君のピアス

明里 好奇

第1話 (どうして俺の部屋でピアスの拡張しちゃうかな?)


君のピアスがどんどん拡がっていくのをすぐ近くで見ていた。一段階ずつ太い拡張器とピアスを用意して、ポアスホールにあてがう。ゆっくりとピアスホールの中に拡張器を差し込んでいく。ある程度差し込んだら、それ以上進めなくなる。ピアスホールの大きさと拡張器の大きさが同じ個所に行き当たる。そこから、君は一つ息をついて唇を舐めた。左の耳たぶを固定している指先が白くなって、代わりに耳たぶは赤くなっていく。拡張器を握って力を込めた右腕は、薄い皮膚の下で筋肉が収縮したのが見てわかった。

 眉間には薄く皺が刻まれていて、痛みを感じているのが明確なのに、口角が上がっているから不思議と不可解な表情になっていることを、君は知っているだろうか。挑発するように笑んだまま君の右手は、ゆっくりと自分を傷つけていく。血は一滴も出ない。ずっと君を横で見て生きてきたけど、そのピアスが一体何年前からあけられているのか覚えていないくらい、はるか昔からそこにあることは知っている。

 ああ、鋭く人を傷つけているときと同じ顔だ、なんて思い出した。昔から誰かに鋭い言葉を投げつけて釘刺しにするときも同じように眉間にしわを寄せたまま極上の笑顔をくれていた。その瞬間も横で見ていたし、その極上を向けられることも一回や二回ではない。何度も見てきて、何度も釘刺しにされた。その度に疑問に思う。そんなに痛いような顔をするくらいなら、相手を傷つけなければいいのに。同じくらい、自分が傷ついてしまうくらいならば、なおのこと。

 ああそうか、こいつは馬鹿だ、いや本当に馬鹿なのだ。なんて考えていたらピアスホールの拡張は終わっていたらしい。拡張したピアスホールはしばらくすると熱を持ち、腫れてしまう。そうなってしまう前に拡張した大きさの新しいピアスを入れてやる必要がある。

 他人の部屋で「ちょっと漫画読ませてよ」くらいの感覚でピアスの拡張を始めた友人は、エアコンで上がった室内の温度にインナー1枚になって新しいピアスを手に取った。外気温は一桁、凍えるほどではないが半袖で過ごすには厳しい寒さであるから、エアコンを使用しているのに。外に出ることが嫌いな君の生白い肌は、普段見ないくらいしっとりと汗で濡れているのが分かる。そこまで痛いわけではないだろうけれど、きっと痛みよりも何か危ない脳内物質が分泌されているのだろう。鼓動が速くなって、発汗して、何となく尖った空気をまとっているのだろう。

 拡張したてのピアスホールに拡張器を押し込みながら、新しいピアスを押し込んでいく。君の薄い肩から蛍光マゼンタ色の安っぽい拡張器が落下した。フロアマットに音もなく落ちた拡張器は、キラキラとしたラメが悪趣味に光を乱反射している。キラキラした蛍光マゼンタの拡張器を、そんな顔で買ったのだろう。これ一つください、上から3段目の左からえーっと0Gの、そうそうそれです。無表情を極めた顔をして、何でもないみたいな顔をしてそれを買ったのか。きっと店員もびっくりしただろうな。

 

 ピアスホールの拡張を終えた君は、大きく脱力して酷く緩慢な動作で煙草を取り出した。一緒に安物のオイルライターが転がり落ちる。それを拾って渡してやると、お返しとばかりに煙草が一本目の前に差し出されているのが視界一杯に見えた。近い。差し出された煙草越しに首を傾げている君が見える。瞳に感情は乗っていない。ただ、普段通りの素振りだ。

「おれ、吸わないってぇ……」

「吸えないわけじゃないでしょうに」

「え、何、付き合えって?」

「だって、外は寒いでしょ」

 そう言いながら君は重く分厚いモッズコートの袖を通している。唇には咥え煙草。もちろん火はついていない。ここはおれの部屋だから禁煙だと言ってから、君は狭いベランダに出て煙草を吸うようになった。

 寒いから煙草一本分くらい付き合ってくれてもいいでしょ、ということなのだろう。仕方がないなあと、ジャケットを手に取って彼の指先から煙草を唇で受け取った。

 彼の煙草は非常に細い。直径5mmの害悪は、花のような果実のような香りがする。煙草臭さというよりは、独特の残り香が印象的だ。だから換気扇の下、部屋で吸ってくれても構わないのだけれど、彼は律儀に外に出てから喫煙をする。

 音もなくベランダに続く掃きだしの窓を開くと、冷えた外気が部屋に流れ込んだ。きっと彼は火照った体に心地よいのかもしれないが、隣で痛そうな行為を見て腹の底からじわじわと冷えるような感覚を味わっていたこちらは、心地よいなんてものではないのだが。


 冷え切って澄んだ空の下で、狭いベランダに二人で立つ。彼のための灰皿替わりの海外の菓子の入っていた缶をサッシの下からつま先で蹴りだす。彼はそれを眺めて、しゃがんで缶を開けた。古い吸い殻の匂いが鼻に突く。

 彼はしゃがんだまま煙草に慣れた動作で火をつけて、最初の一吸いを上手そうに吸い込んだ。数回煙を堪能してから、彼は立ち上がって「ん」とこちらに向き直る。示し合わせたわけでもないが、咥えたままの煙草の先端を近づけて、火種を移すように吸い込んだ。

「んはは、シガレットキスだぁー」

 なんて間の抜けた声を出して、楽しそうにしているのが見える。こんなこと毎回のようにやっているのに、いまさら何がおかしいのか。痛みを紛らわせるために脳がハイになっているであろう彼は、多分見える世界すべてがキラキラして見えているのかもしれない。先ほどまで彼が握っていたピアスの拡張器の馬鹿げた蛍光マゼンタを思い出した。ああ、そうだ彼は馬鹿だった。

 静かにため息をつくように煙草を燻らせる彼は、無意識なのか赤く腫れだして熱を持つ耳たぶに指先で触れた。優しく撫でるように、指先が揺れる。

「ねえそれ、痛くないの?」

 泳ぐ彼の指先を見つめながら、普段から思っていた疑問を投げかけてみた。多分、初めてではない。何度も聞いている。

 彼は一瞬置いて、吹き出すように笑んでから、ひとつため息をついて、

「君は、何年も前の小さな傷が今もまだ痛むかい?」

 澄んだ夜に、歌うようにそう言った。それに首を横に振って、「でしょう?」としたり顔で言った。

「ああ、でも。少しの刺激で血が噴き出すことは、あるのか。無いことも、無いか」

 何か思いついたように、指に挟んだ煙草のフィルターで唇の弾力を楽しんでいる。彼はうつろに虚空を彷徨っている。ああ、彼の悪い癖だ。会話の途中で思考の海に飛び出してしまう。

「それは、何の話?」

 たっぷり数秒思案してから彼は「心の話」と付け加えた。彼はそう言うと左胸に手を添えて、大事そうに撫でた。

「心は、見えないからね」

 まあそうだよな、なんて思いながら並んで煙草の煙を吐く。澄んで綺麗な冬の空気を、紫煙で汚す。

 人の心は目に見えない。心の状態も、ダメージも、傷の深さも。他人のも、自分のも、分からない。はるか昔に受けた傷が、癒えたかどうかなんてことも、目には見えない。手当をしようにも、形がないものだから処置のしようもない。

 きっと、同じことを考えているのだろう。いや、もしかしたら飛躍して全く違うことを考えているのかもしれない。彼の横顔を見ても、伺い知ることはできない。煙草が灰になって短くなっていくことと、お互いが吐く息が白いことだけ目に見えてわかった。

 彼の、今は見えない左耳には右の耳より多いピアスがぶら下がっていることを知っている。彼の耳介にニードルが突き刺さる場面を見たことはない。それでも、穴を開けてすぐは今の右耳と同じように毎回赤く腫れるのだ。痛くないわけがない。程度は違えど、体に穴を開けるのだから痛いに決まっている。体に傷がつけば血が出るし、痛い。

「こいつらは、違うけどね」

 どこか愛おしそうにピアスを指先で撫でて、彼はそう言ってほほ笑んだ。先ほどの尖った挑発するような笑みではない。柔らかく体温のあるほほえみだ。

「自分で傷を作って、治らないように塞がってしまわないようにしているのだから、心とは違うのだけどね。世話ねえな」

 自嘲気味に笑っているのを見ると、「もう消えてんじゃん」と言う彼の声が聴こえた。視線は指先に挟んでいた煙草。互いの煙草はフィルターの根元まで燃え尽きてしまっていて、鎮火してしまっている。そろって灰皿替わりの缶の中に吸い殻を放り込む。

「かっこいいこと言ったと思ったら、台無しだよ」

 自嘲する彼はもう一本煙草をくわえた。流れるように火をつけて、ポケットに煙草を入れて返す手でこちらに手を伸ばしてきた。俺の、耳に手を添えた。極上のいたずらを思いついたとばかりの笑顔を見せている。ああ、すごく楽しそうな顔をしている。

「お前も開けたくなったら教えてよ、ピアス」

「はあ?」

 ゆっくりと耳朶を撫でながら、どこかうっとりと歌うように誘う。

「なに、大事に優しく、貫通させてあげるから。アフターケアも俺が懇切丁寧にやってあげる」

 そこまで言って耳朶を指先で弾く。煩わしくなって頭を振って逃げるように室内に入った。くっそ、なんなのだ。この野郎。

「うるっせえな、ブスブスブスブスじゃらじゃらじゃらじゃらピアス開けやがって、とんでもなくぶっ飛んだマゾヒスト野郎にくれてやる耳はあいにく持ち合わせてねえんだよ馬鹿野郎っ!!」

 投げつけるように一息でそう言うと、彼はどこか嬉しそうに小さく笑って性懲りもなく「えー、なんでぇー」なんて馬鹿みたいに言っている。

「何でよ何でよ。拡張はしないにしても一番オーソドックスなのはロブだろうし、痛みも少ないしきっときれいに開けられるよ。でもきっとトラガスも映えるだろうし、ヘリックスだって目を惹くし、だったらいっそインダストリアルしちゃってもきっと」

 呪文を唱えるように嬉々として話し続けている。きっと先ほどのヤバイ脳内伝達物質がまだ分泌されているんだろう。その間俺は放ったまんまで、ため息をついた。

 彼の楽しそうな顔を見るのは悪くはないのだが、それが俺の耳と痛みと引き換えにした行為における妄想なのは少々いただけない。室内に戻って小さなキッチンへ移動する。ケトルに湯を沸かし始める。きっと彼は煙草一本吸ったら飛び込むように室内に帰ってくるはずだ。彼は器用に煙草を我慢することができる。半日くらいなら、簡単にやってのけることができる。それでもうちに来て我慢はしないものの、一人で煙草を吸わせると短時間で帰ってきてしまう。どこにどういう意味があるのかはわからないが、外の暑い寒いを理由に飛び込むように帰ってくるとこが多い。

 今日は寒いから、ココアにしよう。冷蔵庫に牛乳があったはずだ、確認してからケトルを止める。戸棚からココアの袋を取り出して小鍋に残っていた牛乳を移して火にかける。小さな泡だて器を引き出しから探す。本来ならカップも温めた方がいいだろうが、猫舌の彼が難儀してしまう。そろそろ彼が飛び込んでくるはずだ。普段の彼からは想像できないくらい、ぶっ飛んだ騒ぎ方をしながら。

 思い立って冷凍庫の扉を開ける。冷凍庫のドアポケットに小さな保冷剤を確認する。掌に収まるサイズの小さな保冷剤を手に取った。きっと寒い寒いと飛び込んでくるだろう彼だが、右耳はまだ腫れたまんまだろうからこれを押し当ててやろう。きっと、飛び上がってくれるだろうと小さく企んだ。

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君のピアス 明里 好奇 @kouki1328akesato

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