#5
会社から帰宅し、部屋の灯りをつける。
「はぁ、今日も疲れた…」
一人暮らしだと独り言が増える。
大量に詰め込まれたドアポストのチラシを持ってそのままソファーに横たわった。
「そうだ、光熱費の支払いしないと…」
寝転んだままチラシの束を左手に持ち、右手でゴミ箱に入れていく。
私の左手には最後のチラシが1枚残った。
「え…なんで…?」
今にも叫びだしそうだ。けれど、必死で気持ちを落ち着かせる。
私はこれをよく知っている。
これは私がコピーしたビラだから。
このビラを配っているのは世界で1人しか居ない。
彼女は私の家に辿りついていたのだ。
ここに来ていた…それは紛れもない事実だった。
ビラをくしゃくしゃに丸めると、私はパニックになった。
「もう辞めさせられるから?最後に入れてやろうと思ったの?何でうちにこれがあるの!?おかしいでしょ。何で?何でなの?」
涙が零れ落ちた。
暫く経つとふと冷静になる自分がいた。
いや待て。これはおかしい。
復讐のようなつもりならば、たった1枚だけなのは妙だ。
私はポスティングスタッフの経験がある。
如何に大変な仕事かという事をよく知っているから、もし自分が復讐をしようと思うなら、どっさりと復讐相手の家のポストに突っ込むだろう。
もしくは破いたり、メモのような事をするかもしれない。
私は考えられる復讐方法をいくつか考え出した。
くしゃくしゃに丸めたビラを丁寧に広げた。
よく確認すると私がコピーしたままでメモなども見受けられない。
変わった点は何も無かった。
私はビラを握りしめて、走って家の外に出た。
古いアパートだから他の家もドアポストのチラシがむき出しになっている。
もしも他の家にもビラが入っていたなら、彼女が私の家だと知っての事では無いと仮定できる。
このアパートに住んでいる人は私同様に仕事が忙しいようで、あまり家に帰らない人が多い事は知っていた。
私はこの説に全てを賭けた。
1番可能性の高い、隣の家を見に行った。
ここの住人はあまり帰っていない。
失礼な事は承知でチラシを何枚かめくった。
「は、入ってる…」
でも分からない。1軒だけでは確証が持てない。
下の階に走る。
大体は帰宅しているのかチラシが置きっぱなしなのは数軒だ。
すると沢山のチラシから同じビラを発見した。
「こっちにもある…こっちもだ…」
私はそこに座り込んだ。
安堵と不安が入り乱れた何とも言えない気分だ。
涙はもう出なかった。
彼女は間もなく私の前から姿を消すから。
全てを賭けたこの説は恐らくだが立証された。
座り込みアパートを見ていたら、彼女がここに来てビラをドアポストに入れて行く姿が思い浮かんだ。
そんな幻想に、私は「さようなら」と告げて、家に戻った。
数日後、彼女はとても静かに私達の元から消えていった。
私の激動の1ヶ月は終わった。
もう怯えることはない…
そう分かっていても暫くの間は何か分からない物に怯えていた。
そして時折思い出す。
彼女は私の事を知らなかったけれど、私も彼女の事はよく知らない。
本当はどんな人だったのだろう。
それは永遠に知ることもない。
私はそっと涅槃する。
終
なこがたり 女ストーカー〜宗教編〜 nako @nakoasuken
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摘蕾/@keiba3150
★0 エッセイ・ノンフィクション 連載中 3話
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