第5話 織戸兄妹の日常
『だってこれが、ありのままのわたしだからっ』
…………。
『やけになんかなってないも〜ん! これがありのままのわたしだも〜〜ん!』
……あああ、あああああ。
『むちゅちゅちゅちゅ〜〜〜〜! ゆーにぃときちゅちゅるのぉ〜〜〜〜!』
ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!
「〜〜〜〜〜っ!! わたしなに言ってるんだろっ! なにやってるんだろ、わたしっ!?」
わたしは頭を抱えたまま、ぼふんと枕に顔を沈めた。たとえその相手が、わたしの黒歴史を知り尽くす実の兄であっても、恥ずかしいことに変わりはない。思い出すだけで顔が熱くなって、じっとしていられなくなる。穴があったら埋まりたい……!
そんな調子でしばらくのあいだ、ベッドの上で悶え続けた。
悶え疲れて平常心を取り戻したわたしは、再発する前に、改めて本題について思考をめぐらせる。一人反省会をしているうちに、つい脱線してしまったのだ。
要するに今までのわたしは、焦りすぎていたんだと思う。
早くしないとゆーにぃの気が変わっちゃうかも――きっと心のどこかに、そんな焦りがあって。それであんなふうに暴走して――って、だからだめなんだってば、それを思い出したら!
とにかく……これからはもう、焦るのはやめよう。
ゆーにぃのことも自分自身の魅力も、ちゃんと信じよう。
ゆーにぃが好きだと言ってくれた、ありのままの、自然体のわたしでいよう。
――うん、明日からの作戦はそれでいこう。
人間、普通がいちばん!
☆ ☆ ☆
さて……放課後だ。
今日も今日とて、霞と一緒に帰る約束をしている。
霞が別の自分を演じることをやめ、俺が「はじめてのキスは俺からだ」と宣言したあの日から、一週間以上が過ぎた。
あの日以来、霞に目立った変化はない。
平和な毎日だった。
平和すぎて……進展もない。これも霞なりに考えがあってのことだとは思うが。
いつもは昇降口で待ち合わせだが……よし、たまにはサプライズで一年の教室まで行ってみるか。
俺は鞄を手に取り、教室の外へ向かおうとして――
「ねぇねぇ織戸くん、今ちょっと時間いいかな?」
トントン、と肩を叩かれ、振り返る。
「俺が今まで一度でも了承したことがあったか?」
「も〜、用件を先読みして答えないでくれる? 今日は別件かもしれないよ?」
彼女の名前は
手芸部の部長で、俺がクラスの女子で唯一、普通に友人として話せる相手だ。
さらさらとなめらかな漆黒のロングヘアに、男女どちらからも好かれそうな、可愛らしさと美しさが同居した端正な顔立ち。クラスの高嶺の花として注目を集めてもおかしくない、正統派の美少女だ。
だけど現状そうなっていないのは――その中身に難があるから。
「まぁ、聞くだけ聞いてやろう」
「……あのね」
安斎はほんのりと頬を朱に染め、つま先立ちで俺の耳元に口を寄せる。
女の子の匂いが、ふわりと香った。
「――妹さまの使用済みのおぱんつ、私に譲っていただけないでしょうか……?」
「さよなら、安斎。また明日」
「待って帰らないでぇぇぇぇっ……! お願いしますぅぅ、この通りっ、この通りですからぁぁあ……っ!」
背を向けた俺の手を素早く掴むと、全身を使って腕にしがみついてくる。そしてグリグリと額を腕にこすりつけてくる……いやどの通りだよ。
「放せ、変態がうつる」
「なんにもしないからぁぁ〜〜! 変なことに使ったりしないからぁっ! ほ、ホントだよっ? ほんのちょっと鑑賞するだけっ、ねっそれならいいでしょ、ね??」
必死すぎる。そしてくっつきすぎだ。
霞の話によれば、俺は女子にとって侵してはならない“聖域”らしいが……こんなことして安斎は大丈夫なんだろうか?
周りをそれとなく気にしてみると、確かにいくつもの視線を感じる。が、殺気立っている感じではない。
なんというか……視線がどこか生温かい。安斎なら仕方ない、というような、諦めにも似た空気を感じる。まぁ、安斎が男に興味がないのは周知の事実だし、こんなもんか。
安斎はほかの女子と違って、俺の前で
だから俺も安斎にだけは、異性を感じない。一人の友人として接することができる。
「ねぇねぇねぇねぇねぇ織戸くん織戸くん織戸くん織戸くんってばぁぁぁぁ!!」
「そんなに欲しいなら霞に直接頼んだらどうだ?」
安斎は元々霞と面識がある。俺と話すようになったのも、俺が霞の兄だと知ったからだ。
「そんなこと恥ずかしくて言えるわけないよっ。私、妹さまに変態だと思われちゃうじゃん……!」
「心配するな、もうバレてるから」
「え、もしかして妹さま、私のことなんか言ってた!?」
「いや別に、まったく、これっぽっちも。そもそも安斎の話なんかしないからな」
「がーん!」
話どころか、霞と安斎と三人で会ったこともほとんどなかったような。
……それにしても。
安斎は、霞のことを性的な目で見られるんだよな。そのことが、純粋に羨ましい。
「そうか……霞のおぱんつで、安斎は興奮できるんだな……」
「え、う、うんっ! あのねあのね、できればそのっ、なるべくクロッチが汚れてるやつが望ましいかな、なんて……。あ、ジップロックには絶対入れてくださいっ!」
俺がついに折れるとでも思ったのか、期待に満ちた顔で勝手に話を進める安斎。
「あぁだめっ、想像だけで勃起しちゃう……っ」
「生えてないだろ」
「どこが、とは言ってないから。織戸くん知らないの? 女の子でも……勃起するんだよ……?」
「あっそう」
「で、いつ持ってきてくれるのかな? 織戸くんさえよければ、今晩にでも会えない? あ、そだっ、先にお金払うね! 二万でいいかな……?」
財布から万札を取り出す安斎を無視して、すたすたと出口へ向かう。早くしないと霞と入れ違いになってしまう。
「あ、あれっ? 織戸くんっ?」
……。
「そうだよね二万じゃ安すぎるよねっ! ごめんなさい行かないでっ! 今コンビニでお金下ろしてくるからぁぁぁ〜〜っ!!」
安斎は今日も平常運転だ。
☆ ☆ ☆
一年の階に来たはずなのだが、霞のクラスの前ではなぜか上級生と思しき男が数人、何事か揉めているみたいだった。
なんだ? と思いつつも、特に歩みは止めずに教室へと近づいていく。
「いやいや、ちょっと遊びに誘っただけじゃん? そんなカリカリすることなくない?」
「そーだそーだ!」
「つかさぁ、俺らはそっちの子と話してるんだけど? 関係ないやつは黙っててくれないかな?」
「って、よく見たらお友達のほうもけっこう可愛いじゃん! せっかくだし二人一緒にどう? 楽しいよ!」
彼らが話している相手は――霞。
と、それからもう一人。
「うるさい! それ以上霞ちゃんに近寄るなっ! ほんと汚らわしいっ、虫酸が走る……!」
その女の子は霞を手でかばうようにしながら、すごい剣幕で男たちと対峙している。
「な、なにもそこまで……」
「なんか、ごめん……」
「もういいよ、シラけたわ。おい、行こうぜ」
「あ、あぁ。邪魔してごめんね!」
ぞろぞろと霞たちから離れていく男たち。俺が来たのとは反対方向の階段へと帰っていく。
「もう二度と霞ちゃんの前に現れないで! もしまた霞ちゃんに近寄ってきたら、霞ちゃんに指一本でも触れたらっ……絶対に許さないから!!」
立ち去る男たちをどことなく申し訳なさそうな表情で見送る霞に、俺は声をかけた。
「霞。大丈夫だったか?」
「ぇ、あ、ゆーにぃ。わざわざ来てくれたんだ」
けろっとしたその顔を見るに、特に問題はなさそうだ。
「うん、全然大丈夫だよ。
困ったように笑う霞。
「そんなことないって」
俺は自然と霞の頭に手を置いていた。
と、男たちの背中を憎々しげに睨みつけていた彼女が、ふいにこちらを向いた。
ばっちりと目が合う。
彼女は俺に向かって、口を開いた――
「あっ、霞ちゃんのお兄さま! ご無沙汰してます! 霞ちゃんに似て相変わらず素敵ですねっ」
さきほどまでの険しい表情から一転、友好的で穏やかな笑みを俺に向けてくる。
「久しぶり、澄ちゃん。霞のこと、守ってくれてありがとな」
「いえいえ! 霞ちゃんに悪い虫がつかないようにするのは、霞ちゃんの親友として当然の務めですから!」
霞と同じクラスで霞の親友、澄ちゃん。
時々家に遊びに来るので、何度か顔を合わせている。
笑っていても表情はどこか凛としていて、それが彼女の可愛さを引き立てるアクセントになっている。片側だけを編み込んだミディアムヘアもおしゃれだ。
これだけ可愛くて愛想もいいとなれば、男人気が高そうなものだが……実はかなり嫌われているらしいというのは、風の噂で聞いた。
実際に見たのは今がはじめてだが、霞に近づこうとしても、隣にいる女に罵声を浴びせられ、話すらまともにさせてもらえないとか。どうやら噂は本当らしい。
俺にとっては素直でいい後輩なんだが……。
それに霞と付き合った今となっては、寄ってきた男を追い払ってくれるのは正直ありがたい。若干危なっかしさも感じるが。
「お兄さまと学校でお会いするのは、なんだか新鮮な感じがします。というより、はじめてじゃないですか?」
「かもな。今までは霞を迎えに来ることなんてなかったからなぁ」
「なにか心境の変化でも?」
「まぁ、な。もうちょっと妹を大事にしようと思ったんだ」
「素晴らしいです! さすがは霞ちゃんのお兄さまです!」
キラキラとした表情で過剰に俺を褒め称える澄ちゃん。
「はぁ……世の男性がみんなお兄さまみたいな人ならよかったのに……」
「そこまで言うか」
「もし将来結婚するなら、お兄さまみたいな素敵な方がいいです!」
「…………」
というか、澄ちゃんがここまで言ってくれるのなら――考えてみれば、俺は澄ちゃんに告白すればよかったんじゃないのか?
妹の友達に手を出すのは……とも思うが、妹に手を出すよりは遙かに健全だろう。……ちょっと訊いてみるか。
「たとえばの話だけど。もし俺が澄ちゃんに告白したら、付き合ってくれるか?」
澄ちゃんの答えがどうであれ、俺には霞という可愛い彼女がいるから、乗り換えるなんて外道なことはしない。世間的にはそれが正解でも、霞が悲しむ顔は見たくないからな。
そういう未来もありえたのだろうか? という、単なる興味本位だ。
「深い意味はないから、気軽に答えてくれればいいよ」
「そうですね……」
澄ちゃんはう〜んと考える仕草をしたのち、顔をあげた。
「お兄さまには申し訳ないのですが、お断りすると思います」
「それは、周りが気になるから?」
「あ〜、確かにお兄さまはみんなのもの、みたいな空気ありますよね。でもそれよりも澄は、単純に霞ちゃんと離れたくないんです。誰かとお付き合いしたら、そのぶん霞ちゃんと一緒にいる時間が減ってしまいますから」
「なるほど、澄ちゃんらしい理由だ」
本当に霞のことが好きなんだな。
「……とはいえ、お兄さまが本気で澄を好きだと言ってくださるのなら、澄ももう少し真剣に考えてみようとは思いますが」
上目遣いで俺を見つめる澄ちゃんの頬に、ほんのりと赤みがさす。
……あれ、なんか意外に脈ありなんじゃ……
ふと。
視線を感じて霞を見ると、むぅ〜〜っとむくれた顔をして俺を見ていた。
「いやごめん、忘れてくれ。実は俺、最近彼女ができたんだよ」
「そうだったんですね! おめでとうございます!」
「ありがとう」
「お兄さまが選んだ人ということは、さぞ素敵な女性なのでしょうね」
「あぁ、それはもう。めっちゃ可愛いんだよ、あいつ」
「〜〜〜〜っ!!」
霞が視界の端で悶えている。
「澄もぜひ一度お会いしてみたいです!」
「機会があれば紹介するよ」
「はい! 楽しみです!」
……しかし、俺と霞の関係を澄ちゃんが知ったら、どう思うんだろうな。
☆ ☆ ☆
クラス委員長の仕事で忙しいらしい澄ちゃんと別れ、霞と二人で帰路につく。
無言でうつむきながら歩く霞を見て、さっきのことで怒っているのだろうと思った俺は、なにか声をかけようとして、
「あの、ゆーにぃ……?」
それよりも先に、霞が口を開いた。
「さっきはごめんね。わたし、嫉妬しちゃった……」
「なんで霞が謝るんだ?」
怒っていると思いきや、むしろ申し訳なさそうな顔で俺を見る。
「だって……なんかそれって、ゆーにぃのこと信じてないみたい。よくないよね、わたし」
「馬鹿、考えすぎだって。それに俺も軽率だった。ごめんな?」
「ゆーにぃは悪くないよっ、わたしがっ」
「なんだ、悪くないのか俺。なら、ほかの女子にも訊いてみるかっ。もし俺が告白したら付き合ってくれるか、って」
「もぉーっ! ゆーにぃの意地悪〜っ!」
ぽかぽかぽか、と俺の胸を殴ってくる霞。
「いやだって、嫉妬する霞が可愛かったから」
「っ……!? もぉぉ……!」
ぽかぽかぽかぽかぽか。
俺たちはじゃれあいながら、途中で夕飯の材料を買いに寄り道もしつつ、楽しく帰宅した。
そして夕飯時。
二人で作ったカレーが食卓に並んでいる。
俺のカレールーの上にはウスターソースがかかっている。やはりカレーにはソースがよく合う。
「ゆーにぃ変わってるよね、カレーにソースだなんて」
「そうか? わりとポピュラーだろ」
「ううん、かなり独特のセンスをしてるよ。さすがゆーにぃって感じ」
そう言いながら霞は、カレーの上でタルタルソースのチューブを絞った。ルーの上だけならまだしも、白米の上にもドバドバかけるあたり、さすが霞って感じだ。
「ゆーにぃのにもかけてあげようか、タルタル様」
「遠慮しとく」
「え〜、まろやかになっておいしいのに……」
なんてことはない、日常のひとコマ。いつもの風景。
あぁ……なんだろう。
なんというか、本当に…………平和だ。
もう妹でいいや かごめごめ @gome
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。もう妹でいいやの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます