新しい服

 食事をした後、リムはずっと上機嫌だった。


 ずっと「わたしはリム、リム」と口ずさんではニコニコと笑って、爪に抱きついてくる。


 五月蝿なと思ったが、不思議と不愉快だとは思わなかったので寝静まるまで放っておいた。


 満たされた腹のおかげか、リムは早く眠りに入った。ヴィルディアの爪の上で。


 前回は鼻の上で、今回は爪の上。寝具がないとはいえ、爪の上はさすがに冷たいのではなかろうか。


(早急に寝具を買わなければ)


 ヴィルディアは寝具ではない、ドラゴンである。寝る度にリムを落とさないよう気を遣うのは、ドラゴンだからこそ限度がある。


 ドラゴンからしてみれば小さな身動きでも、リムからすると大きな振動だ。それで落ちたり起こしたりとしたら、堪ったものではない。


 現に気遣った結果、数時間も眠れずにいる。毎晩そんなことの繰り返しでは、お互い身が持たない。


(寝具はいくらするだろうか……昔は藁や草を詰めていたが、この辺ではそれも難しい)


 雑草すらまともに生えていないのが現状だ。かといって、あの街で寝具を調達して運ぶのは目立つ行為だ。材料を調達したところで、ヴィルディアは作り方を知らない。


(せめて藁と布を用意して簡易ベッドを作ろうか)


 などと思っていると、リムの目が突然開いた。のろのろと上半身を起こし、大きな欠伸をしている。ヴィルディアと目が合うと、にぱっと笑った。


「おはよ、おとーさん」


「………………ああ。さっさと爪から降りろ」


「はーい」


 素直に爪から降りたリムにさらに言う。


「顔を洗いに行け」


「はーい」


 パタパタと地下の湖に続く穴へ向かった。リムの裸足を見て、買ってきた服のことを思い出した。


(食事の前に言うか、後で言うか)


 昨日の食事風景を思い出して、食事の後がいいかとなるが、夜も食事があるので結果は同じだと思う。そう考えているとリムが戻ってきた。


「洗ってきたー」


「ああ。食事にするか?」


「うん!」


 果物が入っている袋に走り寄ったと思ったら、その袋から視線を外して首を傾げた。


「ねー、おとーさん。あの白い袋はなにはいっているの?」


「ああ」


 それは服が入っている袋だ。タイミングがタイミングだったので、今でもいいか、と説明した。


「あの袋の中に服が入っている。靴も入っている。せっかくだから食事前に着ると言い」


「ふく?」


 リムは目を瞬かせた。そして己に向かって指を差した。


「わたしの?」


「それ以外になにがある?」


「おとーさんの」


「私は服を買う必要がない」


 素っ気なく答えるとリムが首を捻った。


「じゃあ昨日の服はどうしたの?」


「術で誤魔化している。普通に服を着たら、元の姿に戻るとき服が破れるのでな。いちいち面倒くさい」


「ということは、おとーさん、まちのなかでずっとぜんら?」


 吹き出しそうになったが堪え、溜め息をつく。


 確かに町の中でずっと全裸だということには変わりないが、想像してみるとなんともいえない感情が生まれてきそうだ。


「……それは今でも変わらんだろ」


「それもそっか~」


 納得しながらリムは白い袋を開けて、覗き込んだ。


「きれいな服!」


「普通の服だろう」


 買ってきたのは普段着で、余所行きの服ではない。


「これ、だれも着たことがないやつ?」


「新品か、ということか? それならそうだが」


「しんぴんの服ははじめて!」


「中古のものしか着たことがないのか?」


「いつもおかあさんの服をなおしたやつだった」


 ヴィルディアは、そうか、と返した。


 近所の子供が着ていたお古を貰ったことがないということなのだろう。千年前だって子供が着ていた服を親しい者にあげることがあった。


 母の着ていた服を着ていただけ、ということはそういうやりとりがなかったということであり、それほど貧乏だったということかもしれない。


 どうやらヴィルディアが思っている以上に、リムとその母親は群れから孤立していたらしい。


(それほど片親は嫌悪されるものなのか? 人間の社会は理不尽だな)


 ドラゴンは片親が当たり前だ。だから人間が片親を良しとしない理由がヴィルディアは理解できなかった。


(父親しか名前を名付けられないと言っていたから、男尊女卑が酷いところということか)


 心の中で溜め息を漏らしていると、リムが白い袋から一着の服を取り出した。


「これいい?」


「それがいいのか? だったら着るがいい」


「うん!」


 元気の良い返事をしたかと思えば、その場でバッと服を脱ぎ始めた。


 ギョッとしたが、すぐに平静を取り戻す。別に年頃の娘でもない、まだ十も満たない少女だ。異性に対して恥じらいはあまりないのかもしれない。


(だが人の成長はあっという間だ。今のうちに常識として教え込んだほうがいいか……? それとも自然と恥じらいは生まれてくるものなのか?)


 人間の社会で生きたことがあるとはいえ、人間の子供を養育するのは初めての経験だ。言い聞かせるものなのか、自然と覚えていくものなのかどちらか分からない。


 悩んでいると。


「おとーさん! きがえたよー!」


 弾む声に我に返り、リムを見やる。


 白い花が刺繍されている淡い黄色のワンピースをこれ見よがしに、くるくると回ってみせている。


 ブカブカだが、順当に太っていけばちょうど良くなるかもしれない。


「どう? かわいい?」


 正直、可愛い基準が分からない。痩せこけている少女に対し、新しい服はちぐはぐな気もするが、嬉しそうな笑顔に水を差す気にはなれなかった。


「ああ」


 軽く肯定すると、リムは満足げに笑った。


「そろそろ朝食を食べるぞ。せっかくの新しい服を汚さないように」


「はーい」


 返事をして、さっさと果物が入った袋の中を覗き込んだ。


 また昨日と同じ量のフルーツを抱えようとするリムを見て、若干遠い目になった。


 果物やドライフルーツはしばらく買わなくてもいいくらいに買ったつもりだったが、どうやら近いうちにまた買いに行かないといかないようだ。


(しばらく飢えていたから、という理由もあると思うが……)


 とりあえず当面は、資金の調達だ。


 ヴィルディアは小さく嘆息した。


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邪竜が人間の娘を育てるようです 空廼紡 @tumgi-sorano

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