触れだって。


「やはりキサマ、ここで死んでもらわねばならぬようだな」

「えっ?」


 今、なんていったの?

 まだ夢心地だった頭が、冷水を浴びせられたように、シャキッとする。

 この人今、わたしを殺すっていったんじゃ……。

 わたしは慌てて身を起こした。


「なぜですっ? なぜわたしが?」

「夢がまこととならぬよう、キサマをにえとし、神に捧げる。それもまた、巫女の務めよ」

「そんなっ……」


 巫女は神に身を捧げた存在だから、神殿から出ることは許されない。

 最初にそういわれたけど、それってそういう意味だったの?


「冗談ですよね?」


 だって巫女は、この国の行く末を左右する、とても大切な存在なのに、こんな風に殺されるなんて、そんなの聞いてない。

 答える代わりに男は、祭壇の上の剣を取った。

 湾曲した刀身に象嵌ぞうがんが施された美事な剣は、研ぎ澄まされた刃が、鈍い輝きを放っている。


 ──逃げなきゃ。


 急いで寝台から下りようとしたが、足がビリビリしびれ、うまく動かなかった。

 儀式で飲まされた酒に、何か入っていたのだろうか。

 それでもなんとか逃れようと、した足を引きずるように後ずさっていくと、いきなりガクンと支えを失い、わたしは床に転がり落ちる。

 一緒にずるりと白い敷布も乱れてずり落ち、その下に隠されていた石の台があらわとなった。

 ちょうど目の前、頭を置く方の石の側面に、異様に色が濃いとこがある。

 台の上から、何かが流れてきたような跡。

 その下の床にも、黒々とこびりついた汚れ。

 あれ、ひょっとして、血の染みじゃ?

 不吉な夢を見て殺された、歴代の巫女たちの──。


「ほう、随分と活きがいいではないか」


 寝台越しに、見下しわらう男の顔は、もはや悪党にしか見えない。

 やっぱりわたし、ここで殺されちゃうのかな。

 強い絶望が押し寄せてきて、身体がガタガタ震え出す。

 これが夢ならいいのに。

 さっきの夢が本当で、こっちが悪い夢ならいい。

 だけど、落ちたときから続く痛みが、それはないと告げてくる。


 あの夢は、とても素敵な夢だった。

 ありふれた日常のヒトコマ。

 何気ないやり取り。

 それが何より尊く愛しい。

 あの人が、すごく恋しい。

 顔は忘れてしまったけど、最後にいってたことは、ちゃんと覚えてる。


「……かみたい」

「何だ? 命いか?」

「……んなキレイなもの恐れるなんて、ホントにバカみたい」

「何っ?」


 回り込んできた男をキッと見据え、わたしは深く息を吸い込む。

 夢でいえずにいた言葉。

 ここにはいないあの人にも届くよう、はっきりといってやる。


「そうよっ。流れ星なんて、ちっぽけな塵が燃えてるだけで、なにも恐れることなんてないわ。それを本気で怖がったりして、本当にバカみたいっ!」

「キサマぁっ!」


 激昂した男が、勢いよく剣を振り上げた。

 もう逃げることも、目をらすことさえも適わず、わたしはただそれを見上げる。

 鋭い切っ先に宿った、神々しいほどに美しい光を──。


「そこまでだっ!」


 不意に凛と響いた声に、男の動きがびくりと止まった。

 一陣の風のように颯爽さっそうと現れたのは、短く刈った金の髪に、色石みたいな青い目をしたしゃくどう色の肌の少年で、白い腰布の上に、色鮮やかな装飾が施された青銅の鎧や胸元を守る六連の七宝しっぽうの首飾り、金属のなどを付けしっかり武装している。

 そして彼の背後にも、槍と盾を持ち、金属のうろこを張り付けた布の鎧を着込んだ兵士たちが控えていた。


二のイスナーン殿下、なぜここに? 遠征に出られたのでは?」


 慌ててその場にひざまずいた男が、おののきながらも尋ねると、この国のつぎでもある第二王子は、胸を張って答える。


「替え玉を用意し、隊を二つに分け、こっそり舞い戻ってきたのだ。オマエらの悪事をあばくためにな」

「悪事などと、とんでもない。私はただ、陛下の病が快復に向かうよう、儀式を執り行おうとしていただけで」

「そうだな。今父上に死なれては困るのだろう? 次期王位継承者であるオレを、遠征という名目で死地へと送り込み、叔父 お じ 上や兄上のように始末するまでは」

「一体何をおっしゃいますやら──」


 まだ何かいいつのろうとする男を、王子は「黙れっ」と一喝した。


「オマエらは、父上が病なのをいいことに国を牛耳り、私腹を肥やすため、敵国とも手を結んだ。そしていずれは、オマエらの息のかかった王を立てるか、オマエらの誰かが王になるつもりだったんだろう。だが、そうはいかない。オマエらのたくらみは、すべてこのオレがぶっ潰してやったぞっ」


 そう高らかにうたい上げ、自分の右手をぎゅっと握った。


「そんなっ……」


 ぶつぶつと呟きながら、男がガクリとうなれる。


「とっととコイツを連れていけっ」


 兵士たちが男に縄をかけ連行するのを尻目に、王子がこちらへ近付いてきた。

 そして、おそれ多くも、わたしの前にしゃがみこむ。


「大丈夫か? は?」

「大丈夫です」

「オマエのたん、カッコ良かったぞ。流れ星を怖がってバカみたいって、オレもホントにそう思うよ」


 透明感と温かみのある、爽やかな声でそういって、表情をゆるめる王子サマ。

 なぜだろう。

 お会いするのは初めてのハズなのに、何だか少し懐かしい感じがする。

 そんなことを思っていたら、曇りのない青い瞳が、じいっとこちらを見つめてきた。


「なぁ、オマエ、前にどこかで会ったことないか?」


 その言葉に、ちょっとドキッとしたが、わたしは慌てて首を振る。


「いえっ。おそらく、ないと思います」

「そうか。ではきっと、先の世で会ったのかもな」


 何でもないことのようにそういうと、彼はすっくと立ち上がり、こちらへ手を差しのべてきた。


「立てるか?」


 わたしは少し躊躇ためらってから、その手を取って立ち上がった。

 最初少しふらついたけど、ちゃんと一人で歩けそうだ。


「よし。オマエも一緒に王宮へ来い」

「ですが、巫女は神殿から出てはいけないと……」

「そんな因習、今日で仕舞いだ。それに、オレはもっと、オマエと話がしたい。イヤか?」

「いいえっ」

「じゃあ行こう」


 王子に連れられ神殿を出ると、夜のとばりが下りていた。

 見上げた空に月はなく、天の川がくっきりと横たわっている。


「あっ、流れたっ」


 わたしの横で、王子が叫んだ。

 どうやら、流れ星を見つけたらしい。

 わたしの目にも、白い光の軌跡が映る。

 幾筋も幾筋も、天を駆け抜け、雨のように乾いた大地へ降ってくる。


「たくさんの流れ星。オマエの夢が、まこととなったみたいだな」

「えっ? どうしてそのことを?」

「さあ? それよりもしが、まことに誰かの死を告げてると申すなら、この国に蔓延はびこってた悪人どもが、すべて死に絶えるしるしであろうな。なぁんて、そんな迷信、信じてないけど」


 こうして星を眺めながら、王子の声だけ聞いてると、本当にまだあの夢の中にいるみたいに思えてくる。


「これ、夢じゃないですよね?」


 思わずそう尋ねると、揺れるかがり火に照らされた王子は「さて、どうだろう?」とイタズラっぽく微笑んだ。

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星流夜 一視信乃 @prunelle

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