睡眠ペア
尾世海風
睡眠ペア
「日本の皆さんこんばんは。オリンピック5日目を迎えました、ここマドリードの空は今日も青く澄み渡っています。この時間は屋内アリーナ『パラシオ・ビスタ』より公開競技、睡眠ペア決勝の模様をお届け致します。解説は日本睡眠スポーツ連盟会長の矢神ゴンザブロウさん。実況は私、成瀬イチロウが担当致します。矢神さん、よろしくお願い致します」
実況席の成瀬はそう言って、隣席の矢神に頭を下げた。丸眼鏡に着物姿の矢神も会釈で応じる。
「えー、早速ですが矢神さん、今回、公開競技に選ばれた“睡眠”ですが、これは連盟にとっても長年の夢でしたね。今日この日を迎えて改めていかがですか?」
「まー、めちゃめちゃ長かったわな。今年が2032年でしょ?ワタシらが睡眠の競技化に取り組んでから12年が経ってますからね。“果報は寝て待て”って言いますけどね、どない寝かせんねんちゅう話ですよ。せやけど、“睡眠”がスポーツとして認められて、こうしてオリンピックの競技にも選ばれたっちゅうのは、ほんまに嬉しいことやね。まあ、本音を言うたら、大阪でやれたら一番良かったんやけどね」
悔しそうに一言付け加える矢神を成瀬がフォローする。
「確かに今回のオリンピック、大阪も最後まで候補地に残っていました。しかしながら、ここスペインは“シエスタ”の国。“眠る”ことに長けた同国の後押しがあったからこそ、今回の公開競技導入に繋がったという側面も・・・。あっ!只今、選手が入場してきた模様です!」
選手達がアリーナに現れると、スタンドを埋め尽くした観客から拍手と歓声が一斉に沸き起こった。成瀬も話を切り上げて、その様子を実況する。
「大きな声援を受けながら、選手達が入場してきます!先頭はサモアのトロイ・レオタとカイリー・ソロモア、続いて中国の
と
、その後からスペインのウーゴ・ゴンザレス・ガルシア、ルシア・フェルディナンス・オルティス。そして最後はニッポン!杉本ゲンキと綿矢ミサト、以上4カ国4組のペアで決勝が行われます」
選手達は競技用ベッドの前に一列に並ぶと、スタンド席の観客に手を振って応えた。客席から一際大きな拍手が鳴り響く。
スタンドの応援団に手を振りながら、杉本ゲンキは隣の綿矢ミサトに目をやった。競技用パジャマ姿のミサトは緊張しているのか、額にうっすらと汗を浮かべている。
「ミサトさん、大丈夫ですか?」
ゲンキが尋ねる。
「うん、大丈夫。ちょっと緊張しちゃっただけ・・・、ありがとね」
ゲンキの気遣いにミサトが笑顔で応える。
4歳年上のミサトは、いつもは頼れるお姉さんのような存在だ。そんなミサトがここまで緊張するとは、やはりオリンピックはスケールが違う。
ゲンキは改めて場内を見渡した。
思えば、眠ることしか能の無い自分がこんな大舞台に立ってるなんて奇跡のような話だ。だが一方で、“睡眠はスポーツじゃない”という批判や偏見と闘いながら、ここまで頑張ってきたのも事実だ。睡眠がスポーツか否かの問題はさておき、今日このマドリードで今までの練習の成果を悔いなく出し切ろう。
「ゲン君さ、・・・絶対、優勝しようね!」
物思いに耽っていたゲンキを、今度はミサトが激励する。
「そうだね。ボク達、金メダルだよ!」
ミサトの精一杯の笑顔を見てると、ゲンキの胸が張り裂けそうになった。
“金メダルを取ったら、ボクと結婚してください”
思わず言葉が溢れ出そうになる。だが、それは金メダルを勝ち獲った後に用意してある台詞だった。優勝が決まったその時、世界中の人々の前でミサトにプロポーズする、とゲンキは決めていた。
ミサトとペアを組んで6年。いつしかゲンキはミサトに恋心を抱き、競技上だけでなく人生のパートナーになることを願うようになっていた。
開始5分前のアナウンスが鳴り響き、スタッフの動きが一段と慌ただしくなる。最後にミサトと握手を交わすと、ゲンキは競技用ベッドに横たわった。白衣を着た2人のドクターがゲンキの身体に測定用のセンサーを貼り付けていく。
ゲンキは深呼吸をしながら、ゆっくりと全身の力を抜いていった。出来るだけ心を空にして、スタートの合図を待つ。
「3、2、1、スタート!」
審判の号令と共に、いよいよ睡眠ペアの決勝が始まった。
「スタートの合図が出て、選手達が入眠体勢へと入りました!」
緊張に包まれた客席が試合の行方を静かに見守る中、実況席では成瀬がマシンガンのように一人で喋り続けていた。
「ところで、矢神さん、この“睡眠ペア”ですが、まだ新しい競技ということもあって、ルールに親しみのない方も多いと思います。今一度、簡単に競技のご説明をお願い出来ますでしょうか?」
「簡単に言うと、二人でよう寝たもんが勝ちっちゅうことやな」
予想外のあっさりした返答に戸惑う成瀬。
「確かに一言で言うとそうですけど・・・。では、私の方から説明をさせて頂きますね。先ず“睡眠”についてですが、人間の眠りには大きく2つの段階があります。浅い眠りの“レム睡眠”と深い眠りの“ノンレム睡眠”という2段階ですが、睡眠競技では深い眠りである“ノンレム睡眠”の持続時間を競います。ですから、競技時間120分の間で最も長くノンレム睡眠を持続した選手が勝者となるわけです。そして“睡眠ペア”では男女ペアが同時にノンレム睡眠を持続した長さが競われます」
成瀬は手元の資料を確かめながら、言い違えないようにゆっくりと解説していく。
「だから、ペアの方がソロより難しいんやわ。二人で眠る時間を合わせんなあかんから」
矢神の横やりに成瀬が乗っかっる。
「そうですね。つまり二人でノンレム睡眠の時間を合わせるということですが、我々一般人からすると、どうしてそういうことが出来るのか、ちょっと理解できないんですが・・・。選手同士はお互いに眠りながら、どうやって連絡を取り合っているんですか?」
「ノンレム睡眠は深い眠りの中で夢を見てる状態やから、ようは夢の中で相手を探すんやわ。そいで夢の中で相手と会うとな、脳波がぴたーっと同調すんねん。同調したら、そのまま出来るだけ相手と一緒に夢ん中に止まるんやわ。その止まった長さがノンレム睡眠の滞在時間になんねん」
「“夢の中で相手を探す”と聞くと、どこかロマンチックな印象を受けますが、実際は相当に難しいんじゃないでしょうか?そもそも“自分が夢の中にいる”って自覚するだけでも大変ですよね?」
「せやろ?集中力と心のコントロールがこの競技の肝なんや。“睡眠はスポーツちゃう”って言わはる人がよう居てるけどね、選手さんはやね、精神統一に2年、夢の自覚に4年、夢の中で相手を見つけるのに4年と最低でも10年はトレーニングを積んではるんやで」
「そうですね。そういう意味でもペア歴6年の杉本ゲンキ・綿矢ミサト両選手は、正に眠りの達人と言えますね」
「まあ、ゲンキ君は昔から、よう寝る子やったけどね。こないに小さい時分から知ってんねんけど」
手振りを交えながら話す矢神を無視して、成瀬が続ける。
「どうやら、選手達がレム睡眠の第三ゾーンへと入った模様です。脳波計のシータ波表示で見ますと、トップがスペインのウーゴ、続いて同じくスペインのルシア、中国の王
ワン
の順番となっています。日本の綿矢が現在4番手。杉本は7番とちょっと出遅れましたか?矢神さん、さすがスペイン!“シエスタ”の国だけあって入眠が早いですね!」
「あんた、そのセリフ好っきやなあ。スペインの人は寝つきがええか知らんが、この競技は眠ってからが本番やから、まだまだこれからですわ」
ようやく矢神との間合いを掴んできた成瀬は、突っ込まれながらも満足気に頷いた。
ゲンキは夢の中で目覚めると、起き上がって周りの景色を確かめた。
小学生の頃に住んでいた都島のマンション、自室のベッドの上。そこは入眠の際に最初にイメージする場所だった。どうやら、無事にノンレム睡眠に入れたようだ。
だが、いつもより時間がかかったような気がした。部屋の壁には大きな丸時計が掛けられているが、夢の中の時計はあてにはならない。結局、自分の勘だけが頼りだ。
ゲンキは急いで部屋を出るとリビングへと向かった。リビングのソファーには、小さなダックスフントのぬいぐるみが置いてあった。
「おい、ゲンキ!来るのが遅いぞ!」
ぬいぐるみがゲンキに話しかける。
「分かってるよ、ネシム。ちょっと気が散っただけだよ。こっから追いつくから」
鬱陶しそうにゲンキが言い返す。ネシムとは子供の頃に持っていたぬいぐるみの名前だが、ノンレム睡眠中のゲンキのアドバイザーでもあった。もっとも、アドバイザーと言っても無意識という自分の一部分なのだが。
「あのことは忘れて、今は競技に集中しろ。優勝さえすれば何の心配もない」
ネシムが無表情のまま言った。あのこととは、もちろんミサトへのプロポーズのことだ。
「大丈夫だって!ちゃんと集中してるって!」
けれども、ネシムの言う通り、心の何処かでプロポーズのことが引っかかっていた。
もしかしたら、優勝してもミサトはゲンキの求婚を受けてくれないかもしれない。そんな不安が頭の隅から離れないのだ。
“私もいるよ、好きな人・・・”
マドリード入りした夜にミサトから聞いた言葉がきっかけだった。調整終わりに二人で食事している時に何故か恋愛の話題になってしまったのだ。どちらから振ったのかは思い出せないが、“好きな人がいる”と暗に匂わせたゲンキに、ミサトはそう切り返してきた。
もし、ミサトの好きな相手が自分じゃなかったとしたら・・・。
練習や合宿漬けの選手生活の中で出会いはそんなに多くはない。あるとしたら、同じ睡眠の選手だろうか・・・。
睡眠は競技人口がまだ少ないこともあり、国際レベルの選手でも大概は顔見知りだ。“眠る”という競技の性質から温厚な草食系の選手が多いが、いいオトコが居ない訳ではない。
スペインのウーゴはイケメンだし、中国の
「おい!ゲンキ!足元!」
ネシムの言葉でゲンキは我に返った。見ると、床から足が離れて宙に浮く寸前だった。
「ご、ごめん。もう集中するから!」
ゲンキがネシムに詫びる。確かにヤバイところだった。
睡眠競技では下っていくのが基本で、下れば下るほど深い睡眠へと入れる。だが、集中力が切れると、生理反応によって一気に覚醒へと引き上げられてしまうのだ。
「ボーッとするな!分かってんのか?オリンピック決勝だぞ!」
無表情なままのネシムに喝を入れられ、今度はゲンキも本当に反省した。
「ありがとう、本当に気をつける。そして、必ず優勝するから。見てて、ネシム!」
ネシムに礼を言うと、ゲンキは両手で玄関の扉を開いた。玄関口の向こう側はそのままエレベーターの内部になっていた。ゲンキは中へと乗り込み地下120階行きのボタンを押した。そこがミサトとの待ち合わせ場所だった。
自動的に扉が閉まると、ゲンキを乗せたエレベーターは真っ直ぐに地下へと下降していった。
「ゲン君、遅かったじゃない?何かトラブル?」
エレベーターの扉が開くやいなや、ミサトが心配そうに声をかけてきた。どうやら、ミサトはずいぶんと前に地下120階に着いていたようだった。
「ミサトさん、ごめんなさい。試合前に水を飲み過ぎたみたいで・・・」
適当な言い訳で誤魔化すゲンキ。
「もう、大事な時に何してんのよ!とにかくこっからが勝負だから、ノンレム滞在記録作れるよう頑張ろ!」
そう言ってミサトは、ゲンキの手を取り部屋の中央へと向かった。広い和室の真ん中には立派な囲炉裏が設けられている。そこはノンレム滞在用の場所として、長年の練習を通じて二人がイマジネーションで磨き上げた空間だった。
囲炉裏の前に腰掛けると、今度はゲンキがミサトの両手をぐっと握り返した。火にくべられた薪がぱちぱちと心地よい音を立てている。
「ミサトさん、今日はボクがリードします、任せてください!」
いつになく気合いの入ったゲンキの言葉にミサトが思わず吹き出す。
「何?カッコつけちゃって。今日のゲン君、なんか変だよ」
ひとしきり笑った後で、ミサトが優しく微笑む。
「オーケー、じゃあ、今日はゲン君がリードして」
ミサトがゲンキの手を握ったまま目を閉じる。その顔をしばし見つめた後でゲンキも目を閉じた。
意識を集中して、夜空を埋め尽くす満点の星々のイメージを頭に思い浮かべていく。
「わー、きれい!これ、どこの星空?」
ゲンキの描くイメージが伝わり、ミサトが感嘆の声をあげる。どうやら同調は成功しているようだ。
「長野県の阿智村です。子供の頃に家族で行ったんです」
「ほんとー?今もまだ、これ位きれいかな?日本に戻ったら行ってみたいなー」
〝ボクもミサトさんと行きたいです”
言いかけて、ゲンキは言葉をのんだ。今は競技に集中しなくては。
ミサトとの同調を確かめながら、ゲンキは星空のイメージをより鮮明にしていく。
頭の中が鮮やかな星空で満たされると、眩い星の輝きが徐々に身体中へと広がっていった。全身の感覚が少しずつ遠のいていくのが分かる。まるで二人の身体が溶け合ってひとつになったような心地よさだ。ミサトとの同調が最高潮に達している証だった。
よし、いつもより深く強く同調してるぞ・・・。
出足こそ遅れたものの、今日の二人の同調
シンクロ
は抜群だった。ゲンキは優勝への手応えを感じた。
120分の競技時間の中でノンレム睡眠に滞在出来る時間はおおよそ58~59分。60分を超えると新記録だが、いたずらにタイムを狙うと生理反応に捕まって覚醒へと連れ戻される危険性も上がる。無理は禁物だ。
ずっとこうしていたいかも・・・。
いつにない完全な同調の中でゲンキはふと思った。プロポーズの不安を思うと、ミサトとひとつになれる夢の中にいる方が幸せかもしれない。
だが、それも束の間のことだった。身体からの急激な警告を感じたゲンキはノンレム滞在のリミットが近づいていることを悟った。迫り来る生理反応の不快感に耐えながらギリギリまで粘るが、ミサトとの同調が鈍くなった所でゲンキは判断した。
ここまで・・・だ。
滞在にはしっかりとした手応えがあった。100%とは言えないが、全力は尽くした。優勝争いに加われる位の成績は出てるだろう。
ゲンキは目を開いた。同じタイミングでミサトも目を開く。
「ミサトさん、やるだけはやったよ!覚醒へ戻ろう!」
「うん、私達、優勝できるよね!」
ミサトが笑顔で応える。
「じゃあ、あとはお目覚めで!」
二人はいつものように挨拶を交わすと、握り合っていた両手を離した。ここから覚醒までは、また別々の旅だ。
ゲンキは立ち上がり、部屋を見上げた。そこに天井はなく、長いトンネルがどこまでも上へと続いていた。
ゲンキは床を蹴ると、トンネルの中へ吸い込まれるように飛び込んでいった。
「さあ!いよいよ残るは2組!サモアのトロイ・レオタとカイリー・ソロモア、そして、ニッポンの杉本ゲンキと綿矢ミサト!優勝争いはこの2組のペアの手に委ねられました!」
実況席では興奮した成瀬が、立ち上がらんばかりの勢いで絶叫していた。
「それにしてもスペイン、中国共にまさかの56分台。オリンピックには魔物が住むといいますが、本当に勝負の行方は分かりません!矢神さん、どうですか?」
「どうって?見たまんまやないか」
矢神の反応に慣れた成瀬は気にすることなく続けた。
「さて、いよいよサモアと日本の一騎打ち!勝てば金メダル、負けても銀メダルです!両者のタイムは既に58分を経過しています!矢神さん、日本サイドは、あと何に注意すればいいんでしょうか?」
「何もあれへん。あとは“起きる”だけやがな」
「はい、そうですね!では、ワタクシは杉本・綿矢ペアが少しでも長く眠れるようにお祈りしたいと思います!おーっと!」
次の瞬間、満杯の客席からどよめきが起こった。サモアのトロイと日本の綿矢が同時に目覚めたように見えたのだ。
「こ、これは難しい!こちらからは両者がほぼ同じタイミングで目覚めたように見えましたが、さて、判定はどうだ!」
絶叫する成瀬の横で、矢神がそっと手を合わせる。
「出ました!判定は“サモア 58分41秒、日本 58分42秒”でニッポンの勝ちです!杉本・綿矢ペア、優勝です!!!」
会場からどっと歓声が沸く。思わず立ち上がって抱き合う成瀬と矢神。
「今、目覚めた杉本選手が綿矢選手の所へ駆け寄って行きましたが・・・」
ゲンキはミサトの前に跪くと右手を差し出した。そしてミサトに向かって大声で叫んだ。
「ミサトさん、これからは毎晩一緒に眠ってください!ボクと結婚してください!」
騒がしかった会場が一気に静まりかえる。世界中の注目が二人に集まる。
「ゲン君・・・」
ミサトはゲンキの目をじっと見つめた。だが、その顔は当惑しているように見えた。
しばらくの沈黙の後でミサトが言った。
「ごめんね。私、ゲン君の気持ちに応えてあげれない。好きな人がいるの・・・」
ゲンキの頭が真っ白になる。心配していた最悪の結果だった。
「ゲンキ!ミサトを困らせるなよ!」
背後から響く野太い声に、ゲンキが振り返る。声の主はサモアのトロイ・レオタだった。
「試合には負けたかもしれんが、人生まで負けた訳じゃないぜ!」
恰幅の良い身体を揺らしながら、トロイがミサトの側へと歩いていく。
「ごめんなさい・・・、今まで黙ってて・・・」
トロイに寄り添ったミサトが、悲しげな顔で言う。
まさか、まさか、マジですか・・・。冗談でしょ?こんなことって本当にあるの?まるで夢でも見ているみたいだ・・・。
ゲンキは顔を上げてもう一度、トロイの顔を見つめた。
「なんだよ、寝ぼすけ!早く目を覚まして現実を受け止めな!」
ゲンキを睨み付けながら、トロイが言う。
「オレは眠ってなんかいない!それにミサトはオレのオンナだ!」
ゲンキはトロイに飛びかかると、顔面を力一杯殴りつけた。会場から悲鳴が上がる。
「やめて!何するの!ゲン君!」
ミサトも必死に止めにかかる。
「目覚めろ!夢から目覚めるんだ!」
ゲンキは叫びながらトロイの右腕を掴むと、力の限りに引っ張った。引っ張られた右腕が飴のようにびろんと伸びる。
間違いない、“多重夢”だ!
ゲンキは確信した。
“多重夢”とは夢の中でさらに夢をみる現象で、睡眠競技の選手が悩まされる生理現象の1つだった。重度の多重夢に陥ると、夢から醒める夢を何度も繰り返すこともあるという。
・・・やっぱりだ!大体、トロイは日本語しゃべれない筈だし、なんかおかしいと思ったんだ。きっと自分の中の不安が多重夢を引き寄せてしまったのだろう・・・。
「やめろ!ゲンキ!やめてくれ!」
ゲンキはトロイの懇願には耳を傾けず、そのふくよかな身体に両手を突っ込んだ。
「オレは目覚める!ミサトの所へ行くんだ!」
そう叫ぶと、ゲンキはトロイの中へと一気に身体を滑り込ませた。
悲鳴をあげるトロイ。だが、ゲンキは構わずに中へ中へと突き進んでいく。
トロイの身体を通り抜けると、再び会場の大歓声が聞こえてきた。
「今、判定が出ました!“スペイン 59分13秒、日本 59分46秒”でニッポンが勝ちました!杉本・綿矢ペアが優勝!金メダルです!」
会場からどっと歓声が沸く。思わず抱き合ってキスする成瀬と矢神。
ゲンキは再びベッドから起き上がると、ミサトの姿を探した。ミサトは向いのベッドの脇に座ってゲンキの方を見つめていた。
よし!今度こそプロポーズを成功させるぞ!
でも、もし、失敗したら・・・。
失敗したら、また目覚めればいい。
それもまた夢に違いないから・・・。
ゲンキは自分に言い聞かせると、ミサトの元へ駆けだした。
(終わり)
睡眠ペア 尾世海風 @OseKairan
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