SCENE-2

 

──サロメ登場

 

サロメ

 「あたしは彼処に居たくないし、居られない。王はどうして、あの震える瞼の下から土龍もぐらのような眼で、と私を見つめるのだろう? あたしの母の夫である王が、あんな眼でわたしを見つめるなんて、一体どういう訳なのか……いや、よくよく考えれば分かっているのだけど」

若いシリア人

 「宴の席をお外しになりましたね、姫様?」

サロメ

 「まあ、なんて清々しい空気だことッ! やっと息が出来るわッ! 彼処には、自らの宗教の馬鹿げた儀式で喧嘩しているエルサレムのユダヤ人共も居れば、飲んだくれて敷石に葡萄酒を吐き出す野蛮人共も居る。

 眼を隈どり、頬に化粧し、くるくるとしたちぢれっ毛のスミルナ生まれのギリシャ人共も居れば、玉のように磨かれた爪を伸ばし、鳶色の上衣を著ている無口で狡猾なエジプト人共も居るし、残虐で下品な言葉遣いのローマ人共も居るじゃないの。

 ああッ! あのローマ人共の厭らしいことッ!

 下賎な人間のくせに、まるで貴族のように振る舞っているわ!」

若いシリア人

 「まぁ、お掛けなったらどうです、姫様?」

エロディアスの召使い

 「なぜあの方に話しかけるのです? なぜあの方をじっと見るのです? おお、やがて何か悪い事が起るに違いない」

サロメ

 「月を眺めるのは何ていい気持だろう! あれは小さな銀貨に似ている。小さな銀の花のようだ。冷たく、清らかだわ……きっとあれは処女おとめに違いない。処女の美しさ……そうよ、月は処女だわ。一度も穢れを知らず、他の女神らのように男に身を任せた事がないのだわ」

ヨカナーンの声

 「主は来られた!

 人の子は来られた!

 ケンタウロスらは河に身を隠し、

 セイレーンらは河を去り、

 森樹の葉の地に横たわる」

サロメ

 「あれは、誰が喚いているの?」

第二の兵士

 「ありゃ預言者でございますよ、姫様」

サロメ

 「おお、預言者ですって! 王が恐れている例の男?」

第二の兵士

 「恐れておられるかどうかは、わたくし共は一向に存じません、姫様。だがあれは、預言者のヨカナーンでございますよ」

若いシリア人

 「御輿みこしを持って参りましょうか、姫様? お庭から見える月夜がとっても美しいですよ」

サロメ

 「彼奴あやつは母の事で、恐しい予言をしていると聞いているが?」

第二の兵士

 「あの男の申す事など出鱈目で、わけが分かりませんよ、姫様」

サロメ

 「いいや、あの男は恐しい予言を喚いている!」

 

──奴隷登場

 

奴隷

 「姫様、宴の席にお戻り遊ばすようにと、王の仰せでございますよ」

サロメ

 「わたしは彼処へは戻らないわ」

若いシリア人

 「畏れながら姫様、もしお戻り遊ばさないと何か禍が起るかも知れません」

サロメ

 「その預言者は年寄りなの?」

若いシリア人

 「姫様、お戻り遊ばしました方がよいかと思います。わたくしに送らせて下さい」

サロメ

 「その預言者は……その男は年寄りなの?」

第一の兵士

 「いいえ、姫様。とても若い男でございますよ」

第二の兵士

 「そりゃ分かりませんぞ。ありゃエリーだと言う者もいますから」

サロメ

 「エリーとは誰のこと?」

第二の兵士

 「大昔にこの国にいた預言者ですよ、姫様」

奴隷

 「王への返答は、何と申せばよろしいですかな?」

ヨカナーンの声

 「パレスチナよ、汝を打った者の鞭が折れようとも喜ぶな。

 何故ならば、蛇の眷族から生まれし怪蛇が鳥共を貪り喰らうのだから」

サロメ

 「まあ、何という奇妙な声でしょう! あたしはあの男と話がしてみたいわ」

第一の兵士

 「それは難しい事と存じます、姫様。王はあの男とは誰も話をさせるなと申しております。大司祭さえもあの男と面会する事が叶わなかったのです」

サロメ

 「わたしはあの男と話がしたい」

第一の兵士

 「それは無理ですよ、姫様」

サロメ

 「わたしは話がしたいのよ」

若いシリア人

 「姫様、そろそろ本当に宴の席へお戻り遊ばした方がよいかと思いますよ」

サロメ

 「あの預言者を穴から出しなさい」

 

──奴隷退場

 

第一の兵士

 「わたくしどもには無理なのです、姫様」

サロメ

 〔用水溜に近づき中を覗く〕

 「何て真っ暗なの! こんなに暗い穴の中にいるのはさぞ恐しい事でしょう! まるで墓穴のようだわ……。

 〔兵士らに〕あたしの言ったことが聞えないの? あの男を穴から出しなさい。わたしはあの男に会いたいのよ」

第二の兵士

 「どうか姫様、そんな無理な命令をなさらないで下さいな」

サロメ

 「お前たちは、何時までわたしを待たせる気なの?」

第一の兵士

 「姫様、わたくしどもの命は貴女に捧げております。しかしこの命令だけは、従えません……つまり話を通す相手はわたくしどもでは無いのでございます」

サロメ

 〔若いシリア人を見て〕

 「ああ!」

エロディアスの侍童

 「おお! 何が起こるのだ? きっと何かわざわいが起るに違いない」

サロメ〔若いシリア人に近づく〕

 「お前はあたしの為に、あの男を穴から出して来てくれるだろう、ナラボート? あたしの為ならやってくれるわね? あたしはいつもお前に優しくしてやったわ。お前はあたしの為にやってくれるわね? ただあの不思議な預言者を、この眼で見てみたいだけなのよ。皆あの男の噂話をしている。あたしは王が彼奴の話をしているのを何度も聞いた事があるわ。どうやら王はあの男を恐れているように感じた。そう、確かに恐れているのだわ……お前も怖いのかいナラボート、お前もやはりあの男が怖いの?」

若いシリア人

 「わたしは怖がってなどおりません、姫様。わたしは何人も恐れません。ただ、王が誰もこの井戸の蓋を開けるなと厳しく禁じておれらるのです」

サロメ

 「でもお前は、あたしの為にやってくれるわね、ナラボート。そうすれば明日御輿に乗って偶像売り共のいる門の下を通るときに、お前に小さな花を投げてあげるわ。小さな緑色の花よ」

若いシリア人

 「姫様、わたしには出来ません、出来ません」

サロメ〔微笑みながら〕

 「お前はあたしの為にやってくれるね、ナラボート。お前があたしの為ならやらずにはいられない事を、お前は分かっているのだろう。やってくれれば、明日神輿に乗って偶像売り共のいる橋を渡る時に、お前を毛斯綸モスリン面紗ヴェール越しに見てあげるわ。あたしがお前を見てあげるわよ、ナラボート。ひょっとしたら微笑んであげるかも知れないわよ。あたしを見て御覧、ナラボート。あたしを見るのよ。ああ! お前はあたしの願い事を叶えずにはいられないって、分かっているのね。お前は分かっているのね?……あたしも分かっているわよ」

若いシリア人〔第三の兵士に合図をする〕

 「預言者を穴から出せ……サロメ姫が会いたいと仰せだ」

サロメ

 「ああ!」

エロディアスの侍童

 「おお! 何て奇妙な月だろう! 屍衣を身に纏おうとする死んだ女の手のようだ」

若いシリア人

 「あれは奇妙な月だ。琥珀色の眼をした小さな姫様のようだ。毛斯綸の雲越しに、小さな姫様のように微笑んでいる」

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戯曲『サロメ』 渋谷獏 @Baku-Shibutani

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