12☓☓年 花御の心

その時期、鎌倉幕府は荒れていた。


時を僅かに遡る1272年、3月。蒙古もうこより大宰府に訪れた第六次使節団。彼等は国書も所持せず、ただ日本が服属するかどうかを問い詰めるのみだったと言う。

否やを突き付け追い返した使者がとんぼ返りで元へと戻り戦の準備を進めているとの噂が届き、いよいよ緊張は高まった。

鎌倉幕府が大宰府に兵を集め湾岸警備を強化し、物資の接収を行ったのも全てはこれが理由であった。各地から守護すべき土地を失った無足の御家人までもが集められ、着々と戦の準備は進められていた。


太宰府では日夜、北九州の守護少弐氏の元、防衛作戦が協議された。

本当に元が攻めてくるのであれば、上陸先は最初に対馬、次に壱岐。そこは長らく異国との連絡の要衝であり、まず確実との見込みがあった。

その為、この時採択されていた防衛計画は、騎馬隊が動きにくい赤坂(太宰府の北)まで引きこんでの逆襲策。すなわち、対馬を見殺しにして敵を引き込み鏖殺する作戦であった。

彼等にとって、対馬はカナリアであったのだ。そしてそれは、壱岐もまた同様であった。

年も半ば、防衛体制はほぼ完成し、少しずつ世間がきな臭くなっていく。少しずつ大戦の気配が近づいてきていた。



壱岐でもまた、守護の平景隆が部下達と共に会議を行っていた。以前幕府より達しのあった本領内の正確な御家人の数の提出令に加え、凛歌りんかから伝え聞いた貿易品の接収、九州に続々と集まる無足の御家人たち。それらが指し示す大戦の気配にどう対応するか、それがこの日の議題であった。

「やはり、蒙古もうこの軍が攻めてくるのろうか......」

「隷属を請う使者も既に追い返した後だ、それは避けられまい。やつばらは数万から数十万の軍という、とても我等百騎ばかりで対応できる数ではない」

「うむう......、海を隔てたこの島に、援軍もとても期待はできぬな」

議場には終始暗雲が立ち込めていた。彼我の圧倒的な戦力差。海を隔てた向こうから数万の軍が攻めてくる。どうしようもないその事実を前に、作戦らしい作戦も立てられずに居た。

「せめて」

奥の席で鎮座していた男が口を開く。彼こそが壱岐の守護平景隆であった。

「せめて勇敢に闘い、父祖に恥じぬ戦働きをしようではないか。我らの献身が一人でも多くの民を救うと信じて。

そして最後はこの城で、皆で果てようではないか。そなた等は皆わしの家族だ。わしはどうしようもなく死ぬるなら、せめて皆と共が良いと思う」

反対の声はなかった。もはや誰もが、己の運命を静かに受け入れていた。

「それがしはそれで良い。もう長いこと生きた。土地を失い畜生に身をやつす位ならば、忠に生きて死ぬるべきだと思っている。しかし殿よ。姫御前ひめごじょうはどうなさる? あの子は死ぬにはまだ若かろう。それに何より、我等を知るものが誰一人居らなくなるようでは死に甲斐も無いと言うものだ」

老いた武士が口を開き、守護の脇に控える凛歌の安否を問うた。しかし。

「お心遣い感謝いたします。なれども私は壱岐守護の娘の凛歌。私の身体は壱岐と一身なれば、どうして土地を捨てる事が出来ましょう。私だけおめおめと生き延びては、幕府にも民にも申し開きが立ちませぬ。......私も、皆と共にこの地に身を埋める覚悟でございます」

凛歌もまた、齢九つにして既に覚悟を済ませていた。それを聞き、皆がしんと静まる。誰一人、彼女の覚悟に口を挟む者はいなかった。静寂の中、静かに凛歌が口を開く。

「良いのです。私は以前二人の若者を救いました。だからもう良いのです。私を、あなた方を知るものが他にいる。それだけで私は十分です」

凛歌の顔に、今にも崩れ落ちそうな笑顔がのぞく。

城の外からは、壱岐の民達の朗らかな笑い声が響いていた。






元が攻めてくる。壱岐が滅びようとしている。

僕がその事を知ったのは実に意外な所からだった。


今、僕の目の前に広がる光景。

そこはただすら荒涼とした河原であった。

見渡す限り何もない河原に一本の川が流れており、その対岸もまた荒涼とした河原が広がっている。おなじみの光景。


──ああ、また夢を見ているのか。


僕はすっくと立ち上がり、夢の中の河原を歩く。川に沿ってゆっくりと進む。歩きながらキョロキョロと周囲を見回すが、相変わらず何もない夢だ、いつものお邪魔虫が出て来る気配も今日はなかった。

【時計うさぎ】。それは僕の夢の中に住み着いている神域の化け物。忘れもしない2回目の人生、それが彼女との初めての出会いだった。

それ以来、彼女は僕の夢に必ずと行っていいほど現れた。しかし、今日の夢にはどこを探しても彼女は居ない。珍しい事もあるものだと散歩をしながら考える。


ふと、川に鈍く光る光の玉が流れていくのに気付いた。

「ああ、今日もまた誰かが非業の死を遂げたのか」

救済をなくした魂が、その輝きを曇らせ川を流れて行くこの光景は、僕の目にはとても寂しく悲しく映る。その光の玉に向けて僕は両手を合わせ祈りを捧げる。こんな事が少しでも救いになればと願いを込めて。

目をじっと閉じて、深く祈る。そしてゆっくりと目を開ける。僕は、そこに広がる光景に衝撃を受けた。


さっきまであったはずの川が見当たらない、目の前は全て、黒く濁った光で埋め尽くされている。

川を埋め尽くす程の膨大な数の魂が流れている。それだけの命が今日、無情に奪われたのだ。

「馬鹿な、何だこれは! 一体どうして!」

驚きのあまり口から飛び出たその声は、荒涼とした空間に虚しく響く。やがて河原は元の静寂を取り戻し、また魂達は静かに川を流れていく。その筈だった。


「なんでって、分かるでしょ? 今世界で何が起こってるのか、まさか知らない筈ないよね?」


僕の声に、反応した奴がいる。時計うさぎじゃない、誰だ?

......いや、誰だなんて、そんなことは分かりきっている。僕は彼女の存在を夢の中にずっと感じていた。そして何よりその声には覚えがあった。

「17年ぶりだね輪廻。前回君にもがれた腕は痛かったよ?」

転生。夢の中、川の対岸に彼女が居た。薄汚れた民族風の衣装。衣服には返り血と思しき多くの黒い汚れがついている。


やはりこの夢は彼女と繋がっていたのか。僕達は今、同じ夢を見ている。

「久しぶり転生。こんな形で再開するとは思わなかったな」

「そうだね。私も」

川を挟み二人向き合う。荒涼とした空間に二人だけが立っている。転生の口元がニヤニヤと歪んでいる。

「君は今どこに居るんだ?」

「ふふふ、教えない。でも多分近いうちに会えるとは思うよ、いま確実に時代の節目が来てるから。海を超えて会いに行く、それまで待ってて欲しいな?」

転生はそう言うといたずらっぽく笑った。海の向こう、そこで転生は生きている。恐らくは大きな戦の中心で。

「この魂達は君の仕業なのか?」

「そうだね、私達がやった。でも仕方無いよね? 戦争なんだから。こういうの、私達だってされたんだから」

僕の責めるような物言いに、転生は悪びれる様子もなくコロコロと笑いながら答える。

「随分とご機嫌だね」

僅かばかりの嘲りを込めて僕はそっけなく言い放つ。しかし彼女は全く意に解さずに笑い続ける。


「あはは、勿論ご機嫌だよ。だってもうすぐ輪廻を殺せるんだもの。ああ楽しみだなぁ、その身体に剣を突き立てる瞬間が。私はそれをずっと夢見てるんだ。恋するように、夢の中でも夢見てる。

輪廻はどこにいるのかな? 私の国ではないようだから、倭国かな? 対馬? 筑前? それとももっと遠い何処か? まぁ何処でもいいかな。間にある全てを蹂躙して探しに行く。それだけの力が今の私達にはあるんだから」


世界を蹂躙しうる、海の先の国。僕には心当たりがあった。

それは非常に危険な心当たり。

「転生、君はまさか!」

もしも、もしもそうだとするなら、それは僕にとってきっと重大な意味を持つ。

あの国が海を超えてこの国を襲う時、その狭間には何がある?

「ふふ、少し話しすぎたかな? 後は再会した時のお楽しみにしようかな。またね輪廻。次に会うのを楽しみにしてるから」

そう言うと転生は背中を向けて、川の向こうに去っていく。それに応じるように世界が少しづつ白んでいき、僕もまた後ろに引っ張られるようにして川から遠く離されて行く。

グングンと遠く離れていく彼女に向けて、大声で叫んだ。

「待て、転生! 僕を襲うのはいい! だが無関係な人間に手を出すのはやめろ! いやそうでなくとも、僕の仲間に! 壱岐には手を出すな!! 転生ーーッ!!」






僕はうなされる様にして目を覚ました。いつの間にか、深い森の奥、ポッカリと開いた空間に僕はいた。全身に冷や汗が走っている。

僕はゆっくりと体を起こし、夢の内容を反芻して両手にぎゅっと力を込める。

転生は今、恐らくは元げんにいる。世界を蹂躙して回る、お隣の大帝国。その彼等が今、倭国を目指して攻め込もうとしている。新しく出来た僕の大切な人達、昔からの僕の大切な人、彼らの幸せが今崩れ去ろうとしている。

両手に籠もる力が強くなる。僕は一体、どうしたら。


「お前さん、随分とうなされていたねぇ。俺の古い隠れ家に転がり込んで、一体全体どうしたい?」

その声に驚き、バッと振り返る。そこには花御が同じく驚いた顔で立っていた。元より気配の読みにくい女性ではあるが、この距離で気付かないなんて僕も大概どうかしている。

「おお、驚いた。何をそんなに焦っているんだか。お前さんにしては大分落ち着きが足りてないね」

そう言うと花御は近くの木陰の切り株に腰掛けて、僕を見つめる。彼女は僕に何事かを問いかけているようだった。


そう言えば僕は、彼女の事を何も知らない。

彼女がどういう人で、どんなことが好きで、何が得意なのかすら。何一つ。

「花御」

「うん、どうした?」

僕は彼女の正面に立って声をかける。しかし、何を言えば良いのかが分からない。でも何か言わなければならない、そんな気がしている。

纏まらない頭をそのままに僕は思うままに口を開いた。

「......元が、攻めてくるんだ。夢でそれを見たんだ。恐らくは対馬から壱岐、そして肥前へ。教えてくれ、僕は一体どうすれば良い?」

花御は僕の話を聞くと、驚く素振りもなくゆっくりと目を閉じて空を仰いだ。

「ああ、そうなのかい。なるほどね。......それで、お前さんはどうしたいんだい? すべてを置いて皆で逃げるかね?」

会話の中で、僕の頭の中の霧が少しづつ晴れていくのを感じる。

「いや、僕には救わなければならない人がいる。だから戦わなければいけないんだ。でもその為にどうすれば良いのか、それが分からない。元は強大で強く、また鎌倉武士も獰猛にして強靭だ。かつて百騎ばかりの兵団に破れた僕に一体何ができる?」

そうだ。本当に元が攻めてくるのだとすれば、確実に壱岐が襲われる。


僕が誰よりも幸福を願う壱岐守護の娘の凛歌。

かつて僕を育ててくれたりんか婆ちゃん。彼女は今、鎌倉武士団と元の間で逃れられない戦いの渦に巻き込まれようとしている。


「その人は凛歌だね? お前さんと雛弦を救った壱岐守護の娘。なるほど彼女は死ぬだろう、このまま放っておいたのならば間違いなく」

その言葉を聞き、僕の胸がズキンと痛む。胸元を抑え、ぐっと握りしめて花御に食いかかる。

「だめだ、それだけは! 彼女は幸せにならなければいけない。かつての僕には出来なかった事だが、今の僕になら出来る事があるはずなんだ!」

僕の叫びを花御はくっくと笑って流し、僕の目を真っ直ぐに見つめて言った。


「ならばお前さんが彼女を横から奪えばいい。万を超す鎌倉武士と蒙古の軍の、そのすべてを斬り伏せて」


花御の言葉に僕は一瞬動揺する。しかしすぐに気を取り直し、真剣な面持ちで彼女の強い視線に応える。

「僕になら出来るか?」

「出来るとも、俺が剣を教えよう。樹皮を裂くように肉を斬り、竹を割るように骨を断つ天狗の剣を。お前さんの剣に技が乗るなら容易いことだ」

僕には剣の才覚はない。これまで経験と寄せ集めたような技で闘ってきたが、思い返せば師匠と言えるような人物は一人として居なかった。

本当にそれで彼女を救えるのだとしたら、迷う余地などそこには無かった。

「分かった、頼む花御。恩に着る」

「俺の方こそ、お前さんには生涯かけても返せやしない恩がある。二人で巷ちまたに逆襲と行こうじゃないか」


僕は花御の目の前まで進み、彼女と強く腕を組み合わせた。これは狼煙だ。歴史も、人の営みも、知った事ではない。

僕には大切な人がいる。その人を救う為なら、僕はあらゆる理屈を踏み潰しても構わないと思っている。



その日からすぐに修行の日々が始まった。森の奥、花御の隠れ家で二人木刀を握って向き合っている。

花御の剣の腕前は凄まじいものだった。柔にして剛。まるで生き物かの如く、変幻自在にその剣筋は姿を変えた。


「いいかい? 人一人の呼吸などたかが知れている。それではどれだけ卓越した剣技であっても100人と斬る事はできない。いつか必ず呼吸を合わせられてしまうからだ。疲労だってたまる」

花御が強く踏み込んで打ち下ろしの一閃を放つ。それを木刀の背で受けるが、受け流しきれず地面に軽く足が沈む。凄まじい剛剣、手が痺れる。

「自分の中にもう一人を飼え。魂に刻むように、魂を分けるように、出来るなら自分に無いものを持つ奴がいい。そして場合に合わせて呼吸を切り替えろ、それが出来ればお前さんは一人で百を斬り伏せられる」

花御が一歩退き、次の瞬間目の前から消え失せる。驚いて僕も一歩下がり、花御を探る。すると目の前にするりと木刀が伸びてきて、僕の鼻の頭を掠めていく。地面に張り付くような低さで木刀を振り上げた花御。その木刀を横凪の一閃で弾き、返す刀を花御に向けて打ち下ろした......筈だった。


弾いたはずの木刀が、僕の首元にある。しなやかに僕の一撃を受け流し、風を切って僕の首まで伸びたのだ。

冷や汗が流れ、手を上げて降参を示す。剣の打ち合いで負ける、これは僕の人生においては初めての事だった。

「驚いたな、とてもしなやかで柔らかい剣筋だった。さっきの剛剣とはまるで違う。まるで君が二人居たようだった」

僕の首元から木刀が離れ、花御が肩に刀を背負う。

「そうだろう俺は一人では無いのだよ。2つの魂を持っている。なにせ俺は天狗だからな」

花御は得意げに笑うと、顔を横に向けて鼻の頭をついっと触り、まるで鼻を伸ばした天狗のような仕草を見せる。

「花御、君は一体何者なんだ? どうしてそんなに剣に優れる?」

僕の問いに対し、花御は僕を一瞥すると切株に向かって歩を進め、ドカリと切り株の上座り込んだ。

「少し休憩しようか、お前さんもお昼にするといい」

そう言うと、彼女は手持ちの丸餅を2つに割って僕に投げる。それを受け取り、手近な木を背もたれにして口にする。


二人で静かに餅をつまむ。

そうしているうち、ふいに花御が口を開いた。

「......以前ちらりと口にしたが、俺は西方の国から流れついた異人でね。元来この国ではつまはじき者なのさ。元もとの国ではただのか弱い少女でしかなかったよ、背が高いだけが取り柄のね。それだけにこの年まで生き延びるには苦労した。時に山に潜り、時に野伏に身をやつした。まるで獣けだもののような暮らしだったよ、それまでの私・じゃとても生きていけないほどのね」

花御がたんたんと過去を語る。その目には僅かに悲しみの色が奔る。

「だから心を分けたのさ。柔に慣らした私・と決別し、剛つよくに世界を渡っていける俺・を作った。なんてことは無い、ただの弱く悲しい人間の逃避だよ」

彼女の魂は、二色の魂が混ざり合うようにして存在していた。筆舌に尽くし難い何かがあったのだと一目で分かる、歪な魂。

「だが、そんな俺にも手を差し伸べてくれる人達が居た。さる隠居の若い夫婦だ。かつて武士として城に勤め、しかし守るべき本領を無くした無足の御家人。百姓に身をやつした彼等は、落伍者の俺の気持ちをよく理解してくれた。本当に良い人達だった。俺の剣も基礎は全て彼らから教わった」

それを口にしたあと、彼女は僅かな時間押し黙った。組み合わせた両手にぐっと力を込めて何かに耐えている。

「だが死んだ。かつて俺が、小銭欲しさに襲って傷付けた鎌倉武士達の復讐がために。旦那さんは無残に殺され、奥さんは犯され死んでいった。全ては俺のせいさ。謝っても謝りきれない、未だに胸の奥底にしこりとなって沈んでる」


よくある、しかしやり切れない不幸。花御もまた深い哀しみを抱えていた。

しかしこの話、誰かから同じような過去を聞いた事がある。ひょっとして──。


「もしかしてその夫婦には息子が居たりはしなかったか?」

「おお良くわかったな、その通りだよ。その彼等の子供が雛弦さ。俺が引き取り、山に連れ帰って共に暮らすことにした。それがせめてもの贖罪だと思ってね。だが俺には彼に幸福な未来を指し示す事はできなかった」

花御が悲しく笑う。いつもは飄々にして豪快な彼女が、今日はとても弱々しく見える。

「そして世界を見渡せば、こんな不幸は山程あった。せめてもの贖罪と俺はそんな子供達を救うべくこの山へと集めたが、俺に出来る事などそうは無かった。精々が子供達に近付く悪人を斬り伏せる事くらい。天狗を名乗り始めたのもそれからさ。せめて山に近付く悪人を一人でも多く減らす為に、子供達が少しでも安心して暮らせる為に。

笑うだろう? 本当はか弱いただの異人が、身に余るものを背負ったが為に虚勢を張り重ねる姿は。魂を分けでもしなくては、とても演じ切ることは出来なかっただろう」

「笑うものか、立派だ。僕は心から君を尊敬しているよ」


守ってくれる人の誰一人いない異国の土地。そんな所に急に放り込まれて、それでも彼女は精一杯彼女の大切な人を守り通した。そうそう出来る事じゃない。

「それを言うなら俺こそさ。お前さんの事は本当に尊敬している。彼等はあんなに笑う子達じゃなかった。俺はあの子達の命を守る事しかできなかった。あの子達の心を救ったのは他でもない、お前さんさ。子供達が草原の中、互いに抱きしめあって笑い転げているあの光景を、俺は今でも夢に見る。......嬉しかったなぁ。報われたような心地がしたよ。

あの日、つまはじきにされたお前さんを助けて本当に良かった。だからこそ俺は、俺の出来る事ならなんでもする。心からそう誓っているのさ」


花御は僕の目を見て力強い笑顔を見せた。彼女の過去を聞き、想いを聞き、僕は胸が暖かくなるのを感じた。僕がこの時代に生きた事は間違いではなかった。そう肯定してもらえたような気がして。

「分かった。有難う花御、改めて僕に剣を教えてくれ」

「無論だよ輪廻。さぁ、そろそろ講義を再開しようか!」





それから僕達は剣に没頭した。空き時間の全てをそれに費やした。恋華や雛弦、錆丸たちは僕達が構ってくれない事にブーたれて居たが、なんとか機嫌を取りつつ稽古に励んだ。


「次は相手の呼吸を読む訓練だ。人にはそれぞれの呼吸がある、吸う息吐く息その律動を感じ取れ。人が息を吸う瞬間、身体は力を失う。常にその隙を付くことが出来たなら、お前さんは千を斬り伏せられるだろう」

次々と呼吸を変える花御と剣を打ち合う。人は打ち込む時に息を止める。そしてひと呼吸おいて次の動作に移る。その瞬間を辛抱強く観察していく。

狙うのは同じタイミングじゃない。次々と移ろう呼吸の狭間、これしかないと言うその瞬間。それを測るのではなく、感じる事が必要なのだ。僕は何日もかけて、花御と剣を合わせ続けた。

そうした日々の中、少しづつ花御に勝てる日が増えていった。


「最後は型さ。剣を振る時にいつまでも鯱張しゃちほこばってりゃ疲れてしまうよ。必要なのは脱力、柔やわらの心さ。力を込めるのは斬る瞬間だけでいい。柔より入って剛にて断て。身体の緩急を自在に切り替えることが出来たなら、お前さんはいよいよ万を斬り伏せる事が出来るだろう」

変幻自在の天狗の剣。彼女はそれを魂の切替で為していると言った。だが、僕にはそんな器用な真似はともできない。ただでさえ僕の魂は僕だけのものでは無いのだから。

それだけに、この修行は習得に多くの時間を要した。時に剣を忘れ雛弦達と遊び、時に他のすべてを差し置いて剣のみに没頭し、時に一切に手を付けず一日中ぼーっとして過ごした。

そして今、僕は自らの過去を反芻している。僕の人生は他の誰よりも濃く、変幻自在の変遷を遂げてきたと言っていい。時に柔く、時に剛く生きてきた。その全ての経験が僕の体には詰まっている。


僕は剣を取り、無心になって山を駆けた。身体の声をそのまま解き放つかのように、過去の自分を引き摺り出すようにして奔放に振舞った。

いくつもの川をまたぎ、森を抜け、山頂に着いたとき、僕は全ての体力を使い果たして地面に倒れた。草原の中、駆け抜けていく風が心地よい。

そこに、どこからともなく花御が現れ僕に剣を突き付ける。僕はビクとも動かないはずの体を持ち上げて彼女の前に立ち、そして剣を打ち合った。

その打ち合いは何合と無かった。僕の剣は彼女の剣をするりと抜けて、彼女の首元に収まった。それから何度も、何度も。


僕はこの日、初めて花御の上を行ったのだった。


「完成したね、輪廻。お前さんに教えることはもうないよ。今のお前さんは最強だ。この世界にお前さんに並ぶ奴は誰一人として居ないだろうさ」

その言葉を受け、僕は小さく呟くように答える。


「いいや、一人いる。僕と魂を分けた双子の兄妹。必ず、僕が殺さなければいけない彼女が」



山頂から麓を見つめる。強く吹き付ける風が、少しづつ宿命の日が近づいている事を告げていた。

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