その4

一杯目のビールを喉に流し入れる。

十七時を時計が指したころ、入ってきた一人の客が倉田と執拗に会話をはじめた。


店内の喧騒のため、その内容は聞き取れなかったが「倉田!」と吠える前に倉田が私の方まで寄ってきた。


「どうした」

「落とし物の主が来たみたいなんであれ渡してきます」


 そう言うと倉田は背伸びをすることもなく、ひょいとカメラを持ち上げる。

興味を持っていると悟られるのが嫌だったから目の前の焼き鳥をじっと見ていた。

 しかしどうしても気持ちが抑えられずに入り口のほうを一瞥した。女性の姿をまだ見ていなかった。

 倉田が話していたのは女性ではなかった。


小汚い格好で、うちに来るのんべえの一人にいそうな中年の男性だ。

もしかしたら昨日、店に来ていたのかもしれない。しかしおおよそあの高価なカメラとは似つかわしくない。

 倉田はなぜかその人物に大事なカメラを渡そうとしていた。

真摯な表情で男性は礼を言っているようだったが、どうにも違和感しかなかった。


 目の前の客に「ナマひとつ」と声をかけられたが、そんなのは気にしていられなかった。


持ち場を離れて倉田と男性の元まで駆け寄った。そして倉田の手を離れそうなnikonのFM3Aを奪い取った。


「なんですか」


 倉田は目を見開いて私への疑問を訴えた。

私自身、次の言葉をどう繋いでいくかはっきりとしていなかった。


「あなたは本当にこれの持ち主ですか」


 嘘には騙されまい、とほとんど睨んでいるような顔で男の目を覗く。

倉田が話そうとするのを手で制した。


「そうですよ」

「失礼ですが、この中のものが何かお答えいただけますか」


 男の表情が少し固くなったのが分かったがそこについては触れなかった。


「カメラですよ」

「機種は?」

「機種って、私、よく分からずに使っているものですから」


 男の目は明らかに泳いでいる。

倉田とのやり取りを止めて正解だと確信した。


この男性はカメラの持ち主を騙った偽物だ。

恐らく昨日、店にいてカメラを忘れていってるところを目撃したのだろう。そしてその場から持ち出すのは難しいと考えて、翌日にカメラの持ち主に成りすますことを思いついたのだ。

許される行為だとは決して思わないが、そうさせる魅力がこのカメラにあるのも確かだった。

売ればやはり五、六万円の金になる。

このまま食い下がられてはこちらの営業に支障をきたす。とどめの意味も込めて力強く言った。


「電話してきたのは女の人でしたが」


 男の顔がみるみる息苦しそうに歪んでいった。さっきまで前のめりだった身体がすっと後ろに引いた。

唇を震わせ、ひとつ舌打ちをすると店の入り口を乱暴に出て行った。

 倉田に素早く呼びかけた。


「今の人、追いかけて警察までちゃんと行くように言ってきてくれ。すぐにだ」


 はい、と元気よく言うと長身がぐっと縮んだ。

こういうときに若くて元気のあるやつは頼りになる。

 走り出す直前に倉田が振り向いた。


「俺はそういう嘘は良いと思いますよ。女って言ったあとのあいつの顔、とても面白かったですし」


 私にはよく分からなかったが倉田を送り出す意味で大きく頷いておいた。

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