エピローグ

エピローグ

 不意に溢れた音と色に、二人で周囲を見回してしまう。


「ここ、は……」


 歩道にはたくさんの人が歩いていた。脇の大通りには絶え間なく自動車が走っていた。どこかで自転車のベルが鳴らされる。歩行者用信号機の鳴らす音が聞こえる。

 空を見上げれば、青い空が広がっていた。白い雲が流れ、黄色い太陽が真上から僕らを照らしている。見上げた先では鳥が横切り、飛行機が雲の尾を引いて飛んでいく。


「帰ってきた……」


 紗英と顔を見合わせる。


「……帰ってきた」


 確かめるように、呟いた。

 歩道の真ん中で立ち止まった僕らを、いろんな人が避けていく。壮年のサラリーマン。少し肥えた主婦。冴えない学生。おじいちゃんやおばあちゃんもいた。走ってきた小学生は、僕らにぶつかる寸前で引き返していった。


「おいこら、少年少女」


 不意に、後ろから声を掛けられた。僕と紗英が、揃って振り返る。


「沢木さん……」


 そこにいたのは、無表情で佇む一人の男だった。空から降ってきた死体を目撃したとき、僕に事情聴取をした、人の良い刑事。


「学校サボって、こんなとこでなにしてる」

「……サボり」


 その言葉に、少しだけ違和感を覚えた。


「今朝から姿が見えないと言って、ちょっとした騒ぎになってるぞ」

「今朝っ」


 おかしい。僕らは何日もあちら側で過ごしたのだ。それが、たった数時間?


「今、何時ですか」


 僕の言葉に眉をひそめながら、沢木さんは腕時計を確認する。


「ちょうど12時だ」


 あの日、あちら側に行ったあの日。僕らは8時過ぎに家を出た。そして、今はその4時間後ということだ。僕らがあちら側で過ごした数日間が、こちら側ではたったの4時間だったのか。

 その事実が、どうしてか悲しかった。


『気にすることはない。時間など、捉え方次第でどうとでもなるのだ』


 ふと、そんな声が聞こえた気がして振り返った。

 しかし、そこには見知らぬたくさんの人が歩いているだけだった。聞こえたと思った声の主の姿は、どこにも見当たらない。

 それを確かめて、僕は実感した。帰ってきたのだと。紗英と一緒に、あちら側から、帰ってきたのだ。


 そして、ひとつの事実を突き付けられる。もう二度と、麻倉さんや健吾と僕らの道が交わることはないのだ。本来交わることがない世界だ。だから、今後、そのふたつが繋がることは決してない。

 それが、とても寂しかった。


『大丈夫、お前ならできるさ』


 再び、そんな言葉が聞こえた気がした。その言葉に、背中を押される。

 二人が言ってくれたんだ。それなら、僕は信じて歩いていける。これから歩いていく僕の道に、二人はいない。でも、振り返ればいつでもそこにいる。そこにいて、僕の背中を見守ってくれている。そんな気がした。


「ほら、行くぞ。これからこってり説教だ」


 沢木さんが振り返った僕らを呼んだ。

 一度紗英に目を向けて、そっと頷き合う。そうして、僕らは沢木さんのあとについていった。




「いいんだ。間に合いはしなかったが、想いは伝わった。私はそう思っている」


 弘也が消えたあと、蹲る僕に麻倉さんはそう声を掛けた。


「最後まで一人でいようとしたのは、あいつなりの意地だったのかもしれないな。強く、たとえ一人でも強くあろう、と」


 そう言う麻倉さんの声には、しっかりと芯が通っていた。


「あいつが感じていた孤独を取り除いてやりたい。そうして私がそばにいたのは、私のエゴだったのかもしれないな。だから、あいつがあいつなりに生きたのなら、私はそれで構わない」


 しかし、そこで麻倉さんの語気が弱まる。


「だが、もう私が誰かに寄り添うことはないだろうな。どうしても、私は自らの想いを押し付けてしまうようだ。だから、あいつの想いにも気付くことができなかった。これでは、あの男に合わせる顔がない」


 最後は自嘲気味に告げられる。

 そんな麻倉さんに、健吾が軽い調子で言った。


「それじゃあ俺が困るんだよ。俺はまだ、この世界のこともほとんど知らねぇし」


 そうして僕を起こしながら、続ける。


「誰かになにか教えるの、那緒の性に合ってんじゃねぇのか? 少なくとも、俺や光樹はそう思ってるぜ」


 なぁと言って、僕の顔を覗き込んでくる。その抜けた表情に、笑ってしまった。


「なに笑ってんだよ」


 軽く小突かれる。でも、そんな気安いやり取りが心地良かった。

 麻倉さんの言葉で、僕の心は少しだけ晴れていた。弘也は、弘也なりに懸命に生きたのだ。それが最後の笑みだとしたなら、僕らはそれを尊重しなくちゃならない。弘也の生き方を、僕らの想いで否定しちゃいけない。だから、前を向いた。麻倉さんと目を合わせる。


「きっと、また弘也みたいな奴が来るよ。心を擦り減らした奴が。そしたらさ、また手を差し伸べてあげればいいんじゃないかな。今度はきっと、伝わるよ」


 言うと、くせぇよと、また健吾に小突かれた。


「そうか……」


 それだけを呟いて、麻倉さんが顔を伏せる。しばらくして、一度だけ、鼻を啜る音が聞こえた。しかし、その顔はすぐに上げられる。


「うん。それならば、私に任せておけ」


 そうして、晴れやかな表情で麻倉さんが胸を叩いた。




 沢木さんには、そのまま学校へ連れて行かれた。そして、担任から思いっきり叱られた。ついでに、その場で見ていた沢木さんにも。その説教は一時間にもおよび、最後に反省文を書いてくるように言い渡されて、ようやく開放された。

 それからは通常の授業に復帰したが、二人揃ってサボったことはすでに周知の事実となっていた。おかげで、教室でも僕らを的に質問が投げ続けられた。女子は紗英へ、男子は僕へ。普段会話などしたことがないのに、ここぞとばかりに詳細をせびられた。


 そんな慌しい一日を終えて帰宅すると、鞄をベッドに放り投げて、テレビを付けた。その一連の動作で、僕が日常に復帰したことを再び実感する。

 そうしてテレビを眺めていると、ニュース番組で葬儀の様子が映された。左上の隅には『行方不明だった少年を発見』というテロップが書かれている。

 そして、遺影を胸に抱えて、涙を流す男女の映像に切り替わった。その遺影と号泣する男女を見て、僕はそっと息を吐く。

 居場所がないわけじゃ、なかったんだ。ただ、心を閉じていただけで。


「よかったな」


 遺影に写ったその表情を見て、僕は心からそう思った。

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モノクロの世界 相葉 綴 @tsuduru_a

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