雨が好きだ。今日はなんにもしたくない

城野亜須香

雨が好きだ

 休日、ひとり家に閉じこもっているときに雨が降り出すと、ほっとしてしまう。本当なら、新しく公開した映画でも見に行きたいのだけれど、そう思っているだけで、いざ本当に劇場へと足を運ぶのは、振り返ると年末年始の余暇だけだったりする。


 雨が降って来たなら、すべて仕方がないのだ。雨が降ると、寒いし、滑って転ぶと危ない。実家にいたころには同居の祖父母が農業に従事していたこともきっと関係あるのだろう。雨が降れば、みんなお休み。それが今以てわたしの世界の常識なのだ。


 出先のコンビニエンスストアでビニール傘を買った。600円もした。ちょっと高い。それもそのはずで、その傘はわたしが予想していたよりも随分と幅の広い、おそらくは大柄な男性向けの傘だったのだろう。その時わたしは、失敗したと落胆するよりも、思いがけず手に入れたオーバースペックなその傘に、どういうわけか少しだけ心躍ったのだった。まるで魔法の杖でも拾ったかのように、この傘があれば、もうこれから先雨に濡れることなんてないんだと、ちょっと気持ちが大きくなったりして。


 雨宿りをしながらメンソールの煙草に火をつける。腐食して大きく穴の開いた雨樋から滴り落ちる、ジャバジャバという耳障りな音がする。その一方で、どこかの水瓶や、水のたくさん溜まった容器に落ちる水の音は、チャパチャパとか、カポカポとか、空気をふんだんに含んだような不思議な音を立てる。わたしは昔、この音を日常的に、定期的に、飽きるほど聞いていた様なのだけれど、その正体がいつになっても思い出せない。たぶん、学生時代の、ちょっとだけ意地悪な(粗暴な)友人が、(私の嫌いな独特の音を立てて)煙草をくわえていた時だったらしいと、頭の中に浮かぶモンタージュを眺めてそう推理する。ただ不思議なのは、わたしはそのチャパチャパとした音が、決して不快ではないということだ。どうしてか、とても懐かしい気分になる。当のその友人についてなど、何の感傷も湧きはしないのだけれど。


 幼い頃、いつも祖母がわたしにハンカチを持たせてくれた。鼻の頭に汗をかいて、それを素手で拭き取るものだから、すぐに赤くなってしまっていたのだ。出掛ける時には玄関先で、着る服が予め決まっていたなら、その服のポケットにはいつもハンカチが入っていた。


 雨の日に傘をさして歩く。少々の雨くらいなら傘なんて却って煩わしいから、そのまま濡れながら行ってしまうこともあるけれど、もし余裕があるときは――あるいは、心に余裕が無い時には――ひと手間こしらえて、わざわざ傘をさして歩いてみると、まるでそんな幼子の時のような温かさを感じられたりする。


 雨が好きだ。屋根の下にいるだけで、わたしは確かに守られている。雨粒に濡らされるだけで、戦っているような気分になれる。雨はいい。




*よければご意見くださいね。お待ちしています☆城野亜須香

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