未来の日本

山村 草

珍妙な世界

 此処が東京で或るとは、甚だ信じられずに居る。文明開化より瞬く間に姿を変えた江戸の町に反面情緒と言ふ物を何処かに置き忘れてきたように思つていたのだが斯くも変わり果てた姿を目の当たりにすればそれでも情緒と謂ふ物が溢れてをつたのだと気付かされるのである。

 兎角閉口するのは自動車の奇妙滑稽な形とその量と速さと乗り心地の良さである。なるほど、私の居た時代から二度の大戦を経て、そこから復興し斯くの如き発展を遂げるに至らしめた科学技術と謂ふ物が如何に尋常ならざる物であつたかを如実に現して居るではないか。しかも此の自動車に因つて斯の大国たる米国との仲に貿易の不均衡を生じさせ因縁を付けられていると言ふではないか。まるで途方も無い国に仕上がつた物である。其れにしても斯様な自動車が実に秩序だつて動いて居るのは全く珍妙な光景である。目の前数尺を自動車が早馬の如く走つているのである。まるで自動車競争でもしているかの速さであるのに歩いて居る人に当たらなひ様を見て居ると其の操縦人は余程長い間厳しひ訓練を受けたのでは或るまいかと推察する次第である。また此の道にもたいへん驚かされた。アスフアルトと謂ふ物が或るとは識つては居たが見れば道と謂ふ道に均等に敷き詰められて居る。聞けばこれは何も首都東京為らではの事ではないらしく人口数十人の寒村にまで同様に敷き詰められ日本全国繋がつて居ると謂ふではないか。元来日本人と謂ふ物は世間体ばかりを気に留める如何様にもならぬ存在だと思つて居たのだが余程神経質な性分に仕上がつた様である。

 其の様な神経質となつた日本人が作つた街を同行者と歩く。其れにしても蒸す。同行者に拠れば此のアスフアルトで出来たる道が熱気を捉えて放そうとせず斯くの如き暑さを生じせさしめて居るらしい。此の暑さには当代を生きる人々にとつても頭痛の種であるらしく時をり道路に水を撒いている光景に出会つたが土で出来た道なら兎も角熱せられたアスフアルトの前には焼け石に水と謂ふ具合であつた。それでも屋内にはくうらあと呼ばれる物が有り何処か店に入れば暑さを凌ぐ事が出来るのだと謂ふ。其れ迄は我慢すべしとの同行者の言を信じ歩いた先で入つたパーラーにて私は科学力と謂ふ物が如何に恐ろしい存在で或るかをその身を以て識るのである。

 そこは秋であつた。東京は暑い処で或るのにも関わらず四方を壁で囲われただけの部屋が何故涼しく或るのかは私には想像付かぬ事で或る。これはくうらあと謂ふ物に因るのだと同行者は謂ふ。それにしても室内で或ると謂ふのに何故斯くの如き明るさを保つて居るのはどう謂ふわけであろうか。室内で昼間から瓦斯燈を灯して居るとしたら此の様に涼しくはなら無いであろう。

「何食べますか?」

 同行者は私の空腹の為に此の店に連れて来たのである。めにうと謂ふ物を見せられたが其の奇妙な字は私には読めなかつた。

「任せよう」

「ふむ…。いっぱい食べますよね?」

「あゝ」

「なら私と同じで良いですよね?すみませ~ん」

 同行者は給仕を大声で呼ぶと何やら早口で告げてその給仕は戻つて行つた。

「ここに来てから何も食べてないんですよね?」

「あゝ、だが此の程度の空腹なら慣れている」

「あ~、江戸時代ってそうですよね。数年じゃそんなに変わんないですもんねぇ。まぁ、この時代を味わって下さいな」

 此の同行者は私が此の時代の人間では無ひと識つて猶斯様に常人と接するが如き有様である。此方を誑かす意図は無いとは解るが寧ろ誑かされる側では無いかと心配になる。尤も今心配すべきは何故か分からないが時を超越し異なる時代に紛れ込んでしまつた自らの身の上である。

「お待たせしました。本日のオススメ定食、特盛です」

「はーい。どもー」

 目の前に置かれた角状の盆には皿と椀が幾つも乗つている。

「之は何だ?」

「何って本日のオススメ定食。って、あー、じゃあ順番に説明しますね。まず手前のはご飯」

「其れ位は解る」

「で、左のがお味噌汁」

 漆塗りの椀の蓋を開けると確かに味噌汁で或る様だつた。

「その前の小皿がデザートの杏仁豆腐とその隣の小鉢がお漬物」

 時を経て漬物は漬物で或るらしかつた。胡瓜と其の隣りに或る薄く切られた黄色ひ物は沢庵漬けで或ろう。

「此の大きな皿の物は何だ?」

「カツ丼と海老フライと、あとこれはカキフライ…じゃないクリームコロッケみたいね。コーンは入ってないけどカニかな?」

「ふらひとは何だ?」

「フライはフライよ。油で揚げたの」

「天麩羅か?」

「まぁ似たような物ね。とにかく食べようよ。頂きます!」

「あゝ、其れでは馳走になる」

 私は初めから気になつて仕方の無かつたふらひと謂ふ物に箸を伸ばした。

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未来の日本 山村 草 @SouYamamura

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