その5

入り口の戸を閉めようとするとタイミングよく女性が一人で入ってきた。


ボブヘアの丸眼鏡をかけた小柄な女性だ。鼻筋の通った整った顔立ちで、店に入ると控えめにちょこんと礼をした。


「いらっしゃいませ」と声を掛けると、「あの」と気まずそうにこちらを見た。

 なんとなく察するものがあって、手に持ったカメラを持ち上げた。


「これ取りに来たんですよね」


 女性はやっと表情を明るくして、もう一度礼をした。


「ありがとうございます。大切なものなので見つかって本当に良かったです」


 こちらにまで安心が伝わるようだった。

女性にカメラを渡すと彼女はぎゅっとそれを抱きしめた。


「実はさっき、カメラの持ち主だっていう男が来まして。事前に電話をもらっていたのですぐ嘘をついていると分かったんです。どうかこれからはお気をつけて」


 女性は不意に口をぎゅっと結んだ。

心配にさせるようなことをわざわざ言うべきではない、と言ってから反省した。


「それでは。私行きます」


 女性は最後に入り口の前でもう一度礼をすると外へ出て行った。

戸が閉まる直前、ふう、という女性が息を吐くのをまた聞いた。

余程、緊張しいなのだと可愛らしく思った。


 持ち主を騙るようなどうしようもない人がいたり、ランチで焼き鳥だけを食べるのが流行ったりと住みづらい街だと感じることはしばしばある。

地下で毎日焼き鳥を焼いているだけの生活でそう思うのだから、地上で暮らす人たちはもっと大変な目に遭うこともあるのだろう。

それでもこうやって落とし物ひとつ届けられただけで喜ばれることもある。

焼き鳥を美味いと言われて、毎日騒いでくれるお客さんがいる。


「ナマひとつ遅れてすいません」


 ずっと待たせてしまったはずの目の前の客は手を横に振って、赤く火照った顔でビールのジョッキを掲げた。


「戻りました。あいつ逃げ足早くて途中で撒かれましたよ」


 少し誇張気味にうなだれながら倉田が帰ってきた。

髪が変な方向に傾いでいた。


「もういいだろう。持ち主にちゃんとお渡しできたところだったから」

「本当ですか?」

「ああ。お前が好きそうな眼鏡美人だったよ」


 からかうつもりで言っただけなのに、倉田は顔を下にしたまま身体を震わせ出した。

そして客もいるのにしばらく笑い続けた。


「マスター。さすがに俺、男好きの趣味はないですよ」


 そう言っても尚笑い続ける倉田に純粋な恐怖を覚えた。いや、もはやこの恐怖は倉田からくるものではない。

もっと大きい自分に向けられたものだ、と深刻な顔になるほかなかった。


「どういうことだ。男好きって、そんなつもりで言ってない」


 噛み合わない会話と感情に倉田もようやく笑いを止めてこちらをちゃんと見た。

そしておもむろに口を開いた。


「だって、カメラを落としたって電話してきた人、男性だったじゃないですか」

「男性……」


 さっきカメラを渡した女性の姿を思い浮かべた。

あの人から確かに電話が来た。そしてカメラを落とした、という連絡があったから、だから渡した。

しかし、倉田は電話の相手は男性だと言う。どちらも夕方ごろに店を伺う、という話だった。

あのとき、適当に切り上げろと倉田に言った電話相手はさっきの女性ではなかった。


 入り口の戸が開けられた。

見覚えのある顔だった。


 昨夜、大変に泥酔をして倉田の腕に捕まって店を出て行った男性だ。

浮かべている申し訳なさそうな顔は昨夜の面影にはまるでなかった。


「昨日、すごい酔ってしまってカメラをこの店に忘れてしまったんですけど。それで昼に電話して取りに行くと連絡した者です」



 nikonのFM3Aはもうこの店にはなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

探しものはなんですか 須野 セツ @setsu_san3

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ