第3話 「ただ一つだけ確かなのは『好きだ』ということ」


 窓から夕陽が差し込んで、3階にあるこの教室は淡い橙色に染まっていた。誰もいない教室で荻野目さんの机に置かれた荷物に目をやる。彼女が担任に呼び出されて結構な時間が経っていた。


「……読むか」


 開いていたバイブル、少女漫画に視線を落とす。

 しかし間もなくして荻野目さんが帰ってきた。地面に落としたままの視線が、何かあったことを告げていた。


「……あ、あれ、安達君だ」


 僕の顔を見てぼんやりと口にする。


「荻野目さんは今帰り?」

「……あ、うん。そうそう。安達君は帰宅部なのにまた不良やってるの?」

「またって荻野目さんじゃないんだから。僕はたまにしか不良にならないよ」


 鞄に本をしまいながら言うと、荻野目さんが「そっか」と苦しそうに笑う。


「僕もちょうど帰るところだったんだけど、駅まで一緒だよね?」


 ちょうど帰るところ、なんて嘘だけど、一緒に帰る約束なんて嘘なしには出来ない。


「あ、本当に? じゃあ一緒に帰ろっか」


 帰る支度をする荻野目さんを横目に僕は手の平を握り返す。

 何があったのか、聞いてもいいのだろうか。やっぱり彼女が原因だろうか。頭の中に生徒会長の姿が浮かぶ。


「安達君、行こう?」

「あ、ああ。ごめんごめん」


 深く考え込んでいた僕はそう謝って、荻野目さんに小走りで駆け寄った。


「……安達君、私この緑色やめようかな」


 昇降口に向かう道すがら、ポニーテールにしていた髪を肩から前に流す。


「呼び出し、されてたみたいだけど注意されたの?」


 あれだけ迷ったのにこんなにもあっさり口から出てしまう。聞きたい欲には勝てなかった。


「注意って言うか、私のせいで会長が怒られちゃって」


 ――あ。


 ああ、そうか。

 バラバラだった欠片がひとつにまとまり、僕は合点する。

 荻野目さんは、自分のせいで好きな人に迷惑を掛けてしまったことが嫌なのだ。


「私が風紀を乱すのは会長が私を放置してたからだとか、注意しないからだとか……」

「じゃあ、不良風紀委員はもう終わり?」

「……うん、やめる」

「…………そっか」


 昇降口から外に出ると夕陽が眩しい。その眩しさに目を細めた僕の横を荻野目さんがタッと駆ける。荻野目さんの後ろ姿が、夕陽に重なる。スカートが風に揺れた。


「私、誰が見ても手に負えないって思われるくらい風紀乱すよ」


「……え? 待って荻野目さん、そっち?」


 あまりの変化球に尋ねずにはいられなかった。


「そっちって?」


 不思議そうに小首を傾げる荻野目さんに僕は手の平で目を覆った。


「…………ははは」


 安心している自分に少し驚く。


「大丈夫?」

「うん、大丈夫だよ」


 僕は眩しくて目を細めた。荻野目さんは眩しい。


 荻野目さん、僕は君が失恋すれば良い、なんて思ってないんだ。むしろその逆で幸せになってほしいと思ってる。

 例え今は恋人じゃなくても僕は君の隣にいたい。


「安達君、実は私ね好きな人がいるの」


 荻野目さんが誰を好きだとしても。


「荻野目さん、実は僕も好きな人がいるんだ」


 穏やかな口調で言う。


「えっ、嘘! じゃあ一緒だね。片想い?」

「そう、片想い」

「それも一緒だね。じゃあ、片想いが実るまで片想い同盟組もうよ」


 荻野目さんが楽しそうに笑った。


「僕達、不良なんだよね? なのに片想い同盟?」


 変だね、そう言って笑う。


「あ、そうだね。じゃあ、風紀を乱す風紀委員と帰宅しない帰宅部員同盟?」

「なにそれ」


 もはや、片想いがどうとか関係なくなってきている。


「でも、何か良いね」


 特別な感じだ。


「ふふっ、だよね」

「荻野目さん、もしも僕の片想いが叶ったらさ、僕のこと褒めてよ」

「告白するの?」


 僕は頭を振る。


「さぁ、どうだろう」


 空を仰ぐ。


「うん、分かんないよね」


 荻野目さんが隣で頷いた。


「分かんないよ、この先のことなんて」


 僕らは笑い合った。


 告白するかもしれないし、しないかもしれない。分からないことだらけだ。だって曖昧な僕達の中でただ一つ確かなのは、僕が荻野目さんを『好きだ』ということだけなんだから。

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風紀を乱す風紀委員と帰宅しない帰宅部員 成瀬 灯 @kimito-yua

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