第2話
二日後。T大学中央図書館。
「まずは〈呪いのプレゼント〉という都市伝説の正体についてお話しましょう」
久坂から連絡をもらった私は、ここで彼の報告を受けることになった。
「大学がT市に移転する前、この一帯は
彼はそう言って「真賀異聞録」という古めかしい文献を取り出した。そこには真賀村の伝承や風俗が記録されているという。
「収穫した農産物の一部を供物として神に捧げる。こうした神々との一種の物々交換、等価交換の風習は古来から世界各地に存在していました。代表的なところだと"
私には難解な話だったが、とりあえず適度に相槌を打っておく。
「その神と人との等価交換システムを基に、やがて真賀村にある呪術が生まれる。それは神と人との間ではなく、人と人との間で成立するものだった。贈り物を受け取った側は一定の期間内に等価の何かを贈り返さなければならない、反故にすれば災いが降りかかる、というものです。災いは当人ではなく、その家族に、そして周囲の親しい人間へと徐々に拡大していき、当人が贈り返すまで不幸の連鎖は決して止まらない。それでも贈り返さないと最後には死が待っている。村人はこの呪術を〈
久坂はそれこそが〈呪いのプレゼント〉の原型だという。
「そもそも贈り物を与えたり受け取ったりする行為は、それ自体が両者の間に社会関係を築かせ、そこに義務的な性格が発生する。文化人類学ではこれを〈互酬性〉と言います。〈魂贈り〉はそこに呪術による強制性をも加味させる。結果、互酬性の均衡を意図的に操作することで一種の権力闘争となり得る。いわば呪術的パワーゲーム。当然これは財力のある者が圧倒的に有利なシステムです。等価のものを贈り返せない者は代わりに絶対的服従を強いられる。そうやって村人の間で人間関係、上下関係が形成されていった」
彼は地域の歴史が載った文献を取り出し、年表の1950年あたりを指差す。
「ところが、村は50年代に入って突然姿を消した。これは僕の推測ですが、真賀村は近代化とともに衰退していき、神々との等価交換を続けていくことが経済的に難しくなったのではないか。村が姿を消した原因は、皮肉なことに呪いがもたらした災いだったのかもしれない」
そして文献に書かれた、ある苗字を指差し、
「村の家系を調べたところ、意外なことが分かりました。登坂という女性、実は真賀村の家系出身だったのです」
「真賀村の――。ということは、私にプレゼントを贈ったのは彼女ですか?」
「可能性はあります」
「では、彼女は今どこに?」
「分かりません。今となっては彼女の居所を突き止めても意味がないのです」
「意味がない?それはどういう――」
「もう呪いを止められないということです」
久坂は続けて、「あなたは僕にまだ話していないことがありますよね」と聞いたが、私は何も答えなかった。
「この呪いは本来、半強制的に人間関係を築くためのもの。延いては村人を村に縛り付けて人口流出を防ぐためのもの。近代まで廃れずに残っていたのは、過疎化を引き留めるための苦肉の策として使われていたからです」
しばしの間を置いて、
「でも、今回あなたに届いた〈呪いのプレゼント〉は本来の目的から著しく逸脱している。あなたと人間関係を結ぶためでも贈り物の交換をしたいわけでもない。むしろその逆。つまり、贈り主は最初からあなたを呪うためにプレゼントを贈った可能性が高い。中身不明の贈り返せないプレゼント。これは相手を呪うためだけに改良――いや、改悪された、呪いの詰まったプレゼントなのですよ」
一旦言葉を切って、反応を窺うように私と目を合わせた。
「そこで僕が出した結論はこうです。あなたは呪いをただ一方的に贈られたのではなく、呪いを贈り返されていたのですね。最初に〈呪いのプレゼント〉を贈ったのは、あなたの方だった。違いますか」
何も答えない私に構わず、彼は話し続ける。
「真賀村の家系を調べていたら、登坂家の他にも聞き覚えのある苗字を見つけたんですよ。紀藤さん、あなたの家系も真賀村だったのですね」
かつて紀藤家は村の神事を司る、村で最も権力のある家だった。もちろん〈魂贈り〉を利用して得た力だ。
彼が遅かれ早かれそれに気付くことは想定していた。それでも背に腹は変えられない。死を回避するためなら何だってやるさ。
すると、久坂はおもむろに一枚のレントゲン写真を私に差し出した。そこに映り込んでいた白い影。それは――
心臓。
ああ、そんな――。
「これが登坂真紀子本人のものなのか、あるいは彼女が誰かを殺して心臓を贈ったのかは分かりません。私見ですが、僕は前者だと考えています。彼女は自ら命を絶ち、彼女の家族が彼女に代わってその心臓をあなたに贈った。彼女を追い詰めたあなたへの復讐として」
復讐――。
「あなたは僕に嘘をついた。相手に異常な執着を見せていたのは彼女ではなくあなたの方だった。あなたは実家に代々伝わる呪術を悪用し、彼女との関係を強要していたのではないですか。彼女に贈り物をし続ける限り、彼女はあなたとの繋がりを絶てない。姿をくらませても実家に届いてしまうため逃げ場もない。そうしてあなたは家の財力にものを言わせて、彼女との間に絶対的な主従関係を築いたのでしょう。自分に逆らえばとても贈り返せないような高価な贈り物をするぞと脅したのかもしれない。それに絶望した彼女はついに自ら命を絶った。あなたを道連れにする形でね」
プレゼントの贈り主が彼女だということは分かっていた。彼女も〈魂贈り〉のことを知っていたから。どこかに身を潜めているのかと思っていたが、まさかこんな――。
「今ごろ贈り主は雲隠れしているだろうし、そもそもすでにこの世にいない可能性だってある。見つけたところで等価のものを贈り返すには、あなたは殺人を犯さなくてはならない。いずれにしろ、あなたにはもうどうすることも出来ないのです」
「では、私はもう死ぬのを待つ他になす術がないということですか」
私は力なく聞いた。久坂は小さく頷き、
「贈り物の中身も贈り主の正体も突き止めました。これで僕の役目は終わりです。力になりたいのは山々ですが、残念ながら僕にはこれ以上どうすることも出来ません」
そして彼は言った。この手の呪術を使う者には耳慣れた、お馴染みの言葉だ。
「人を呪わば穴二つ」
ああ、こんなはずでは――。
最初は純粋な好意で彼女にプレゼントを贈っていた。それがいつしか見返りを求めるようになって、ついには贈り物に呪いを籠めるようになってしまった。
彼女が嫌がっていたことは知っていた。私に好意がないことも。それでも彼女を縛りつけるために呪いを贈り続けた。
私はこんな形で彼女の心を掴みたかったわけじゃないのに――。
帰り際、「忘れ物ですよ」と久坂に箱を手渡された。彼女の心臓が入った箱を。私はそれを胸に掻き抱いてその場を後にした。
一週間後。
兄は三日前に病院で息を引き取り、父も昨日亡くなった。母は危篤状態だがもう長くはないだろう。親しい友人の多くも死んだか意識不明の重体。
まるで台風の目の中にいるような気分だ。暴風の壁に囲まれ、周りの全てが破壊し尽くされるのを黙って見ていることしか出来ない。
だから今朝、ダイニングテーブルの上にあの黒い箱――押入れの奥にしまったはずの――を見た時、ようやく解放されると内心ほっとしたものだ。
ついに呪いの清算をする時が来た。代償は私の命――。
ゆっくり箱に歩み寄ると、その様子が以前とは違っていることに気付く。上の面に握りこぶし大の丸い穴が空いていたのだ。穴の周りに出来たギザギザが箱の外側に向いている。それはつまり、中から空けられた穴だということ。
おそるおそる中を覗き込む。何もない。心臓も――
瞬時に悟った。
箱に入っていた何かが、外に出たのだと。
背後に何かの気配――。抵抗しても意味がないことを知っている私は、そっと目を閉じた。
縦横無尽に襲いくる力に身を委ねる。全身に走る激痛。薄れゆく意識の中で聞こえてきたのは、バキバキ、ゴキゴキと骨の砕ける音――。
次に目を覚ました時、私は暗くて狭い場所にいた。身動きが取れず声も出せない。
頭上にぽっかりと空いた穴から光が降り注いでいる。途切れかける意識の中で最後に見たものは、その丸い穴からこちらを覗き込む――
ぐにゃりと嬉しそうに歪んだ、登坂真紀子の顔だった。
呪いのプレゼント 東方雅人 @moviegentleman
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