第02話 未来にファンファーレ

 電気を消した四階の空き教室に、四人の女子高生が集まっていた。扉はもちろん、窓もカーテンも締め切られていて、教室の中は薄暗い。普段使われていない教室だからか、空気がよどんでいるのがわかる。カーテンの隙間から差し込む細長い光には宙に舞う埃がキラキラと輝いていた。

 集まった四人は机を囲んで座っている。机の上には白い紙が一枚置かれており、その紙には『はい』と『いいえ』、そして五十音の平仮名や数字が書かれていて、中央には赤い鳥居が描かれている。

 四人のうちの一人、斎賀瑞美さいが みずみはこの場所に来たことを後悔していた。友人である小清水翔子こしみず しょうこに誘われなければ、こんな所にはこなかったのに。当の本人の翔子はワクワクしているようで、先ほどから笑みを浮かべて机の上の紙を見つめている。

 この教室に四人が集まった理由は『こっくりさん』をするためだ。有坂ありさありさか ありさがネットでこっくりさんのやり方を調べたのがきっかけで、吾妻瑠香あずま るかと翔子がそれに興味を持ってしまった。そして翔子が瑞美を誘って今の状況になったというわけだ。四人は同じクラスであるため全員が顔見知りである。

 瑞美は幽霊やオカルトといったものは苦手である。夜、真っ暗で寝るのですら躊躇してしまうほどなのに、なぜこっくりさんなどというオカルティックなものをやらなければいけないのか。他の参加者の翔子にあきら、そして瑠香はオカルトが得意らしく、呪いやおまじないのサイトの話をよくしている。今回もその一環なのだろうが、まさか巻き込まれてしまうとは。

「そろそろ始めましょうか」

 今回の主犯であるあきらが妖艶な笑みを浮かべると、十円玉を紙の上へと置いた。翔子と瑠香は楽しそうにしているが、瑞美は気が乗らなかった。

「瑞美、さっき教えたことは覚えてるわよね?」と翔子が瑞美へと視線を向ける。「終わるまで絶対に十円玉から指を離しちゃダメだからね」

「大丈夫だよ。絶対に指を離さないから!」

 だって怖いもん、と瑞美はつぶやいたが、幸いなことに誰にも聞かれなかった。

「わたし、こっくりさん初めてなの!」瑠香が紙の上の十円玉を指で弄ぶ。「だからすっごい楽しみ!」

「ちなみに、指に力を入れて動かしちゃダメよ。そんなことしたら、みんな呪われちゃうから」

 あきらはそう念を押すと、瑠香から十円玉を奪い取る。瑠香はペロリと舌を出すと、椅子に座り直した。あきらは十円玉を鳥居の位置にセットすると、その上に人差し指を置いた。

「さ、みんな。人差し指を十円玉に置いて」

 翔子、瑠香が十円玉の上に指を置く。瑞美は恐る恐る人差し指を十円玉へと伸ばした。

「じゃあ始めましょう。みんな、目を閉じて」

 そう言うとあきらは目を閉じた。瑠香、翔子も目を閉じる。瑞美も一度ため息を吐いた後、目を閉じた。

「こっくりさん、こっくりさん、どうぞおいでください。もしおいでになられましたら『はい』へお進みください」

 翔子が言う。それを合図に、

「こっくりさん、こっくりさん、どうぞおいでください。もしおいでになられましたら『はい』へお進みください」今度は四人全員で言った。

 しばらく静寂が教室内を包んだ。野球部がボールを打つ音が聞こえてくるほど静かだった。十円玉はウンともスンともいわない。

「……動かないね」

 瑞美が言うと、全員が目を開けた。

「何か間違ったかな?」瑠香が首をかしげる。「もう一回ネットで調べてみる?」

「いえ、これで間違いはないはず」あきらがみんなを見渡す。「もう一回やってみましょう」

 四人はまた目を閉じると、同じフレーズを繰り返す。

「こっくりさん、こっくりさん、どうぞおいでください。もしおいでになられましたら『はい』へお進みください」

 これで本当に十円玉が動いたら怖いなぁ、と瑞美は考えたが、十円玉はピクリとも動かなかった。

「やっぱりダメだね」翔子は目を開けると、不満そうに言った。「手順もう一回確認した方がいいかも」

「そうね。もう一度ちゃんと調べてみましょう」

 あきらは残念そうに十円から手を離した。

「うーん、こっくりさーん、本当にいらっしゃらないんですか?」瑞美は十円玉を指でコンコンと叩く。「こっくりさーん?」

「呼んだかのう?」

 突如、四人以外の声が暗い教室内に響いた。驚いた四人は声の方へと視線を向ける。

「どうした。瑠香、翔子、瑞美、あきら。四人とも鳩が豆鉄砲食らったかのような顔をしておるぞ?」

 その声の主は女性だった。黒板の前にある教卓に脚を組んで座り、扇子で口元を隠しながらクスクスと笑っていた。紅白の袴を着ており、髪の毛と同じ金色の尻尾をユラユラと揺らしている。

 四人はその女性を見て軽く悲鳴を上げた。

 瑞美はすぐに扉の方を見てみる。扉は閉まったままだった。扉は引き戸になっていて、開く時はガラガラと音がする。扉から入ってきたのならば必ず気づくはずだ。もちろん窓も開いてはいない。いったいこの女性はどこからこの教室に入ったのだろうか。

「あ、もしかしてあなた」瑠香が女性を指さす。「珠妃様ですか?」

 女性は扇子を閉じると、緑色の目を細くした。

「いかにも。わらわはこの町の神である珠妃じゃ」

 女性は教卓からフワリと飛び降りると、音もなく着地した。着地と同時に、教室の電気がパッと点いた。

 瑞美は珠妃のことを知っていた。他の三人ももちろん知っているはずだ。この町に住む人で岳下稲荷神社に住む珠妃を知らない人などいないだろう。

「なんで珠妃様が学校にいるんですか?」翔子が尋ねる。

「呼ばれた気がしてのう。おぬしら、こっくりさんをやっておったな?」珠妃は四人が集まっている机へと近づくと、クスリと笑った。「おやおや、十円玉から指を離しているが、大丈夫なのか?」

 瑞美はハッとした。珠妃が現れたことに驚いてしまい、十円玉から指を離してしまっていた。こっくりさんの最中は絶対に十円玉から指を離してはいけない。それは頭にあったはずなのに、どうして離してしまったのだろう。

 四人は顔を青くさせた。珠妃はそれを見て、また笑った。

「安心しろ。こっくりさんは来ておらんから、指を離しても呪われておらん」

 珠妃の言葉に四人はホッと胸をなでおろす。

「驚かさないでくださいよ、珠妃様」あきらが言う。「それにアタシ達が呼んでいたのはこっくりさんです。珠妃様ではありません」

「そうか。妾の勘違いじゃったか。じゃが、こっくりさんなぞただの狐霊じゃ。それに比べ、妾は神じゃぞ?」

 えっへん、と胸を張る珠妃。

「じゃあこっくりさんの代わりに質問に答えてくれますか?」

 瑠香が身を乗り出す。珠妃は少しだけ考えた後、「いいじゃろう」と首を縦に振った。

「本当ですか! じゃあ、まずはわたしから質問です」瑠香が手を挙げる。「こっくりさんに訊こうと思っていたんですが、将来、わたしは何の職業についているんですか?」

「ふむ、未来のことを調べるのは難しいのじゃが、やってみるかのう」

 珠妃は目を閉じ腕を組むと、ムムムム、と唸り始める。これで何かわかるのかなぁ、と瑞美は訝しんだ。

「わかったぞ!」

 クワっと珠妃が切れ長の目を開ける。緑色の綺麗な瞳が瑠香を見つめた。

「瑠香、お主は将来……」そこでタメを作る珠妃。「なんと、お嫁さんになっておるぞ!」

「お嫁さん? うそ、本当に!」

 瑠香は嬉しそうに笑う。翔子と瑞美は「よかったね」と瑠香の肩を叩く。

「お嫁さんって、職業なのかしら?」あきらが首をかしげた。

「細かいことを気にするでない。ほれ、次の質問は誰じゃ?」

「じゃあ次はアタシが」あきらがゆっくりと手を挙げる。「アタシ達は来年、大学受験を控えています。アタシは志望校に合格できますか?」

「ふむふむ、ちなみに志望校はどこじゃ?」

「神様なのにわからないんですか?」

「早稲田大学じゃろ? 知っておるが、あきらの口から聞きたいだけじゃ」

 あきらは目を見開いて驚く。「……そうです。アタシの志望校は早稲田大学です」

「うむ。なら、ほぼ合格じゃ! おめでとう、あきら」

 珠妃はパッと扇子を広げる。先ほどの扇子は無地の物だったのだが、開いた扇子には『ほぼ合格』という赤い文字が印刷されていた。

「なら、とか、ほぼ、ってなんですか。適当すぎませんか?」

 あきらが珠妃を軽くにらむ。珠妃は扇子を閉じると「そうにらむな。本当じゃ」と念を押した。

「よし、次の質問はどっちじゃ?」

「はい! 次は翔子が質問する!」と翔子が手を挙げた。「珠妃様、翔子は漫画家になれますか?」

「ふーむ、さっきからお前達は未来のことばっかり妾に訊いてくるのう。お主等ぐらいの年頃なら、色恋沙汰のことを訊いてくるかと思ったのじゃが」

 珠妃は机に腰かけると、扇子を広げた。その扇子は先ほど『ほぼ合格』と書かれていた扇子と同じ扇子だったのだが、なぜかその文字は消えていた。

「未来のことが気になるのは普通のことじゃないですか。だって先のことはどうなるかわからないんだし」

 瑠香が言うと、瑞美もうなずいた。瑞美も進路のことを訊こうと考えていた。将来のことが気になるのは当然のことだろう。

「先の見えない未来だからこそ訊いてみたくなる、か」珠妃は扇子で口元を隠した。「その気持ちはよくわかる。じゃがのう、それを訊いていったいどうするのじゃ?」

 四人は顔を見合わせる。

「翔子、お主は漫画家を目指しておるのじゃな?」

「はい。そうですけど……」と翔子は不安そうな顔をした。

「例えばじゃ、ここで妾が『漫画家になれない』と答えたとしよう。すると翔子はどうする?」

「えっ、翔子は漫画家になれないんですか?」

「例えばの話じゃ。ほれ、答えよ」

「漫画家になれないのなら……他の職業を目指すと思います……」

「ふむ。では『漫画家になれる』と答えたら?」

「それなら、絶対に漫画家を目指します!」

「うむ。さて、翔子。お主は今、妾の返答によって未来が変わる可能性があるということに気がついたかのう?」珠妃は扇子を閉じる。「例えば妾が『漫画家になれる』と答えたとしよう。翔子はそれに安心しきって努力を怠れば、なれていたはずの漫画家になれなくなることもある。逆に『漫画家になれない』と答えたが、翔子がそれを悔しがり、より一層努力したことで、漫画家になれるという未来だってある。未来はとても変わりやすい。じゃからこそ、未来視はとても難しいことなのじゃ」

「じゃあ、アタシが合格するっていうのは?」あきらが訊く。

「今のままなら、という意味じゃ。慢心すれば不合格になる可能性も十分にある。だから言ったじゃろ。『ほぼ』合格じゃとな」珠妃が扇子を開くと、また『ほぼ合格』という文字が書かれていた。

「わたしのお嫁さんっていうのも?」と瑠香。

「一番可能性が高いのがお嫁さんということじゃな」

 そう答えて珠妃は扇子を閉じる。なんかマジックみたいだな、と瑞美は心の中で思った。

「未来のことを訊くのはいいが、必ずしもその未来になるとは限らない。未来とは今の積み重ねの上に出来上がるものじゃ。完成品だけ見せられて基礎工事を怠れば、建物は簡単に崩れてしまうじゃろ?」

 確かにそうだ、と瑞美は納得した。珠妃が説明したのは漫画やアニメでよく言われていることだ。それを神様が言うのだから、間違いないのだろう。

 四人はシンと静まり返ってしまった。

「では、最後は瑞美の質問かのう。ほれ、何が訊きたいのじゃ?」

 珠妃が扇子で瑞美を指す。瑞美は困ってしまった。進路のことを訊こうと思っていたのに、何となく訊きにくい雰囲気になってしまった。

「じゃあ……」瑞美は悩んだ末、質問する。「私の今日の晩ごはんはなんですか?」

「晩ごはん?」

 珠妃がキョトンとした顔をしたので、瑞美は、しまった、と思った。神様に向かって今日の晩ごはんのことを訊くって、なんて無礼なことをしてしまったのだろう。それに晩ごはんだって立派な未来のことだ。

 あきら、翔子、瑠香の三人が笑い始める。珠妃もつられて笑い始めた。恥ずかしくなってしまい、瑞美は頬を真っ赤にしてうつむいた。

「いやいや、まさか先ほどの話の後にまだ未来のことを訊くとはな。妾も予想していなかったわ。では、瑞美。お主は今晩、何が食べたい?」

「えっと、じゃあカレーが食べたいです」

「そうか。それはよかった。お主の今日の夕食はカレーじゃ」

 珠妃はそう言うと笑った。

「よかったじゃん」と瑠香が笑い、「瑞美はカレー好きだもんね」と翔子も笑った。あきらは口を押えて笑いを押し殺している。

「ちなみに、お主等三人も夕食はカレーじゃからな」と珠妃が言うので、ついにあきらも吹きだしてしまった。

「全員カレーって、そんなわけないじゃないですか」

 瑞美が突っ込むと、みんなで笑いあった。

「さて、妾は帰るとするかのう」ひとしきり笑った後、珠妃は机の上に置かれた十円玉を握りしめた。「この十円はお賽銭としてもらっていくぞ」

 珠妃は窓際まで歩いていくと、窓を開け放った。強い風が教室内に吹き込んできて、カーテンと珠妃の長い金髪がフワリと広がる。その風は少し生暖かく、だけど新緑の匂いがとても心地よい不思議な風だった。

「楽しませてもらって感謝するぞ。ではな」

 ヒラリと珠妃の着ている袴の裾が翻る。それと同時に、珠妃の体が宙に浮く。ただジャンプをしただけだったのだが、まるで重力が無くなってしまったかのように、ゆっくりと、音もなく。そのまま珠妃は窓を飛び越えてしまう。えっここ四階、と瑞美が思った時には、珠妃の体は重力に引っ張られ、窓の下へと消えて行ってしまった。

「珠妃様!」

 驚いた四人は窓へと走り寄り、地面を見る。

 そこに珠妃の姿は無く、代わりに一匹の狐が四人のことを見上げていた。その狐は四人を見て目を細めると、走ってどこかへと行ってしまった。

 

 ◆

 

 珠美は風呂に入りながら、今日は不思議な日だったなぁ、と放課後の出来事を思い出していた。

 この町の神様、珠妃はこの町の住人のことを全員覚えているという噂を聞いたことがある。思えば、あの教室で誰も名前を珠妃に教えていない。だが、珠妃は四人全員の名前を呼んでいた。その噂は本当なのかもしれない。

 そういえば、同じ学年に家が岳下稲荷神社という生徒がいると聞いたことがある。確か、久城千鶴という名前で、四組だったはず。明日、その子に会いに行ってみよう。

 珠美は風呂から上がると、寝間着に着替えて二階の自室へと戻る。机の上に置いておいたスマホが光っていた。確認すると、チャットアプリにメッセージが届いていた。アプリを開く。あきら、翔子、瑠香とのグループチャットにメッセージが三件届いていた。そのメッセージは三件ともまったく同じ文章だった。その文章とは、『晩ごはん、本当にカレーだった』である。

「みずみー! ご飯できたわよー」

 下の階から瑞美の母が呼ぶ。まさかね、と思いながら瑞美はスマホを握りしめ、一階へと向かう。

 リビングに入りテーブルの上に置かれた夕食を見て、瑞美は自然とこうつぶやいてしまった。

「晩ごはん、本当にカレーだった」

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私の町のお稲荷様 北窓なる @naru_kitamado

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