第01話 半ズボンの男の子はどうしてあんなに魅力的なのか?

「というわけで、神様。よろしくお願いいたします」

 賽銭を放り込んでパンと手を叩くと、参拝客の男性は拝殿へと頭を下げる。その様子を見ていた千鶴は、「こりゃダメだろうな」と考えていた。

 建付けの悪い拝殿の引き戸がガタガタと音を立てて開くと、珠妃がにゅっと顔を出した。珠妃は賽銭箱をチラリと見た後、拝んでいる男性へと視線を向けると、「ダメ」とだけ答え、ピシャリと引き戸を閉めてしまった。

「ちょ、珠妃様! なんでですか!」

 男性が訴えるが、珠妃はそれっきり顔を出さなかった。

「ごめんなさい。珠妃さんはああなっちゃうともう願いを叶えてくれません。お帰りください」

 千鶴が説明すると、男性は肩を落として神社から帰っていった。その背中を見届けた後、千鶴は拝殿の引き戸を開ける。拝殿の中で、珠妃さんは不機嫌そうに腕を組んで座っていた。

「珠妃さん、もうちょっと愛想よくできないんですか?」

 千鶴は珠妃の前に座りながらそう言った。

「なんであんな奴に愛想よくしなくちゃいけないのじゃ! 大体お願いが『彼女へのプレゼントを買うために馬券を当てさせてくれ』だなんて、そんな願いを叶えてやるはずないじゃろうが! しかもお賽銭がたったの五円じゃぞ!」

「それに関しては私もヒドイと思っていますけど」

「そうじゃろ?」

 プンプンと頬を膨らませる珠妃。尻尾の毛が逆立っているのを見ると、相当怒っているようだ。基本的に珠妃がお願いを叶えるかどうかは珠妃の気分次第。お賽銭やお供え物によっても成功率が変わる。だが、先ほどのように何も努力をせずに金を得ようとする行為やお願いは基本的に却下される。適当だがちゃんと神様をしているのだ。

 賽銭箱に小銭が投げ入れられる音がしたので、珠妃と千鶴が顔を見合わせる。引き戸を開いて顔を出すと、賽銭箱の前で目を閉じて手を合わせる男の子の姿があった。小学校低学年ぐらいだろうか。洋服に名札が付いており、柏木恭平かしわぎ きょうへいと書かれていた。

「どうした、何か願い事か?」

 珠妃が声をかけると、恭平はビクッと驚きながら顔をあげた。

「もしかして、神様?」

「そうじゃ。わらわこそこの神社の神、珠妃じゃ!」

 珠妃は尻尾をピンと立て、脚を肩幅に開き、右手を胸に当てるキメポーズを取る。ちなみにこのポーズを『神様降臨のポーズ』と千鶴は勝手に呼んでいる。

「なんだ。神様って女だったんだ」

 恭平は露骨にガッカリしてみせた。それを見て珠妃はムッとした顔をする。

「なんじゃ。妾じゃ不満か、恭平?」

「なっ! なんでオレの名前がわかったんだ?」

 恭平が驚く。「そりゃ名札が付いているからねぇ」と千鶴は思ったが、口には出さなかった。

「さすが神様。名乗らなくても名前ぐらいはお見通しってことか」

 納得した様子の恭平を見て、珠妃はうんうんとうなずいた。

「うむ。まぁ違うが、そういうことにしておこうかのう」

「じゃあ、オレのお願いももうわかってるよな?」

「いや、それはわからんから、ちゃんと説明してくれるか?」

 ひとまず恭平を拝殿へと招き入れて座って話をすることにした。千鶴は一度家へと戻り、オレンジジュースと温かい緑茶を二杯、そして饅頭を持って拝殿へと向かった。拝殿では恭平が珠妃の尻尾をもふもふしていた。千鶴はそんな恭平をうらやましそうに見ると、それぞれの前に飲み物を置いた。恭平はもふもふしていた尻尾から離れると、オレンジジュースを飲み始めた。

「さて、では恭平のお願いとはいったいなんじゃ?」

 珠妃はもふもふされた尻尾の毛並みを整えながら訊く。

「えっとね、かけっこで一番を取りたいんだ!」

 恭平はコップを握りしめながら力強くそう言った。それを聞いた千鶴と珠妃は微笑ましい気持ちになり、フニャっと顔を緩めた。

「そうそう。こういうお願いを待っていたんじゃ。さっきの男のようにクズなお願いじゃなく、こんな無垢でカワイイお願いじゃよ!」

「よかったですね珠妃さん」

 喜ぶ二人を見て、恭平は怪訝そうな顔をしていた。

「それで、どうして恭平は一番を取りたいんじゃ?」

「お前は足が遅いってバカにされたんだ!」

 口をとがらせながら言う恭平を見て、また千鶴は頬を緩めた。なんて微笑ましいんだろう。私にもこれぐらいの弟がいたらいいのに。

「ふむふむ。それで次のかけっこはいつあるのじゃ?」

「明日!」

「明日!?」

 珠妃と千鶴の声がハモる。恭平はフンフンと鼻を鳴らしながらうなずいた。

「神様ならそれぐらい簡単だろ?」

 恭平の言うように、珠妃が神通力を使えばそれぐらい簡単だ。果たして珠妃がそれを許可するかどうかが問題なのだが。

「ふむ。よかろう! 恭平の願い、聞き届けてやろうじゃないか」

 珠妃はお茶を一気に飲み干すと立ち上がる。

「では、さっそく行くとするかのう」

「行くってどこに?」

 恭平が目をパチクリさせる。千鶴もいったいどこに行くのかと首をかしげた。

「決まっておろう。もちろん河川敷にじゃ!」

 

 ◆

 

「よし、集まったな!」

 両手を腰に当てて仁王立ちする珠妃。珠妃の前には学校指定の体操服姿の恭平がいる。

「神様。なんで体操服に着替えさせたの?」

 半袖半ズボン姿の恭平が珠妃を見上げている。千鶴は、男子小学生の半ズボン姿ってカワイイよなぁと考えながら、恭平の姿を目に焼き付けようとしていた。

「体操服に着替えてもらったのはな、恭平に走ってもらうためじゃ。ほれ、今の恭平の足の速さを知っておかないと、どれだけ速くしてあげればいいのかわからんじゃろ?」

 今の実力を見ておこうというわけだ。それは理解したが、千鶴はどうしてもわからないことがあった。

「あの、珠妃さん。なんで私もジャージに着替えなければいけないんですか?」

 手を挙げて発言する千鶴。千鶴も通っている高校のジャージに着替えさせられていた。着替えたといっても、恭平と同じように半袖半ズボンというわけではない。上は長袖で、下はハーフパンツ姿である。

「一人で走るより、競争相手がいた方が恭平も走りやすいじゃろ?」

「なるほど。私は競争相手というわけですか」

 半ズボンの男の子と競争できるとか、ご褒美ですね。とはさすがに口にはしなかった。

「では、さっそく競争してみるとするかのう。恭平、千鶴、二人とも準備はいいか?」

「オレはいつでも走れるよ!」

 ピョンピョンと元気よく飛び跳ねる恭平。

「あ、私はちょっと準備運動してもいいですか?」

 千鶴は軽くアキレス腱を伸ばし、数回屈伸をする。

「よし、準備オーケーです」

 千鶴と恭平は同じ位置に立つ。千鶴は隣に立った恭平を見下ろす。千鶴は決して身長が高いほうではないのだが、隣に立つ恭平は千鶴の胸の位置ほどしか身長がない。このまま抱きしめたらちょうど顔が胸に当たるなぁと考えてしまう。

「では、あの看板までの競争じゃ。いくぞ? よーい、どん!」

 合図と同時に千鶴が走り出す。少し遅れて恭平も走り出した。スタート位置からゴールの看板までは約三十メートルほどだ。先にゴールしたのは千鶴だった。遅れてゴールした恭平はくやしそうに地団駄を踏むと、「もう一回!」と人差し指を立てた。

「これこれ、待ちなさい恭平。もう一回するのはいいが、闇雲に走っても意味はない」

 遅れてやって来た珠妃はしゃがんで恭平に目線を合わせると、そう言ってたしなめる。

「まずは対戦相手に感想を聞いてみるのじゃ。ほれ、千鶴。恭平はどうじゃった?」

「うーん、そうですね。まずはスタートダッシュが遅かったような気がします。後は恭平くんはずっと後ろだったのでわかりませんね」

 千鶴が思いついた感想を述べると、恭平は口をとがらせて不機嫌そうな顔をした。

「これ、不機嫌そうな顔をするな。これは貴重な意見なのじゃぞ。妾からも意見を言わせてもらうと、走るときの姿勢を直した方が良さそうじゃな」

「直すっていったって、どうやって?」

「それはこれから教えてやるから大丈夫じゃ」

 珠妃は恭平の頭を優しく撫でる。その様子を、千鶴はうらやましそうに眺めていた。私だって頭を撫でたいのになぁ。

「おい、千鶴。もう一度走ってみてくれるか?」

 珠妃に言われ、千鶴はもう一度走る。「もう一度!」と言われたので、さらにもう一度走った。

「恭平、千鶴の走り方を見ていたじゃろ? これが悪い見本じゃ」

「確かに。なんかカッコ悪い走り方だった」

 頑張って走ったというのに、悪い見本にされてしまった。肩で息をしながら、千鶴はショックを受けていた。馬鹿にされたことより、恭平にカッコ悪いと言われたことに。

「千鶴のように顎をあげてはダメじゃ。顎は少し引いて走る。それに走っているときに力みすぎるのもよくない。もうちょっと脱力して走るのじゃ」

「わかった!」

「よし、ではさっそく実践じゃ。ほれ千鶴、お前も準備せよ」

 千鶴はまだ息が整っていないかったが、珠妃に急かされ、スタート位置についた。

「さっき言ったことを覚えておるな。まずはスタートのタイミング。そして走っている間は脱力と、顎を引いて走るんじゃぞ?」

「やってみるよ!」

「ではまたあの看板までじゃ。よーい、どん!」

 今度は二人同時に走り出した。スタートはほぼ同時。千鶴も珠妃が言っていたアドバイスを参考に走ってみた。今回も先にゴールしたのは千鶴だったが、最初よりも恭平と千鶴の距離が離れていなかった。

「神様、どうだった?」

 走り終えた恭平はすぐに珠妃の元へと走っていった。なんで走ったばっかりなのに元気なんだろう。千鶴は地面に座り込んだ。

「うむ、さっきより良くなっていたぞ」

 珠妃はまた優しく頭を撫でる。恭平は嬉しそうに頬を赤らめている。くそぅ、うらやましい!

「ほれ、恭平。相手に感想を聞くのを忘れるでないぞ?」

「あ、そうだった」恭平は小走りで座り込んでいる千鶴の元へやって来る。「千鶴お姉ちゃん、走りはどうだった?」

 ズキュン、と千鶴の胸に衝撃が走った。お姉ちゃんと言われることがこんなにも破壊力があるなんて。

「お姉ちゃん?」

 恭平が顔をのぞき込んでくる。

「恭平くん、今の走りよかったよ! スタートのタイミングはバッチリだったし、ちゃんと顎を引いて走っていたもんね!」

 千鶴は一瞬、恭平を抱きしめようかとも思ったがそれはグッとこらえ、頭を撫でてあげた。恭平は嬉しそうに笑った。はうっ、なんてカワイイんだろう。

「うむ。妾もだいぶ良くなったと思うぞ。じゃが、まだ体に力が入っておるな。もう少し力を抜くのじゃ。そして次はもうちょっと腕を大きく振ってみろ」

「はい!」

 恭平は力強くうなずくと、千鶴へと手を伸ばした。千鶴はその手を握ると、恭平はグイっと引っ張って千鶴を立たせる。

「もう一回!」

 嬉しそうに笑う恭平に急かされ、千鶴はまんざらでもない顔をしてスタート位置へと戻っていくのであった。

 

 千鶴と恭平のかけっこは夕方まで続けられた。さすがに千鶴に勝てるほどではなかったが、恭平はだんだんと速くなっていった。スタートも完璧だし、走る姿勢も綺麗になった。

「よし、今日はここまでじゃ!」

 珠妃のその声を合図に、千鶴はその場にへたり込んだ。いったい何回走らされたのだろう。あんなに走ったというのに、恭平はピンピンしていた。これが若さか、と千鶴は珠妃に走り寄る恭平を眺めていた。

 珠妃は走り寄ってきた恭平の頭を優しく撫でる。頭を撫でられると、恭平は嬉しそうに笑った。

「神様、どうでしたか?」

「うむ。だいぶ速くなってきたのう。これなら妾が授ける能力にも耐えられる体になったじゃろう」

「もしかして、今までのは能力をもらうための訓練だったの?」

「そうじゃ。そして恭平は見事その体を手に入れたのじゃ!」

「本当に!」

 恭平は目をキラキラと輝かせる。そんな恭平を見て、珠妃はまた恭平の頭を撫でるのでった。

「よし、さっそく能力を授けるとするかのう。ほれ恭平、目をつぶれ」

 恭平は言われたとおりに目をつぶる。珠妃は千鶴の方へと顔を向けると、人差し指を立てて口の前に持っていく。シーっという内緒のポーズだ。

 いったい何をするんだろう、と千鶴は訝しがる。珠妃は意地悪な笑みを浮かべたかと思うと、しゃがんで恭平へと顔を近づける。そしてそのまま恭平のほっぺにキスをした。

「さ、恭平。目を開けてもよいぞ」

 恭平が目を開ける。目の前には珠妃の整った顔があり、緑の瞳がじっと恭平を見つめている。恭平は驚いて後ろへと飛びのいた。そのしぐさがカワイくて、千鶴は思わず笑ってしまった。

「これで恭平は明日のかけっこで一等賞間違いなしじゃぞ!」

「ほ、本当に?」

「うむ」

 珠妃がニッコリと笑う。恭平の表情もパァっと明るくなった。

「さて、もう暗くなってきたのう。家まで送ってやるぞ、恭平」

 千鶴と珠妃は恭平を家まで送ると、神社へと戻るのだった。

 

 ◆

 

 翌日、脚が筋肉痛になってしまった千鶴は高校から帰ると、すぐさま巫女服に着替えて拝殿へと向かった。拝殿の引き戸を開けると、床に寝転がった状態の珠妃がいた。

「珠妃さん、だらしない恰好でゴロゴロしないでください」

「そんなこと言われてものう。今日は参拝客があまりいないから暇で暇で仕方ないのじゃ。常連のご老人達は基本的に午前中にしか来ないからのう」珠妃はふわぁ、とあくびをした。「千鶴。お茶を持ってきてくれんかのう?」

「イヤです。ご自分で用意してください」

「むぅ、冷たいのう。妾は神様じゃぞ?」

「神様なら、もうちょっと威厳ある感じでお願いします。あ、あと脚が筋肉痛なんで治してください」

「それは却下じゃ。自業自得じゃからな」

「珠妃さんに振り回されたからなんですけど?」

 そんなやり取りをしている時だった。「かみさまー」という元気な声が境内から聞こえてきた。千鶴と珠妃が拝殿から顔を出すと、参道をパタパタと走って来る恭平の姿があった。体操服ではないが、半ズボン姿だ。うん、今日もカワイイ。

「おお、恭平。今日も元気そうじゃな」

 珠妃と千鶴は拝殿から出ると、走って来る恭平を出迎えた。

「神様と千鶴お姉ちゃん、こんにちは! ねぇねぇ、それよりも、これ!」

 そう言って誇らしげに首からかけているメダルを掲げて見せた。そのメダルは手作りの金メダルで、一等賞と赤い文字で書かれていた。

「もしかして、かけっこで一等賞だったの?」

 千鶴が訊くと、恭平はニカっと笑った。

「そうだよ!」

「恭平くん、すごいじゃない!」

「ほう、そうかそうか。よかったのう、恭平」

 珠妃も嬉しそうに笑う。

「神様のおかげだよ! ありがとう!」

「うむ。妾に感謝するがよい! だが、恭平のお願いを聞いてやるのはこの一回だけじゃ。これからは恭平が頑張って練習して、一等賞を取るんじゃぞ?」

 諭すように言う珠妃。恭平はうんうん、と何度もうなずいた。

「わかったよ神様。これからは神様と千鶴お姉ちゃんが教えてくれた走り方を練習するよ!」

「うむうむ、いい心がけじゃ」

「じゃあ、今日は帰るね。ママにもこのメダルを見せてあげなくちゃ!」

 恭平はバイバイと手を振ると、珠妃と千鶴に背を向け、参道を走っていった。珠妃と千鶴が教えた走り方で。恭平は鳥居をくぐる寸前、立ち止まると珠妃と千鶴へと振り返った。そして大きく息を吸うと、叫んだ。

「神様! 大きくなったら結婚してあげるよ。だって、チューしちゃったもんね!」

 恭平は顔を真っ赤にすると、「それだけ!」と言って走っていってしまった。

 珠妃と千鶴は目をパチクリさせると顔を見合わせた。

「どうしよう、千鶴。妾、求婚されてしまったぞ?」

「よかったじゃないですか。というか、原因は珠妃さんなんですから、しっかり答えてあげないとダメですよ」

「ふふっ、それもそうじゃな。まぁあと十五年ほど待ってみるかのう」

 珠妃は嬉しそうに笑った。その笑顔はお姉さんのようでもあり、お母さんのようでもあった。

「それにしても、まさか千鶴が半ズボンの男の子が好きだったとはな」

 珠妃さんがニヤリと笑った。

「べっ、べべべべ別に、そんなわけないんれすけどぉ!?」

「カミカミで言っても説得力はないぞ。別に千鶴の好みを責めているわけではない」

「そ、そんなことより!」千鶴はコホンと一度咳払いをしてみせた。「珠妃さん、今回は神通力を使ったんですか?」

「妾が使うと思うか?」

「いいえ。恭平くんに走り方を教え始めた時点で使わないと確信しましたよ。恭平くんは自分の力で一等賞を取ったんですよね」

「そうじゃ。ま、今回は神通力ではなく、魔法を使ったんじゃがな」

「魔法?」

「うむ。男の子が頑張れるようになる魔法じゃ。効果抜群だったじゃろう?」

 そう言って珠妃は内緒のポーズをしてみせた。

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